2017年5月1日 第220話
             
無事

    水鳥の 行くも帰るも跡たえて 
         されども路は わすれざりけり   道元禅師
       

メンタルヘルス不全になる季節です


 青葉若葉がまぶしい新緑の5月です。生きものは活き活きとしてこの時期はとても心地よい陽気です。けれども気持ちのおだやかでない人が多いのもこの季節です。気持ちが晴れ晴れとしないとか、気持ちが萎えてしまいそうだと感じる人がこの時期には多いようです。

 新しく社会人となった人や、転勤や部署を異動した人達が、仕事にも慣れてくる一方で、なじまなくて仕事を続けていくのに疑問を感じたり、自信をなくしたり、そういう気持ちが生まれてくるのもこの時期です。
 また学校に入学したり進級したりして、一応の落ち着きがでてくる一方で、やる気をなくしたり、無力感に悩む人があるのもこの時期です。

 抑うつ気分とは、なんとなく「気持ちが落ち込む」「気がめいる」などといった、空虚感、絶望感などが、毎日あるとか、ほとんど一日中そのような状態であることを指しています。「以前は楽しめていたのに楽しめない」「世の中のことに関心がない」など、ほとんどすべての活動が、以前と比べてあきらかに興味や喜びが減退してしまった状態になります。

 最初のちょっとした体調の変化を感じた段階で、無理にでも三~五日くらいの休みを取ると、メンタルヘルス不全に陥るのを食い止めることができるかもしれません。思いきって休みを取れば、「うつ」で長々と休まなければならないことと比べるとずっとましです、でも、それができないから問題なのでしょう。
 このようなメンタルヘルス不全は現代人の誰もが陥ることです。日本では今、八人に一人が「うつ病」か「うつ状態」にあるといわれています。

 
うつになる症状に、気づけるか?

 食事が「おいしくない」「味がしない」など、食欲が減退して体重が減少していませんか。また過食になり、体重が増加していないでしょうか。 

 「寝つけない」「夜中に何度も起きる」「すごく早く目覚めて、以後眠れない」こういう睡眠障害に悩んだり、反対に「過眠」状態になっていないでしょうか。

 「落ち着かない」「話すことも動くことも遅くなる」など、いらだちや焦りが生じていませんか。

 歯みがきや入浴など、日常行為がおっくうになる。仕事に行きたくない。テレビを観てもつまらないなど、気力がなえたり、すぐに疲れてものごとを止めてしまう状態になっていませんか。

 「自分は価値がない」など、極度の自信喪失や「自分は怠けている」といった気もちにとらわれていませんか。

 「テレビの内容が頭に入らない」「新聞が読めない」など集中できない。思考力や注意力が減退して、ミスを連発する。また、なにごとにも判断・決断ができないということはありませんか。

 「普段と違う!」、症状がまだ出はじめの段階で、気がつけば初期対処ができますが、このような症状がかなりはっきりと出ている時は、もうすでに、病状が進行していることが想定されます。

 家族や職場の同僚など、身近な周囲の人が、気がついて「普段と違うね!」といってくれるような関係があれば、予防や早期発見には効果的でしょう。
 また、症状が自覚できても、それがうつ病からきているのか、それとも、他の病気の二次的な症状かもしれないから、専門家の判断を仰がなくてはなりません。

水鳥の 行くも帰るも跡たえて されども路は わすれざりけり

 水鳥は水面を自由自在に泳ぎ回る。水鳥の泳いで行くところには、小さな波の跡が生じていますが、やがて飛び去ると消えて何も残らない。そして夕刻になるとそれぞれのねぐらに帰って行きます。けっしてその道筋を誤ることがありません。水鳥の通う路があるのでしょう。

 「水鳥の 行くも帰るも跡たえて されども路は わすれざりけり」、これは道元禅師が、無碍(むげ)すなわち、こだわりのない心、とらわれのない心こそが大切であることを、水鳥に喩えで詠まれたものです。あらゆる終着を捨て去れば、生き生きとした生き方ができることを諭されたのでしょう。

 日常の言葉として、わざわいもなく、元気で、何ごともないことを無事といいます。仕事が順調に運んだことを無事に終わったといいます。この無事という言葉は、仏教では、「煩いがない」という意味で、もともとは無心という言葉であったのが、代わって用いられるようになったそうです。無心とはすべてのことにこだわりをもたないということです。

 人は日常の何ごとにおいても、肩肘張ってかまえたがるようです。自分が一番大切だから、自分中心に行動しょうとします。それで生きづらくなるのです。こだわりの心が自分を生きづらくしてしまうのです。
 「証道歌」に「絶学無為の閑道人」とあります。こだわらないから、何ものにも自分の行為をしばられることのない人という意味です。人は、何ごとにおいても分別心をもってしまうところから、こだわりがおこり、自分自身を生きづらくしてしまうようです。

こだわらない生き方をめざそう

 「うつ病」のさまざまな症状は、外部の環境要因やその人の内的なあり方が相互反応しておこります。こうした「うつ病」の症状が自身のこれまでのあり方を問い直させ、自分らしい生き方を見直す、よい機会であることにも着目しましょう。内からの重要なメッセージですから、このメッセージをまず受けとることが「うつ病」の治療になるのでしょう。

 「うつ」からの脱出とは、元の自分に戻ることでなく、モデルチェンジした、より自然体の自分に新しく生まれ変わるということでなければならない。生き方や考え方について根本的な見直しをする、その勇気が大切です。
 人間は社会と関わって自分をその中で生かすことができれば、そして幸せとは他に貢献することだと理解できれば、自分自身の力で生きていこうとする勇気もでてくるでしょう。しかし自己に執着しすぎると他への貢献ができないから、自己に執着しない生き方に変えていくべきです。

 自己に執着しない生き方とは、日常の生活においてちょっとした工夫で生き方を変えることができます。それは「背筋伸ばして、姿勢を正しくする。肩肘張らず、かまえず、自然体になる。ゆっくりと吐く呼吸法で、呼吸を整える。」これはいつでもどこでもできることですから、常に行うと心がおだやかになります。自己に執着しない生き方であれば、何ものにも自分の行為をしばられることもないから、自分らしい生き方ができるでしょう。
 
 過ぎ去ったことにも執着せず、只今が無為であれば、こだわらない生き方ができます。これを無事といいます。
 こだわらない生き方の目指すべきところは、向上心を失わず、ものごとの本質を求め続けること、そして、他すなわち世の中に貢献できる生き方をすることです。生まれてきたからには、生きている喜びと楽しみを得ることができなければ、せっかくこの世に生まれてきた甲斐がないでしょう。
 

戻る