2017年7月1日 第222話
             
生かし合い

   たとひほとけとなるべき功徳熟して、円満すべしといふとも、
   なほめぐらして衆生の成仏得道に回向するなり。
                          正法眼蔵・発菩提心

共生きの関係


 人間は、空気を吸って、吐くという呼吸をしています。生命体である人間の身体は、空気中の酸素を肺に取り込み、炭酸ガスを吐き出します。酸素を取り込むだけでなく、炭酸ガスを吐き出していることが、呼吸をしているということでしょう。それは意識しないでしていますから、まさに生かされているということでしょう。

 植物は炭酸ガスを取り込んで太陽光と水とで光合成して、栄養分をつくり出しています。その光合成の過程で酸素ができて空中に放出される。その酸素がさまざまな生きものの命を生かしています。人間の身体もこのようにして命が保たれています。

 植物は地中に根を伸ばし、水や栄養分を吸収しています。土中にはさまざまな微生物やミミズなどの生きものがいます。それらの生きものは、土中の有機物を分解することにより生きています。その分解されたものが植物の栄養分となり成長をもたらします。このようにあらゆる生きものの存在は、他の生きものが存在していることによって存在している。これが共生の関係というものでしょう。

 太陽光と炭酸ガスと水がなければ植物の光合成は成立しないから、それによる酸素も生まれない。酸素がなければ人間や動物は生きられない。呼吸というかたちで、空気中の酸素を体内に取り込んで、炭酸ガスを吐き出す、それがまた植物の光合成につながる。無関係であると思われがちですが、植物と人間とは共生きの関係にあります。

自他一如の世界

 「花は無心にして蝶を招き蝶は無心にして花を尋ぬ、花開く時蝶来り蝶来る時花開く、吾れも亦人を知らず、人も亦吾を知らず、知らずとも帝則に従う」これは良寛さんの言葉です。
 植物は生長すると花を咲かせます。すると蝶や蜂が花に飛んで来て蜜を吸う、それによって受粉がなされ、やがて実を結びます。
 花には蝶を招く心はなさそうです、蝶にも花を尋ねようとする心が働いているようにもみえないが、花が咲くと蝶は飛んでくる、蝶が飛んでくるところに花が咲いている。

 花につく蝶は無心にして損得勘定がないから、味わいのみ取りて色香を損なうことはない。
 蝶や蜂と植物との間には損得勘定はなく、お互いの存在がお互いを存在させている。いずれもが意識することはないけれど、お互いが必要な存在です。「他を生かさずして自己は生きていけない」、他のためにという生き方が、そのまま自分のためにということで、これが自然の大原則です。

 だれもがこの世に必要だから生まれてきた、そしてお互いを必要とするから生きていける。だから、他を生かさずして自己は生きていけない。自分のためにという生き方が、そのままに他のためにということでなければ自己は生きられない。この世とは自他一如の世界です。

 自然界においては、自然の大原則があり、自他の区別などないのでしょう。自他一如で利己はそのまま利他であり、利他がそのまま利己です。この自他にこだわらない姿を自他一如といいますが、自他一如の心を良寛さんは「無心」と言われた、自他一如の行動を道元禅師は「同事」と教えられました。

他を生かし、他に生かされて

 大統領が交代したら、自国がファーストであるとアメリカはさまざまな政策を転換しはじめました。けれども、人であれば個人が、国であれば、一国が自己中心的には存在できないのです。民族や国の間の紛争も、宗教的対立も、環境問題も、経済格差が根本にある貧困やテロも、いずれも共生きの原理原則に逆らったものです。それは人間の傲慢さのあらわれです。共生きの世では、共生の原則に逆らうと生きづらくなってきます。だから自己中心的なものはすべからく排除されていくでしょう。

 人間の住む空間である世間がどんどん広域化してきました。地域社会から国境を越える時代になりました。けれども地域社会の世間も、国際的な世間も、人は人との関係のもとに生きていることに変わりありません。
 人はみなこの世の共生きの同居人ですから、地域社会でも、国際社会であっても、利他(他の人びとを利益し、救済につとめること)という生かし合いの精神は世界に通用するでしょう。グローバルな時代であるからこそ、よりいっそう利他の精神が尊ばれなければならない。

 人は自分が大切だから自己中心に生きようとします。人は、みなそれぞれがそうだから、人間関係がうまくいきません。それで人間関係の悩みが途絶えないのでしょう。けれども人は他との関係を良好に保もたなければ生きていけません。だから人間関係を上手く保つということが生き方上手ということになります。

 この世の中はたった一つでは存在できない世界です。万物生命の支え合いがこの世の姿であることに思いをめぐらすと、命の尊さが認め合えるでしょう。
 人間関係の悩みの解消も、地球環境の保全も、戦争やテロをなくすことも、生きとし生ける万物生命の共存が根本にあることを認識すべきでしょう。だから、自己中心では生きていけない、民族も国も他との共存共栄でなければ存続できない。これがこの世の原理原則です。

 
人生は利他行

 自分など生きている意味がない、生きている価値もない、だれも自分の存在など必要としていない、などと思いこんでいる人もあるようですが、はたしてそうでしょうか。職を求めても採用されない、余分の人材は要らないと解雇される、それを世の中が不景気だからとか、原因を世の中のせいにしてしまえば一歩も踏み出せなくなるでしょう。

 そうではなく、共生きの世であるから、世の中では今、何を必要としているのか、世の中で必要なことをしっかりと自分で見つけだせれば、それが仕事になり、生きていけるはずです。また必要とされる人格、必要とする能力をそなえた人ならば、世の中は必ずその人を必要とするでしょう。

 たとえ、仏になれるだけの功徳が熟して、完全に満たされていたとしても、なおいっそう功徳を積み重ねて、自らの功徳を他の人にめぐらせて、すべての人が仏と出会えるように、功徳を手向けなければなりません。
 あらゆる功徳を自分だけが受けるのでなく、ひろく人々にめぐらし、人々とともに利益を受けようということです。
 「他を幸せにしなければ、自らの幸せはない」、人生は利他行です。この利他の願いを持ち続ける限り、その人は優秀であり、価値のある人間です。自分に満足できる生き方は利他行により可能になるでしょう。

 生きとし生ける命は、お互いに生かし合っている。どんな命も欠くべからざる存在であり、どれ一つが欠けても他を生かせないのでしょう。どんな生き物でもその命は自然のめぐりによって親のもとに生まれた命です。どんな人でも自然のめぐりによってこの世に必要だから生まれてきた、かけがえのない命です。  
 そして、この世に生きているということは、自分のために生きているのではなく、他の命のために生きているのだという、利他の根本原則があります。生かし合うのが生きものの姿です、どんな生き物も、命を生かし合っているから生きていける。大きな命の循環に気づきたいものです。

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