2018年11月1日 第238話
             
不説過

    第六、不説過。
    仏法の中において同道同法同証同行なり。
    説過せしむることなかれ、乱道せしむることなかれ。
                          教授戒文

なにげなく放った一言

 早朝の小鳥たちのさえずりは心地よいものです、静寂をやぶるモズの一声にも趣があります。小鳥たちは他をけなしたり、悪口をいったりしているとは思えないから、その鳴き声が美しく聞こえる。自然界には悪口や、誹謗中傷はないのでしょう。言葉を使うのは人間だけであり、人間は言葉によって進化してきましたが、ところが人間は他を傷つける言動もしてしまいます。

 女性達がおしゃべりを楽しむ井戸端会議は、昨今では喫茶店でコーヒーを飲みながらとか、ランチの一時をテーブルを囲んでというところでしょう。井戸端会議では近所の話題が絶えません。放送局という人はどこにでもいるもので、だれだれさんがこうだ、ああだと人にふれてまわることで、聞いた人が面白がれば、それが自分の楽しみであるという人のことです。
 お茶のみ話として他の人のうわさや悪口などで会話がはずみます。 とかく人の悪いうわさや評判を取り上げて語るのは、愉快なことで、人情の常かもしれません。週刊誌の記事は読者にさらなる興味をそそり、テレビはゴシップを取り上げた番組で、話題を拡散して視聴率をとろうとします。

 世の中は人間関係でなりたっているから、友達が楽しそうに語らっている所にいって、話の仲間に入れてもらおうとして、「何か楽しそうですね」と話しかけたときに、「あんたには関係ないよ」といわれると、グサリと心が痛みます。 親友だと思っていたのに、実は嫉妬されていた、陰で悪口を言われていたというのはよくあることです。

 人からひどいことをいわれることがあります。「バカ」「アホ」「消えろ」「ムカつく」「ウザい」などという失礼な一言、汚い言葉での屈辱、「おまえなんか生むんじゃなかった」とか「お兄ちゃんは可愛いけれど、あんたは可愛くない」などと、母親に言われると、人格を否定されたと受けとめてしまう。そういう言葉は心にぐさりと突き刺さります。傷心とは心の深い傷を負って、気持ちが落ち込む心の状態をさしますが、だれかの言葉にすごく傷ついた経験はだれにでもあるでしょう。、

一言が深く刺さって

 他の人の悪口をいったり、けなしたり、また、いじめをしたり、パワハラの行動をしている人があれば、その人の行動をチェックしてみましょう。その人は、特定の人のみを対象にしてそういう行動をしているのか、そうでなく、複数の人を対象にしているのか、いずれであるかということです。特定の人でなく、複数の人を対象としている場合には、そうした行動をとる、その人自身に日常的に満たされない何かがあるから、それで不満のはけ口を他にもとめることで、そういう行動をとってしまうようです。

 また、自分が、他の人から悪口をいわれたり、けなされたり、いじめやパワハラを受けているという場合ですが、受けている自分の側からチェックしてみましょう。それは、特定の人からそういう行為を受けるのか、そうでなく、複数の人から受けているのか、ということです。特定の人でなく、複数の人からそういう行為を受けているのであれば、自分自身に原因があるから、謙虚に反省して、自分の態度をあらためなければなりません。

 慧能禅師があるお寺の門前に来られた時のことでした。二人の僧が問答をしていた。それは山門の上に掲げられた幢を見て、一人の僧はあれは幢がなびいていると、もう一人の僧は、風が幢をなびかせているという。それを聞いていた慧能禅師は幢がなびくのでもなく、風がなびかせているのでもなし、お二人の心がゆれ動いているのだと喝破された。己に自信がないから他を批判してしまいます。
 心が不安定であると、人の過ちを問うことにのみに気持ちが動いてしまいます。

 相手は何気なく言っただけかもしれませんが、ふと投げかけられた言葉で心が傷ついてしまうことがあります。人の心は繊細なものですから、なにげないその一言が深く突き刺さって長い間消えない傷となってしまうことがあります。それでは、どんな言葉にも傷つかないでいるにはどうすればよいのでしょうか。
 最善の策は「気にしないこと」につきます。気にしなければ無害ですから、風に揺れるススキのように、さらりと聞き流すのがよい。うまく受け流す力を身につけたいものです。

信念のなさがいけません

 今年ノーベル賞を受賞された京都大学の本庶 佑博士は、免疫システムにブレーキをかける仕組みを発見し、それをがん治療に応用することで、これまでとは全く異なるタイプの第四のがん治療法を開発されました。がんは毎年、世界中で何百万もの人を死に至らしめる病気で、がんを克服することは、人類にとって大きな挑戦であり目標です。本庶 佑博士の研究によって、がん医療は大きく前進しました。

 本庶 佑博士は受賞の喜びを語られた記者会見で何か知りたいと思う、不思議だなと思う心を大切にする」、「教科書に書いてあることを信じない」、「本当はどうなっているんだという心を大切にする」、「自分の目でモノを見る、納得する、そこまで諦めない」など名言をされました。

 基礎研究のなかに真実がみつかるということです。だからこそ、その ”基本”(教科書)をただ鵜呑みにはしないという、つまり、その基本と言われていることに疑問を投げかけ、新しいことを発見したり、応用するところに、オリジナリティなものを作ることができるのだといわれました。
 他の声にも耳を傾けながらも、自分に確信があれば動じることもなく、他を批判したりそしることもなく、信ずるところのその先を見定めようと研究を進めると、必ずやそこに新しい発見があるのだということでしょう。

 本庶さんは京都大学で開かれた会見で「がんが治った人に、あなたのおかげだと言われると何よりもうれしい。さらに多くの人を救えるよう研究を続けたい」と喜びを語られました。つらくきびしい研究活動が病に苦しんでおられる多くの人を癒やすことにつながっている、すなわち利他の行いでもあるのです。

不説過戒とは、人の過ちをいいふらすなという戒めです

 了見の狭い人は、他人のあやまちや欠点を非難するとか、誹謗中傷、悪口をいったり暴言をはいたり、そしったり、そういうことを言うことによって快楽をおぼえているのかもしれません。そうであるならば、それは人間のみにくい性(さが)です。言葉一つで人を傷つけてしまうのですから、言葉とは恐ろしいものです。

 人が言葉で相手を傷つけるときは、その背後にその人が抱えている不安心やストレス、疲れ、こころの傷、余裕のなさ、などがあるはずです。こころがおだやかで信念があれば、人を言葉で傷つけたりしないばかりか、相手の苦悩に寄りそって、同情心さえをも向けようとするでしょう。

 人には生まれながらに仏心(自性清淨心)がそなわっています。したがって本来の自分とは、他人をののしったり、けなしたりしないものです。
 愛語によって人のこころをおだやかにしてさしあげたり、元気づけたり、言葉は人の命をも救う力さえもっています。静かにおだやかに話しかけ、その人にも善なる心が芽生えるように説いてあげ、褒めてあげると、その人に眠っていた、その人が本来宿している自性清淨心がよみがえってくるかもしれません。

 真実を求め、真実に生きようとする向上心のある人は、広大無辺の境界に生きることを理想とします。そして、この世は共生きの世であると認識している人は、他を幸せにすることが自分の幸せにつながるという、利他心を忘れずに生きようとします。したがって向上心と利他心を生き方の基本にしている人は、他をけなしたり、そしったりしないでしょう。
 言葉の使い方において「説過せしむることなかれ、乱道せしむることなかれ」 。不説過戒とは、人の過ちをいいふらすなという戒めです。

”心の悩み・人生相談”
  二十年の禅僧が語る

生き方上手の術を身につければ
悩み苦しみの迷路から抜け出せる
人生の標準時計に 生き方を合わす
それが、
苦悩な生きる術

 発行 風詠社   発売 星雲社
 書店でご注文ください 
 Amazon 楽天 Yahoo!
 でも買えます1500円(税別)

戻る