第48話  福徳円満

     幸せな人とは、福が身に、徳が心にそなわった、
     福徳円満の人です。

年頭に祈る

 年の初めに、この一年の幸せを願い、神社仏閣に人々は詣でます、神仏にひたすら祈願する初詣は国民的行事といえるでしょう。

 人々は、この一年の幸せを祈願するだけでなく、自分の運勢を占ったり、方位を気にしたりしているようです、神仏に年頭祈願をしても、さまざまな不安要因が気になるから、占いにも興じるのでしょうか。

 神仏に祈る善男善女の後ろ姿を見ていると、善男善女を次の3つのタイプに分けてみたくなりました。
その1.宝くじ願望型・・・神仏に身勝手な願掛けばかりして、努力をしない自分中心型
その2.利益誘導型・・・神仏とギブアンドテイク、見返りの御利益を請求する共存共栄型
その3.感謝誓願型・・・神仏のご加護に感謝し、他のために尽くしますと誓う利他中心型

 神仏に祈る人々の背中に、後ろ姿に「欲」という字が書いてある、世のため人のために尽くさせていただきますと誓う、感謝誓願型を、善男善女の理想像としたいものです。

菩薩は理想の人間像です

 仏の教えでは理想的人間像を菩薩といいます。どんな立場であろうとも、順境であれ逆境であれ、自分のことは勘定にいれず、他の幸福のためにほとけ心をおこすことができるならば、みな誰でも菩薩である。

 たとえそれが崇高な仏の慈悲心として完成していなくとも、一歩でも半歩でも努力する、日常生活において誓願に生きる努力の継続の人こそが理想的人間像の菩薩です。

 誰でも幸せになりたいと願う、幸せになりたいならば、他を幸せにすることです、他を幸せにせずして自分の幸せはない。
 小さな一歩から、まず社会や他人に迷惑をかけない生き方に徹することから、利他の生き方が始まる。

 自分本位の心を捨てて、世のため人のため、生きとし生けるもの全てのために尽くそうとする誓願をおこし、菩薩の生き方を一歩でも半歩でも努力して実践することです。

合わす手に変えてみましょう

 つかみ取り、奪い取ろうと思う手を、合わす手に変えてみましょう。
合わす手に心に、自然と仏心が現れてきます。

道元禅師は 四摂法(布施・愛語・利行・同事)の実践こそ、利他中心の生活態度だと諭されました。

「布施」とは、与え与えられていることを感謝して生きる、心清浄にして欲を離れることです、物でも心でも惜しみなく他に与えることです。
「愛語」とは、自愛の心から出てくる言葉です、やさしい慈愛の言葉がけをすることです。
「利行」とは、他を利すること、見返りを求めず、無条件に相手のためにすることです。
「同事」とは、あなたのよろこびは私の幸せ、自分も相手も思いやる心で一つになれる。

 この四摂法(布施・愛語・利行・同事)の実践によって、自分自身にも苦しきことや悲しきこと、そしてどんな困難をも乗り越えていける勇気と自信がそなわり、心も晴れ晴れします。

欲ボケしてしまった自分を本来の自分(仏)に戻しましょう

  諸仏諸菩薩は人間完成の理想像、いわば人間のお手本です。仏教では 崇拝の対象として神(god)をもたないから、神(god)と人との関係というものもありません。
 仏教は神(god)の救済ではなく、自己の日常修行により生死苦悩から解脱して、利他中心の生活態度を日々行じることを教えています。

 自分のことを棚に上げて、世の中や他のせいにしたり、神頼みばかりで自分を変えていこうと努力しない人もけっこう多いようですが、欲ボケしてしまった自分を元の自分(仏)に戻しましょう。布施・愛語・利行・同事を日々に実践して、我が身に福が、心に徳がそなわるように、幸せな人、福徳円満の人になろうと心がけたいものです。

 経済不況や社会不安の増す現代社会、急激に変化する世情において、スローライフという言葉をよく耳にします、自分の生き方を見直そうということでもあり、経済(金)を基本とする世の中の風潮に対する新しい価値観の模索でもあるようです。

 年の初めにあたり、めざすは理想的人間像すなはち、神仏のご加護に感謝して利他に生きる善男善女の菩薩にすこしでも近づきたいと願い、この一年を過ごしたいものです。
戻る        
 
   2003年1月1日