2003年2月1日
                       
 第49話 命、輝いて
               
  生かされ、生かしあい、生きる


人は、人と関わり合わなければ、生きていけない

 人は独りで生きていけないから、他の人と関わり合います、自分と最も身近な他の人が、妻あるいは夫であり、親または子であります。そして人は社会生活をいとなむ上で、それ以外に多くの人々とも関わり合いをもちます。
 人との関わり合いは、さまざまな悩みを生みます。人生の伴侶として巡り合い、共に歩むことを誓ったけれど、破綻してしまった夫婦、親と子の間に亀裂が生じてしまった家族など、これは身近な間柄の悩みです。

 夫婦・親子は命の絆で結ばれた間柄なのに、思いやる心が冷たくなると、すきま風が吹く。自分に一番近い夫婦や親子といえども、考え方、生き方が異なって当然です、お互いが共生きのために理解と努力をするか、背を向け反目する行動をとるかによって、その展開が大きく異なってしまいます。

 個性ある人間が共に生きていく上で、価値観をすべて共有することは、不可能に近いから、部分的に共有するとか、多様性を相互が認め合うという努力を必要とします、互いが理解する努力をしないかぎり、人間関係は破綻してしまいます。

 仏の教えでは、人には苦しみがつきもので、四苦八苦の8つの苦しみがあると説く。そのうち怨憎会苦(おんぞうえく)、憎いものと会う苦しみ、この逆が愛する者と別れる苦(愛別離苦)です、怨憎会苦と受けとめて憎しみに耐え、愛別離苦に涙する、人生模様はさまざまです。

自分が大切だから、他が大切です

 誰でも自分が一番大切です、たとえば大勢の人と撮った集合写真があります、たぶんあなたもまずご自分のお顔を捜すでしょう、つまりだれでも自分が一番大切だからです。対人関係で悩んでいるお方は集合写真を見る時の、このご自分のお顔を捜す行動を思い浮かべれば、人間の自己中心、身勝手さがよく理解できるでしょう。
 
 したがって、ほとんどの場合、自分が思っているより、他の人はあなたのことを重要視していない。だから他の人の目、他の人の行動をあまり気にしないことです
 そして、人は自分中心にものを見、聞き、話そうとするから、自分が大切だから、他の犠牲になりたくなく、他の人の立場にも立ちたくないのです。

 人は誰でも自尊心・プライドをもっています、それは個性の発揮でもありますが、主観の範囲を超えず、客観的に自分をとらえようとしない場合は欠点ともなります。 個性がうまい具合に発揮されていると、その人は魅力的であると他の人の目に映りますが、自尊心・プライドが他の人となじまない場合は、客観的である他の人の目から見て、批判・軽蔑・離反という冷たい関係に至るでしょう。

 わがまま勝手な人々の上にも太陽は等しく光りをあててくれます、自分中心に光をあびることはない、また自分だけが光をあびないということもない。般若心経では、自分中心を離れることが、ものごとの基本だと教えています、自分勝手な思いをもたず、自他を区別せず、思いをめぐらし、お互いのやさしさを認め合い、やさしさを共感することが本来の自然な姿でしょう。


他の命を生かす、これが自然界の法則です

 人間に限らず、どんな生き物も他の命の犠牲の上に生きています、犠牲になるものを最小にして、他の命を生かす、これが自然界の法則です。人間関係においても同じことでしょう、他を傷つけずに生きていくことができれば、それは理想ですから。

 生きとし生けるもののすべては、この世に生まれ、今生きている、そして死んでいくという宿命にある。夫婦は新しい生命を生み育てるために出会った男と女であり、次の世に命を伝えるために子を生み親となり、子は命を受け継ぐために親に育てられ成長する、親と子の命のつながりです。

 霊長類の研究家である河合雅雄さんは、人間と他の生き物との根本的違いは父親の姿にある、それは家族を守り、養い、夫婦して子を育てるところにあるという。したがって、生まれてきた子供の側からしても、離婚はさけなければなりません、また結婚しないで子供を産むいわゆるシングルマザーも同様です。

 生かされ生かし合うのが大原則ですから、生き物は自殺などしません。生かされ生かし合うということが大原則ですから、これに逆らった生き方をとると人間関係も気まずく、傷つけ合うことになる、最悪の場合は他を死に至らしめることにもなる。どんな事情があろうとも自ら命を絶つということは絶対に許されない、どんな生き物も自殺しないのに、人間だけが愚かにも自殺する、人間も特別な生き物ではないはずです。

 
生かされ、生かし合い、生きる

 地球生命である生きとし生けるもののすべてが生かされ、生かし合いして生きています。人と自然との関わりにおいても、このことは同じであり、あらゆる生き物はそれぞれの個性をもって、共に生きています。自然と人間の関わりにおいても、環境を破壊し、あらゆる生き物の種を絶滅の危機に追いやってしまう人間の勝手な行動は許されない。

 人も自然、宇宙の真実に溶けこんだ生き方をしないと、人と人が、人が自然と、どう関わり合うべきか、根本のところが見えてこない。
 草木や動物の姿に目を転じると、人間のみが己がしがらみにからみついてあたふたと、一人であがき苦しんでることがよくわかります。自然界では植物も動物も共に生き、共に生かし合いして、それぞれがかけがえのない関係を保っています。

 節分、立春、自然界に春のうごめきが感じられるようになりました、福寿草、貝母(ばいも)という春に花咲く植物の芽が出てきたのを見つけました、梅も一輪ほころびました、万作という花も咲きはじめました。小雪舞う寒い日、春は名のみです、山里の寺の庭で、小鳥が必死に冬を越えんと餌探しです、自然の木々や、生き物はそれぞれ体裁をつくろうこともなく、肩肘はることもない自然体だからすばらしい。

 どんな草木、生き物でもじっと眺めていますと生き生きとした感動が伝わってきます、そんな自然から、生かされ生かし合う共生きのパワーをいただくことが、早春の楽しみです。
 それぞれ、飾らない、背伸びしない、ありのままに、自然の恵みを受けて生きています。我意をはって生きているのは人間だけです、だから肩肘はらず見栄はらず、健康に気をつけ、他に迷惑をかけずに只今を生きることです。

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