2003年9月1日

  
第56話  人生は、泣き笑い
   
      仏さまに手を合わせると、仏さまが微笑みかけてくださる、
      この時、自分自身にそなわった仏心と感応道交するから、
      自分自身も仏さまと同じ微笑みの顔になる。    
              
                                                       

「笑」という字

 九月は実りの収穫の時節だから、農家のお顔には自然に豊作の笑みがうまれるのですが、 冷夏の今年はすこし様子がちがうようです。また経済が活況に推移して欲しいと願うけれども、現下のご時勢なかなか笑顔になれません。

 竹の博士、上田弘一郎さんによると、人生において「わらう」ということは大切であるが、その昔 「わらう」という漢字がなかった、どんな漢字としたらよいかと思案にくれていたところ、会議中にたまたま犬が竹の屑籠をかぶって入ってきた、その様子がおかしかったので、皆がどっとわらった、そこで孔子は、犬に竹カンムリをつけて「笑」という漢字をつくられたという、これは上方演芸から出た話であると。

 そしてまた、政治家の前尾繁三郎さんの説として、花が咲くようににこやかなさまをあらわす咲くの源字を、草カンムリを竹カンムリに、天の字を犬に間違えてできた字であると、「笑」という字にまつわる話をご自分の書「竹づくし」で述べておられます。

 人間は生後すぐに笑いの表情を見せます、笑うのは人間の特徴でしょうか、 犬でも猫でも動物は笑わないけれども、笑いの表情で話しかけると、それに応じた動きを見せるから、動物にも気持ちが伝わるのでしょう、民族、宗教、言語、習慣などが違っても、笑いは万国共通語です。

 人は貧(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろかさ)の三毒から離れられないから、煩悩が尽きず、はてない欲望を追い求めて、欲望の楽しみにまつわる笑いが尽きません。 また他人の失敗はおかしいものです、だから、笑われることが恥ずかしいから、笑われないように、恥をかかないようにと心がけます。

笑いは生活の潤滑油です

 質実剛健な人は、ワッハハと、笑いも豪快です、物静かなお人はホッホホとひかえめです、笑いを50音で分けると、ア行、ハ行、ワ行の笑いになるでしょう。アッハハ、ハッハハ、ワッハハは共感のもてる笑いですが、ア行でイッヒヒ、ウッフフ、エッヘヘ、オッホホ、カ行でキッキキ、クックク、ケッケケ、コッココ、ハ行ではヒッヒヒ、フッフフ、ヘッヘヘ、ホッホホ、などの笑い方をしますと、ことわざにありますが 「笑う者は測るべからず」常に笑顔を絶やさない人は、真意をはかりかねて、かえって恐ろしく感じるものです。

 また「笑みの中の刀」ということわざのとおり、表情は穏やかな人柄に見えても、油断は禁物、いつ豹変するかわからない人、あの笑顔がくせ者と、警戒されますから要注意です、笑い方にも注意をはらいたいものです。

 悲しい時には涙が出ますが、本当に心底から腹を抱えて、腹の皮がよじれるぐらいに笑う時、おかしくて涙が出るものです。悩み事や心配事があると心底笑うことができなくなる、悩み事があっても心配事があっても、いつも変わらない笑みの人は人生の達人といえるでしょう。

 笑いの表情が少なくなってきた現代人、とりわけ愛らしく澄み切った黒い瞳を輝かせて笑みを浮かべる子供が少なくなったように思います。笑いは生活の潤滑油です、大いに笑い、いつも笑顔をたやさない、気持ち明るく生きることを心がけたいものです。

「笑い」が有用な遺伝子を活発化させる力をもっている

 臨床心理学者の河合隼雄さんが、筑波大学名誉教授の村上和雄さんのご研究の話として、「笑い」は遺伝子にも影響することを新聞のコラムで紹介されました。

 「糖尿病の患者は血糖値が上がりすぎて困るのだが、食事の後で、大学教授の講義を一時間聴くのと、吉本興業のお笑いを楽しむのとではどうなるかを比較する。食事後は血糖値が上がるのだが、糖尿病の患者、25人の結果の平均を見ると、講義の後では、血液100ミリリットルあたり122ミリグラム上昇したのに対して、吉本興業の後では77ミリグラムしか上がらなかった。」「笑い」がいかに大切かを実験的に立証された、「笑い」が有用な遺伝子を活発化させる力をもっているという。

 そして、河合隼雄さんは「笑い」だけでなく、ほんとうに「自由」にリラックスすると、遺伝子の活性化が起こり治ってゆくのではないか、と考える。外から治すのではなく、「内から治る」のである、と「笑い」が大切であることをお忘れなくと言っておられます。

笑いは幸せを生み出す大きな力となります

 人生は泣き笑いです、生きているから、悲しい時に涙が出ます、本当にうれしい時にも涙が出ます。人間だから、自分のことだけでなく他の人のことでも涙を流すことがあります、それは慈悲心がそうさせるのでしょう。

 手を合わせて仏さまのお顔をあがめる時、仏さまが微笑みかけてくださる、これは仏さまの慈悲心が自分に伝わり、自分自身にそなわった仏心と感応道交するからでしょう、この時、自分自身も仏さまと同じ微笑みの顔になっています。

 仏の慈悲心とは、「慈」(いつくしみ)、人間ばかりでなく一切の生きとし生けるものすべてがみな安楽であるように願う心、「悲」(あわれみ)とは一切の生きとし生けるものがみなこの苦しみから脱れるように念ずる心です。
 仏教では願わしい心境として、慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)、喜(よろこび)、捨(心の平静)の四無量心を説きますが、この心境で日々を生きていくことができれば、お互いが、いつも笑顔で共に生活できるでしょう。

 「笑う門に福来たる」といいますが、常に笑い声の絶えない家には、ひとりでに幸福がやってくる、辛く困難なことが多くとも、笑いから道は開けるものです。「和気満堂、和気財を生ず」という言葉がありますが、辛く困難なことが生じた時、笑ってばかりおれないというけれど、笑いは希望と勇気を生み出す原動力となります、笑いは幸せを生み出す大きな力となります。


 俗に無財の七施と言いますが「笑い」はまわりを明るくして、他を幸せにする力をもつことから「笑い」は布施行です。
秋のお彼岸の間だけでも満面の笑顔で過ごしたいものです。
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