2003年11月1日

    58話  救われる仏から、救う仏に

     迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北
     めいこさんがいじょう  ごこじっぽうくう  ほんらいむとうざい  がしょうなんぼく


献体

 お寺で七回忌のご法事がありました、久しぶりにご親戚や縁者がお顔をあわされ、談笑の一時でした、まず話題になったのが七回忌をむかえた故人(A子さん)が献体されたことでした。
 六年前のことが思い出されます、A子さんの訃報が届きました、県立医大にご遺体が献体されるとのことでした、生前に本人が申し出ておられ、遺書があることも、合わせてご連絡がありました。献体ということで、葬儀をどのようにすればよいのか、ご家族の方もいささか困惑気味でした。

 献体として医大に送られる前にご遺体を自宅に帰して、身内やご近所の親しくされていた方々とのお別れの時間を持ちたい、との遺族の希望を医大側も受け入れてくださいました。拙僧も急ぎ駆けつけて枕教を読ませていただき、末期の水を差し上げ、頭髪を少し切らせていただきました。 十分な別れを惜しむ間もなく、ご遺体は医大の方へ搬送されて行きました。

 翌々日にご自宅でささやかな祭壇を組み、花をいっぱい飾り、遺髪をご遺体の代わりにして、葬儀をつとめられました。ご近所の親しくされていた方、お友達にもお別れを告げていただきました。ご遺体がない葬儀でしたから、荼毘に行くこともなく、ご葬儀の後、ご自宅の祭壇の前で食事をとりながら故人を偲びました。そして四十九日にその遺髪を墓地におさめられました。
 遺骨が帰ってきたのは、一周忌が済んでしばらくしてからでした、翌年の三回忌に納骨されました。

落胆と悲嘆

 A子さんは連れ合いのご主人様を亡くされてより約20年、さまざまな艱難辛苦を乗り越えて生きてこられました。一人息子さんは、ご主人の亡くなられる3年前に大学を卒業され、社会人になっておられましたが、ご主人が突然死であったから、落胆と悲嘆のために、しばらくは奈落の底に沈んでしまわれたかのようでした。

 ご主人の一周忌が過ぎてしばらくしてから、お目にかかり相談したいことがありますという申し出がありました。お会いして話を聞かせていただくと、出家して尼僧になりたいとのことでした。それで修行に行く先を紹介して欲しい、それまでにどういうことをすればよいのか教えてほしいとのことでした。最愛の伴侶を亡くされ、意気消沈され、心細いと嘆いておられましたのに、ご自分の意志で、ご自分の力で歩み始めようと決意されたのですから、大きな変わりようです。

 今、発心して尼僧をめざされるのもよろしいでしょうが、体力的にだいじょうぶですか、年齢からすると、かなりのご覚悟がいるでしょう、山里の20戸の村に兼務の寺があります、ここに住んで寺での生活に慣れるのも尼僧への一つのスッテップになるでしょうと、申し上げると、即座に近く引っ越してくるということで決まりました。

自立自活

 爾来5年その山里の寺にお一人でお住いになりました、ご自宅からは車で40分の距離ですから、息子さんも時々おこしになり、村の方々とも親しくされ、畑仕事やお寺の清掃と、都会の生活に慣れたきゃしゃなお方が半年もすると随分たくましくなられました。

 都会の喧噪の中では味わえない、風の臭い、生き物が生長する息吹、自然と共に生きる、山里の寺での生活でした。小さな村にも境遇を同じくする人との交流があり、人情の機微に触れ、互いに癒しあい励ましあいするうちに、自立自活の力をつけられたのでしょう。やがてその兼務寺が事情により他の僧侶が住職に入ることになり、寺を出なければならなくなり、ご自宅へ戻られました。

 都会では公民館活動や高齢者文化教室がありますので、ご自宅に引っ越されるや、陶芸他いくつかの文化講座にもお入りになり、多彩な才能を発揮されました。ご主人がおいでになる頃のお姿と比べると別人のようでした。山寺での生活が自然と一体であったのに対して、都会での生活は人間関係の上に成り立つているようなものです、交友範囲も広域となり、多くのお方との出会いを楽しんでおられました。

諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽

 こうしてA子さんは伴侶を亡くされても、悲嘆の底から這い上がり、精神的にも自活力を身につけられました。ご主人との死別から、自らの命が尽きるまでが、菩薩となられるご修行の期間でもあったようです。自らの身体を医学生の研究材料として、献体して世のためにささげようとされた動機も、菩薩の慈悲心からの発露でありましょう。

 人間は爪の先まで自分に執着します、自己の欲望を充足するためです、自己中心的であり、自己防衛的です、これらを総称して煩悩というのでしょう。
 献体とは自己のすべてをさらけ出すことです、死後だから自己執着が無いというが、死後のことは誰も知るよしもない、まぎれもなくその決断は存命中になされるのです、死後に他人が判断するのではなく、生前においての自己判断によるものです。

 雪山童子は真の教えが得られるならば、命をも惜しまなかったと伝えられています、自らの身体を羅刹(食人鬼)に献じようとする時に、自らの身体と引換えに羅刹から聞いたとされる詩句があります「諸行無常 しょぎょうむじょう 是生滅法 ぜしょうめっぽう 生滅滅已 しょうめつめつい 寂滅為楽 じゃくめついらく」です、これは野辺の送りの葬列の幡に書かれる詩句です。

 自己の肉体を他に施すために、白日の下に自己をさらけ出すことができる人、それは心身の脱落した思いよりなせる決断であります。救われる仏から救う仏になられたのです、苦悩のすえに、艱難辛苦を乗り越えて到達された崇高な境地であります。

 人間は屍となりてもお骨になっても、物ではない、人格が消滅するということもない、やがて自然に帰り山川草木と同じく森羅万象の諸仏となる、七回忌を迎えあらためて故人を偲びご冥福をお祈りもうしあげました。
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