第64話   2004年5月1日     

       感応道交  かんのうどうこう       

         
 子供の背丈で心かよわせましょう

 0歳児の赤ちゃんに、お乳を飲ましておられる時に、突然赤ちゃんがお乳を飲むのをやめてお母さん、お父さんの顔をじっと見ていることがありますね、その時に赤ちゃんを揺すって、「早く飲みなさい」と言っていたら、その赤ちゃんの感情の発達にものすごく影響するそうです。お母さん・お父さんが微笑みかけてあげる、このことが子供の成長の上で重要であるといわれます。

 またその子供が成長して、歩き出すようになったとき頭ごなしに子供をしかりつけるよりも、子供の目の高さ、大人がしゃがんで子供の顔を見上げるような目線で子供を見ると、子供の思いが伝わってくるものです。目の高さをそれぞれ子供の成長に合わせるいう子育てが基本でしょうか、でも、なかなか子育て真っ最中の親にはその余裕がないというのが本音でしょう、ずっと後になってから気づくものです。

 人と人との関係において、大事なことは互いの姿勢でしょうか、目の高さに注目したいものです。目の高さは低いほうがよい、地面に近いほど、ものごとが自然に正確に把握できるでしょう。原っぱや公園の芝生に寝っ転がって周りの景色を眺めると、すこし違った新鮮な感じがする、だれでもこういう印象を受けたことがあるでしょう。

 思い悩むことがあれば、地面に寝っ転がって風に吹かれて、周りの景色を見渡して見るのもよいかもしれません。

 大地に生まれ、大地に生き、大地に死んで逝く、だから大地の高さに生きる

 「小」という文字の字源について考えてみましょう、小の字こそ命の始まりを表わす文字のようです。大地に植物の種が一粒落ちました、やがて土を盛り上げて大地に芽を出す、この時の姿が小という字になったそうです。

 「生」まれるという字は芽を出した植物が土に根をはって枝葉を伸ばし、大きく育っていく姿が字になったそうです。やがて成長して枝葉が茂る、茂るという字は成という字でもあります。

 このように植物が大地に芽を出すこの時の姿から小という字ができた、大地はものの生まれるところ、小の字はものの始まりをあらわしています、だから小人(子供)の小という字は、大きく成長する将来の可能性をひめている、という意味もあるのでしょうか。

 植物が大地に芽を出し大地にしっかりと根付き枝葉をのばし成長する、この姿が生きるという字になった、そして花を咲かせて実を結び、新しい子孫を残し、滅していく。
 大地はすべての生き物が生まれ生きるところです、人も同じです、ここに人生の始まりがある、だから生きる姿勢を、目の高さを、いつも大地の地面におきたいものです。

  
 坐して天地の呼吸に自分の命の歩みを合わせてみましょう


 目の高さを、生きる姿勢を大地の地面におくことを人々にお説きになったのがお釈迦さまです。6年にわたる苦行の末に大地にどっかりとお坐りになり、すなわち菩提樹のもとに坐禅をなさった、そして大いなる悟りを得られた。

 我と大地と有情と山川草木悉皆成仏、この世はことごとくが輝きに満ちているとおっしゃった。世のあらわな姿に感動されたのです、これをお釈迦さまの大いなる悟りとよんでいます。

 お釈迦さまは大地、その地面の高さに自らの生きる基本の姿勢をおかれ、お悟りになった。そのお悟りのことを証という、証は坐禅なり、只ひたすらに坐る只管打坐です、そして日々の悟りの生活が修、すなはち修行です。

 大地の高さに身をおいて、この地球の呼吸に自分の命の歩みを合わせる、大地とすべてのものと一つになる、等しくなる時、いっさいのこだわりもない、肩に力が入った自分もない。


 この世は悩み苦しみのない阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)の世界です

 お釈迦さまは大地に坐して悟られた、この悟りを一言であらわしたものが阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)という言葉です、これはものごとの真実真理ということです。

 この世は真実真理で満ちあふれています。けれども私たちは三毒
すなわち貧瞋癡(むさぼり・いかり・おろかさ心)のためにわがまま勝手にふるまっています。草木もさまざまな生き物もみな、ありのままの姿で身に何もつけていない裸です、一本たりとも洋服を着た木はない、人間だけが奇麗な服を身につけて、似合うかどうか悩んでいる。

 この世はありのままの裸の世界であり、悟りの世界です、この世に私たちは生まれて、生きている、けれども人間は三毒
すなわち貧瞋癡(むさぼり・いかり・おろかさ心)のためにさまざまなことに執着して、自分で煩悩を大きくして苦しんでいます。

 この世は、真実真理の阿耨多羅三藐三菩提の悟りの世界です、悩み苦しみのない世界に生まれ、生きていることに気づき、執着心を離れることが気楽に生きるすべでしょう。
 不安な時代です、なにごとにおいても落ち着かない現代人にとって、視点を地面の高さにまで下げてものを見ることが、より良き生き方につながるでしょう。しっかりと地に足をつけ、いつも生きる姿勢を原点の地面の高さにおいて、身の丈をわきまえて、只今を生きることです。

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