第68話      2004年9月1日


                 
ほとけ心をおこす
  仏々祖々、まず誓願をおこして衆生を済度し、
   しこうして苦を抜き楽を与える、すなはち家風なり  道元禅師

 
我は仏にならずとも 生きとし生けるものみなを もらさず救いたすけんと
誓う心ぞ仏なる


 ほとけ心に目覚めた生き方をするということは、自分本位のものの考え方を捨てて、世のため人のため、生きとしいけるすべてのもののために尽くすのだという誓願せいがんをおこし、実践することでしょう。

 私たち仏教徒の生き方は 「みずからは仏にならずとも、他を仏にし済度さいどする」 という誓願をおこして、これを日常生活で実践することです。
 それは出家、在家、年齢、性別を問わず、どんな環境や条件であろうとも、他を救済する心をおこし、実践することが仏教徒の生き方です。

 自分が幸せになりたいと思うならば、他を幸せにすることです、他を幸せにできないで、自分の幸せはありえない、これは世の中の真理です、このことにまず気づくことでしょうか。この世で一番美しく尊いものは慈しみの心と行為です、自分のことはさておき、周囲のものの真の幸福のために、ほとけ心をおこすことです。

 他を幸せにしたいとの願いをいつも心に思い続けることです、世の中の衆生を利益りやくするための教えを道元禅師は説かれた、それは日常生活において、どのように四摂法ししょうぼう(布施・愛語・利行・同事)を実践するかにかかっています。
 これまでの自分をふり返り二度とない人生を幸せなものとするために、日々が四摂法の実践生活でありたいものです。

 その第一の布施ふせは、すなわち幸せを一人占めせず、精神的にも物質的にも広くあまねく施し、与え与えられていることを感謝して生きることです。

 第二の愛語あいごは、慈悲・慈愛の心をおこし、愛情豊かな親切な言葉で語りかけることです。慈愛の心からほとばしり出る親しみと思いやりのある言葉は一言一言すべてが人々の心を和ませる。愛語は社会を正しい方向へ動かす大きな力となります。

 第三の利行りぎょうというのは見返りをもとめない利他の行いであります、自分のことは勘定に入れず、他の幸福のためによき手だてを廻らすことです。

 第四の同事どうじというのは、自分を捨てて相手と同じ心・境遇になって、ほとけ心をはたらかせることです。

 自らが幸せになりたいと思うならば、他を幸せにしない限り、自己の幸せはない、すなわちこの四摂法の実践こそが己の幸せそのものであると、心得たいものです。

 すなわち慈しみの心と行為とは布施(ものでも心でも惜しみなく他に与える)、愛語(やさしい慈愛の言葉がけをする)、利行(無条件に相手のためにする)、同事(自分と相手と一つになる)の実践です。

 人間は欲があるから生きられるのでしょうが、心清浄にして、自らが自らを苦しめることになる強欲の心、すなわち煩悩を離れることが肝心です。他を幸せにするためにエゴを捨てて悩み苦しむ人を救う利行は自他ともに幸せになることです。

 思いやりの心で自他を区別しない同事(共生き)の生き方こそ、あなたの喜びであり、私の幸せであります。生きとし生けるもののすべてに希望の光を与え、幸せをわかちあう、この四摂法の実践を心がけたいものです。

 秋の彼岸は実りの秋の感謝の週間です、生かされている自分を知り、世の中のすべてに感謝して、世のため人のため、生きとしいけるすべてのもののために尽くすのだという誓願のもとに、四摂法を実践する週間です。
 
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