第82話      2005年11月1日





時は移り、世は変わっても、自然の青山はそのままで変わらない、
人は皆、自分で自分を忙しそうにしているけれど
自然の山は閑しずかなり
  

勤労感謝の日

 11月23日は勤労感謝の日です、戦後1948年に国民の祝日が定められた、勤労を尊び、 生産を祝い、国民は互いに感謝しあいましょう、という趣旨で勤労感謝の日が定められました。

 この11月23日は、新嘗祭 (にいなめさい) を意識して定め られたものといわれています、「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいうそうです。 新嘗祭は古くからの国家の重要な行事であり「瑞穂の国」の 祭祀を司る最高責任者である天皇(おおきみ)が国民を代表して、農作物 の恵みに感謝する式典でした。農作物 の恵みに感謝するのが新嘗祭であり、国民は互いに勤労を感謝しあいましょう、という勤労感謝の日とは意味あいが少し異なります。経済発展のために、働け働けという勤勉を是とする国民意識の高揚に勤労感謝の日が設けられたようです。

 高度経済成長期をへて、衣食住が満たされてくると「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」という交通標語がありましたが、はたして忙しくしていることが良いことであろうか、という疑問もうまれてきました。働き過ぎは良くないということで、週間の労働時間を短縮して、国民の休日も増え、土曜日の休みも合わせると連休も増えました。

忙しいとは、心を亡くすると書きます

 日本人は勤勉な国民だといわれています、勤勉でよく働くから経済も豊かになり、社会も安定すると、よく働くことが良いことだとされてきました。挨拶にも「お忙しいところ恐れ入りますが・・・」などと表現する、「お忙しいでしょうね」と、忙しいのがあたりまえで、忙しくなければまともな生き方をしていない、怠けている、ぐうたらな生活者だというレッテルさえ貼られかねないのです。だから夕刻になると「お疲れ様です、お疲れのところ・・・」などとねぎらいの言葉が語られる、疲れているのが当たり前、なのです。

 働くとは、はた、すなわち家族を楽にすることだから、辛く苦しい仕事でも我慢する。働くとは人と動とを合わせた字ですから、よく動くことだとも理解され、こまめに身体を動かしていることが良いことだと理解する風潮もある。

 忙しいとは、文字では心を亡うと書きます、仕事を優先するあまりに家庭を省みない父親、収入のため自分の生きがいのためにと、いつしか子どもの気持ちを把握できなくなってしまった母親、まさに心を亡くしてしまう、これが忙しいということでしょうか。

ともに生き、ともに栄えるための勤労を美徳とした価値観が崩壊してきた

 経済効率をひたすら追い求め続けて日本は戦後60年をむかえました、バブルが崩壊して経済が低迷してくると、リストラ、早期退職がおこなわれ、生涯雇用、年功賃金といった就業形態も大きく様変わりしてきました、契約社員とか派遣社員やパート雇用などが多くなりました。海外への生産拠点の移転や規模縮小に伴う人員削減、派遣社員の活用など、さらなる経済効率を求めるようになり、人間がコストのみとして評価されるようになりますと、人の能力、技術評価に生きがいを求めた人は、生きる意味を見失ってしまうでしょう。

 人間性の喪失という負の部分が大きくなると、生きる意味を考えることなく走り続けてきた人々には、心の揺れ動きが大きく、中高年の自殺にもつながります、また金銭をめぐる犯罪も多発しています。
 企業にとってお金は血液にあたる事業資金ですが、経営権を奪い取ろうという株の買収を目的として動く巨額のお金は、勤労の成果物とは別物のマネーとして、人・物・金で成り立っている企業活動をも左右しょうとします。公共の放送を、また多くのファンに支えられた野球球団をマネーの力で経営権を奪い取ろうとする行為は、人々の共感が得難いものであろう、顧客に感謝することを忘れ株主利益のみに走れば大きなつまずきをする、老舗の生命保険会社が今、存亡の危機に瀕しています。

 その年に収穫された新しい穀物のことを「新嘗」というそうですが、今年もお米が穫れました、きらきらと光るお米も、豊作は必ずしも喜ばれず、米づくりの情熱や大地の恵みへの感謝の気持ちよりも、国際的流通の時代においてはコストが問題なのです。人間のエゴというか、自然の摂理を無視した人間の愚かな行為が多くなりました、一代しか穫れない野菜、遺伝子組み替えなど、種苗業者の利益のみを追求したもの、化学肥料と農薬と大規模な灌漑施設は農地の地力を弱め、自然の荒廃につながる、養鶏や養魚、畜産においてもそうですが、人間の利益追求からくるさまざまなしっぺ返しを自然から受けることになるでしょう。

 働きたくとも働けない、働く環境に恵まれない、働いても報われない人も大勢います、競争を是としながらも、ともに生き、ともに栄えるための勤労を美徳とする価値観が崩壊してきたことも問題です。

忙しい中の一時の閑(しずけさ)

 勤労を美徳とする日本人には理解できないことですが、地球上には、働くとか仕事とか、そういう意味の言葉さえ持たない民族もあるそうです。働くとか仕事とかの意味ずけなどしなくても、共に生きていけるということです、理想とする共生社会であり、人と自然の共生の世界です。

 最近では、忙しいばかりが人生でないから、スローライフをしましょうという言葉も聞かれるようになってきました。また忙しいということを受けつけない若い人も多くなりました。汗水たらして懸命に働き、艱難辛苦をのりこえる苦労までしてお金を得たくないという考え方の人もいます。若年層の就業率が低下しています、ニートとよばれる若者も多いようですが、働くとか仕事とか、そういう意味の言葉を必要としないで生きられるような社会は理想ですが、ありえないでしょう。

 現代人は天地自然に生かされて生きていることを忘れています、自然の恵みに感謝する閑(しずけさ)の時を持ちたいものです。この世の中のすべての生き物、すべての人々は皆、関係しあっているからこそ生きることができるのです、共に生きているという、この世の道理をわきまえる閑(しずけさ)の時を持ちましょう。そして働くことを通して人は社会的に共生しています、他のために働く、他を幸せにするために働く喜びを感じる閑(しずけさ)の時を持ちましょう。

「忙中閑」とは、忙しい中の一時の閑(しずけさ)という意味です、「忙しい」という字は「心」を「亡(うしな)う」と書きますが、心を亡うほど忙しい時にこそ、自分を取り戻す時間も持ちたいものです。
 ともに生きていくために、ともに栄えるように、働けることが幸せであります、
11月23日は勤労感謝の日です、勤労の美徳をたたえあいましょう。


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