第83話      2005年12月1日

     今、輝く

      生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明(あき)らむるは
      仏家(ぶっけ)一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)なり 【修證義】


悩みを深めることによって生きる力がついてくる

 若者の悩みの姿が変わってきたといわれる、かっての若者は、生まれてきたこと、死んでゆくこと、自分の生き方に悩み、その悩みを解決しょうと努力してもうまくゆかない、あるいは解決法がわからない、自分の悩みの状態についてよく説明ができないと悩んでいた。

 自分はなぜ生まれてきたのだろか、とか、そもそも人生の目的とは何か、などと考えて、悩みが深くなり、この自分はなんと困った人間だろうとノイローゼの状態になっていった。でも悩みを深めることによって、自ら解決法を見いだし、自ら生きる力をつけていった。

 でも最近の若者はすこしちがうという、自分の悩みの状態についてよく説明ができる、悩みの原因だとする人物や人間関係を指摘するからです。すなわち自分の心の内に入り込んでいくのではなく、原因を他に求める、そしてその原因を除去していこうとする、こういう流れだから、本人はノイローゼ状態には陥らない。
 最近の若者にはノイローゼになるための力、「ノイローゼ力」が衰退していると、臨床心理学者の河合隼雄さんが指摘しておられます。

六道めぐりの生活

 私たちの生きざまにはさまざまな姿があります、仏教ではこのさまざまな様相を天上界、人間界、阿修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六道というかたちで表しています。私たちは日々この六道をぐるぐるとめぐっているようなものです。

「天上界」は幸せばかりで苦しみのない世界です、
「人間界」は悩みもあれば喜びもある、苦しみもあれば楽しみもある、悲喜こもごもです、
「阿修羅界」は争いの世界で、ののしり叩きあい、殺しあいが絶えない、戦争もそうです、
「畜生界」ではすべてが自分本位で、わがまま勝手にしか生きようとしない、
「餓鬼界」とは心身ともに満たされることがなく満足のないところです、
「地獄界」は苦しみが尽きず苦がまた苦を生み出す、苦しみだけの世界です。

 これらの世界は生まれる前、すなわち前世でもなく、死後の世界でもなく、すべて日々生活しているこの世の現実そのものです。六道といっても、区分されたそれぞれそういう世界があるというものでなく、渾然一体となった、この現前の世界そのものです。

煩悩があるから覚りもある

 天上、人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄、この迷いの世界(六道)を私たちはぐるぐるとめぐって日々生活しています。迷いながら生活している私たちですが、迷いにすら気ずかずに日々を過ごしています、煩悩があるから迷うのですが、煩悩があるから覚りもあるのです、明と暗みたいなもので悟りも迷いも、渾然一体のもので、ここを理解することが、本来の生き方を体得することでもあります。

 お釈迦様は生老病死などの苦からの脱却、煩悩の払拭を求めて出家され、難行苦行の末に菩提樹下の禅定に入られた。静かに時がながれていました、お釈迦様は明けの明星の輝きを目にされた時、一切の輝きに我を忘れ、いいしれぬ感動の深い喜びのわき上がる実感を得られました、その輝きは心静かなものでした。
 この世のすべてのものはみな輝きに満ちています、草木の香り、鳥の声、大地の生きとし生けるものの躍動、風の音、石ころや朽ちた木っ端まで、すべてが輝きの中にあります。

 菩提樹の下で静かにお坐りになっていたお釈迦様は、明けの明星の輝きに目をとめられた時、この世のすべてが光り輝いていることに、感動され「我と大地と有情と同時に成道す」と心で叫ばれました。

自分自身を輝かせることです

 この世の中のすべてが光に満ちあふれて輝いているのに、私たちはこのことに気づかないでいます、輝きを美しいと受けとれない何かが自分にあるからです。自分の気持ちに差し障りがあるから、素直に受けとれないのです、このぼやっとした差し障りのことを煩悩といいます。その煩悩を捨て去り、ぬぐい去れば、ほんの一時でも、美しいものを美しいと思え、美しいと見ることができる、でもまたすぐにその煩悩の差し障りが、目の前をふさいでしまう。それで常に自らの心を磨く努力をしなければいけないようです、これを精進というのでしょう、日々そういう生き方を心掛け実践することを修行というのでしょう、少しでも精進し、修行していれば、美しいと思う心を、美しいと見る目を、美しいと聞く耳を持つことができるでしょう。

 煩悩を滅除して、無我になれた時、自他の区別はなくなり、一切が空であることをお釈迦様は覚られた、明けの明星の輝く12月8日のことでした。衆生本来仏なり、人は生まれながらに仏でありますが、なかなかそのことに気づかないのです、そのことに気づいた人を覚者といいます、そして自己に目覚めた生き方ができる人を仏といいます。

 悩み苦しみの原因を他に求めようとするのが現代の風潮です、親、友達がこうだからとか、世の中みなそうだ、社会が悪い、などと、悩み苦しみから逃れるすべを他に求めてしまいがちです。自分自身の見方、聴き方、思う心を変えてみることです、輝けるこの世界に生きる自分自身を輝かせることです、そうすれば日々が輝きの喜びの世界に変わるでしょう。

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