第104話  2007年9月1日
         
          
生死は仏の姿なり

       他の人々が「安楽」であると称するものを、
      
諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
      
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、
      
諸々の聖者は「安楽」であると知る。
      
解し難き真理を見よ。無智なる人々はここに迷っている。
                      
「仏陀の言葉・スッタニパータ」


生老病死は命の姿


 現代の日本人は「死」に無関心だといわれますが、「死」を忌み嫌い避けて、その意味を考えないようにしている人が多いから無関心になっているのでしょう。「死」について考えたくも、思いたくもないということでしょう。長寿社会になり、医学療法が進み、戦争の危機などなく、経済的にも豊かな平和すぎる社会に住んでいるから、我々日本人は、日常生活で「死」を自分の問題としてとらえることをしないのでしょうか。でも生きることに迷いつまずいた時や、病気の時、身近な人の死に直面した時、また、何気なく老いを感じたりした時など、誰もがふと「死」を思うものです。ところが、死の体験を自分で知ることがないということだけは断言できそうです。

 民族的生死観というものがあるのならば、欧米人の生死観は、生か死でとらえ、これに対して日本人は生老病死としてとらえることが多いようです。日本人は死を成熟の終着点として迎えるようです。老と病は人間の成熟過程で、死はその成熟のはてにやってくると考えるからです。だから日本人は成熟して死をむかえる、自らの臨終の時をどのように迎えるかが、重大な関心事でもあります。人生八十年の時代では、老を成熟と呼ぶべきでしょう。生まれてくること、日々生きていくこと、死んでいくこと、これは生死する命の姿です。

 病院で死ぬことが多くなったために、そう長くないうちに死をむかえるであろう人にどう接するか、介護や看取り、その対応の仕方、末期患者のケアが問題です。死後の生まれ変わりを信じさせ、死の恐怖をときほぐし、安らかに死をむかえる心準備を説いてあげることでしょうか。医者の処方にゆだね、末期ガンの患者には麻薬を用いて、せめて苦痛だけでもやわらげてあげるとしても、どうすれば精神的な癒しをあたえてさしあげられるのでしょうか。

 しかし、どんなお方であっても、けっして死にゆく人だと思ってはいけないでしょう。この世に生まれてきて良かった、人とのつながりや、これまでの歩みのすべてが、ほんとうに喜びに満ちた人生であったと、振り返りながらも、与えられた命を生きぬく希望と喜びの心を持ちながら、安らかな死をむかえさせてあげることがより自然ではないでしょうか。
     
死の重み、生の重み

 亡き人が、人々や社会に認められ、輝かしいご功績を残されたとしても、血の出るような苦労と努力を重ね、財や地位を築かれた人であっても、その人の生きざまをかえりみる時、心の琴線に響かないこともあるでしょう。では、人の幸せとは何か、生きている時が花や、死んでしまったらおしまいだ、などと、短絡な言葉は慎みたいものですが、つきつめていくと「今、生きている」そのことにつきるようです。 

 お釈迦様は、人がこの世に生まれてくることは、「受け難き人身を受けたのだ」と教えられました。それは先祖から父母へと続く命をいただいたということです。しかもさまざまな命に支えられ生かされているという事実にもとずくものです。お釈迦様はまた「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてか、この身を度せん」とも説かれました。だから先祖や天地自然に畏敬の念をもち、謙虚な姿勢を生き方の基本として、ただひたすらに今生を生きぬくということでしょう。

 病院での死は自宅での場合と違い肉親との距離をつくってしまう、遺体に触れることさえない場合もあります。亡者の葬送儀礼が葬祭業者にゆだねられると、遺体は商品化されていきます。湯灌、納棺だけでも身内の手でつとめたいものです。死者の顔ほど安らかな姿はなく、痩せこけた母の亡骸に自分の親不孝をふと思うものです。最後の別れとなる葬送儀礼を通して、死の重み、生の重みを感じ取りたいものです。

 人の死、それが身近な人である場合は、悲嘆、落胆は大きいでしょう。その程度は深く、長く続きます、場合によってはそのショックから立ち直れずに、自分の命をちぢめる人もある。 
 日本人は欧米人と比べると、この悲嘆、落胆からの回復の程度が早いといわれています。死が突然である場合と、病床看護がある程度なされた場合と、老若、男女によっても違いはあるけれど、死別しても追善供養(死者の冥福をいのり、供物をそなえて回向する)をとおして、死者は永遠に消滅したのではなく、亡き人と一体感をもち続けることができるからです。

生者を救う追善供養であってこそ、死者も救える
 
  葬式において僧侶は、死者を仏の子として涅槃(不生不滅の悟りの境地)へと導きます。そして、中陰、百カ日、一周忌と供養を重ね、亡き人はいよいよホトケとして寂静平安の境地に入っていただくのです。しかし亡き人は遠いところへ行ってしまうのではなく、位牌として仏壇に、墓石として墓地にまつられるから、寂しい時、悲しい時には仏壇に向かって語りかけ、また墓に参ることによって亡き人(ホトケ)との対話ができるのです。

 仏壇に食物を供えることによって、同じ空間でホトケ(亡き人)と家族が共に食事をしていることになります。仏壇を身近に設けてホトケと生活を共にしているので、愛する人と死別して、悲嘆のどん底にあっても、気持ちがやわらぎ、ホトケが生きる希望を与えてくださいます。こうした行為により悲嘆、落胆の気持ちもしだいに癒されていくのです。日本人は亡き人とともに生きる仏壇という、すばらしいものを持っています。

 仏教では49日の中陰(中有)の期間をもって人の一生の終わりとします。中陰(中有)の期間を短くする傾向が見られますが、その人の一生を短くしてしまうことになります。悩み苦しみながら死んだ人や、子供の死、突然死、事故死の場合は、中陰の期間がとても大切で、短期に略さないようにしたいものです。それは遺族が中陰のつとめに忙殺されているうちに、悲嘆に打ちのめされることなく、時が過ぎゆくからです。
 日本人の霊魂観では、中陰の49日間は追善供養を受けて、亡者が新たな祖霊(ホトケ)となる修行期間だと解釈します。それは荒御霊(アラミタマ)がしだいに敬愛される和御霊(ニギミタマ)の先祖霊となるための初期過程でもあります。 

 死んでしまった者には何もわからないので、亡者にたいする追善供養は死んだ者に対する生きた者の単なる形式的儀礼ではないかという人がいますが、亡者やご先祖への供養は同時に、自分の幸せづくりの始まりだと理解したいものです。肉親や縁者など身近な人の死に直面した時に、無常を観じます、無常を観じさせてくれたことを、亡き人に感謝したいものです。なぜならば、無常を観じることが幸せな生き方に通じるからです。 
   
自らの心の仏に目覚める

 「千の風になって」という歌が、亡き人を偲び、生きる心の糧となって、多くの人々に安らぎと生きる勇気をあたえています。亡き人が風となって地上に吹きわたり、また雪や雨となって大地に降りそそぎ、草木として花を咲かせ微笑み、鳥になってささやきかける。森羅万象に亡き人の姿をイメージして、亡き人とともに生きていくのだというところに、日本人の心に響くものがあるのでしょう。

 お墓が遠くても生活する同じ空間に仏壇を設けて、お花を飾り、灯明を灯し、香を焚き、飲み物、食べ物を供えて亡き肉親や、先祖霊であるホトケと日々生活を共にしています。愛する人と死別し、悲嘆のどん底にあっても、お仏壇のホトケと日々生活を共にしているところに悲しみの気持ちが癒され、生きる心の支えになるのでしょう。またホトケのご加護によって、安寧な家庭が築けるのです。

 仏壇の本尊仏と位牌のホトケに手を合わし祈ることによって、自らも仏(仏性のそなわったありのままの自分)になろうとする心がうまれます。「生きている今の自分を振り返ります」「仏と共に生きている」この喜びを感じることで、自らの心の仏が目覚めるでしょう。
 道元禅師は「菩提心を発すは無常を観ずる心なり」と説かれました。亡き人や、ご先祖との心のふれあいにより、無常を観じて、菩提心(仏になろうとする心、仏の生き方を実践する心)が自然に生まれます。

 静かに端坐し亡き人やご先祖さまと対話をしましょう。「私たちは今ここにご先祖さまから命をいただいて生きています、この命ある喜びに目覚め」「今ここにさまざまな命にささえられ、生かされている共生きの喜びを悟り」二度とない人生ですから、よりよく生きようと誓いましょう。
 「死」を見つめることは「生」を見つめることです。死生は一つのものであり、生死がそのまま人生です。より良き人生を歩もうと誓うことが至福への道、彼岸に至る道でしょう。

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