「鐘の音」   和尚の一口話    2000年4月1日
 
       第十五話
   人生は一呼吸   

         
損を吸って、得を吐く、
          そんな生き方もよろしいのではない
でしょうか

                    
    春風に 綻びにけり 桃の花 
         
枝葉にわたる 疑ひもなし 道元禅師
      霊雲志勤禅師(れいうんしごんぜんじ)が永年にわたる修行の末、
        ある日、桃の花のひらくのを見て悟られた故事


 
今年のサラリーマン川柳の入選作品にこんなのがありました。   

肩書きが とれて肩凝り しなくなり
 長年勤め上げた末の定年退職であればよろしいが、 リストラでやむなく退職されたお方のご心境をお詠みになったのではなかろうかと思われます。

 企業の命運と我が人生は一心同体、家庭をも顧みず自らの心身を没頭して、ひたすら企業の活動に全身全霊を傾倒してこれまでやってきた。そして今、その企業人ではなく自由人となった自分を見つめ直した時、何かホットするとともに、心に隙間ができたような気もするという、複雑な心境を詠まれたのではなかろうか、そんな印象を受けます。


 
とかく現代社会を生きていこうとすると、人間は世間や、人様に認められたいという、捨てきれない変な願望がありますから、いつも肩肘張った生き方をしていることが多いようです。ストレスの解消ができないでいると身体を病むことにもなる。

 わかっているのだが見栄や欲が先にたつ、なまくら根性をきめこんで、ずうずうしく振る舞うことができれば、気も遣うこともなく胃が痛むこともないのだが、心身の緊張は容易にほぐれないものです。

 よくよく考えてみれば、体操などで深呼吸する場合は別として、平素全く自分で意識して、息を吸い吐きしている人はいません。自分で意識しないで自然に呼吸を続けているということは、自意識によらずして、生かされているのだということに気づきたいものです。

 そして姿勢を正してゆくっり息を吐く、一日一回心鎮める余裕をもちたいものです。心身を整えて大地と同じ高さで坐り、大地と同じ呼吸をすることが坐禅です。


 人生は一呼吸のようなものです、
人間はこの世に生まれ出るやまずこの世の空気を吸ってオギャーと泣く、人生の始まりです。そして人生一代を終えるとき、この世の最後の空気を吸って、できれば、「おおきに」といって、息を吐き、果てたいものです。

 
静坐してよく眼を開く、よく目覚めたならば、世の中のありのまま、あるがままがよく見えるようになる。
すなはち本来の面目が露わになる、楽しい人生とは真理がわかることです。

 
こころ貧しく生きよと 道元禅師は説き示されています、貧しいとは少欲知足と読みます。世の中は、金ではない、経済合理や、人間のあさはかな価値基準などによらず、
損を吸って、得を吐く、そんな生き方もよろしいのではないでしょうか。

   
天地自然の恵みを受け、時節因縁を得て、咲く花なればこそ、
   今、輝き華やいで無心に咲いている、なんのこだわりもなく、
   今に咲くから美しい。心静かに桜や桃の花を眺むれば、その
    美しさに暫し我を忘れることでしょう。


         戻る