「鐘の音」   和尚の一口話      2000年9月1日

    第二十話
    キレたらあかん 

      ひらきなおって、耐え忍ぶ中に生きている喜びさえ
     
感じられるようになれば大したものです


 今年、京都の夏は、記録的な猛暑と渇水が続きましたけれど、ようやく秋の気配が感じられるようになりました。春秋二季のお彼岸のころは、一年中で最も過ごしやすい時期でもあります。
 お彼岸は亡き人を偲ぶとともに、多忙な毎日の生活の中で見失いがちな自己を取り戻す時でもあります。

 「般若心経」では、波羅蜜多といって、彼岸に渡ることが、人生の目的だと教えています。凡夫の心の奥底には、いつも自分が大切と自己本位の想いが潜んでいます、自分の心を点検して、利己性を除くことが六波羅蜜の菩薩行です。

 六波羅蜜の菩薩行の一つに忍辱行(にんにくぎょう)というのがあります。
いかなる辱めや侮りや苦悩(はずかしめ、あなどり、くのう)があろうともこらえて心を動かさないという修行です。なんともすばらしい行ではありませんか。

 さわやかな感動を残して高校野球の熱い夏が終わりました。
 優勝チームだけでなくすべての選手が苦しい練習に耐えたからこそ、憧れの甲子園の土が踏めたのです。
 最近の若者はキレやすいといわれますが、若い時の辛抱はきっと後日、役に立ちます。 忍耐が自分の体にしみこんでいますから、少々のことは乗り越えて
いけるのです。

 人生何事においても耐えることがどんなに大事な価値あることであろうか、思い返せばあの日、あの時、この上もない屈辱の中にあって、内心は激しく怒りと悲しみの渦を巻きあげておりましたけれども、こみ上げる怒りをおさえ、涙が今にもあふれそうになる悲しみに耐えて、じっと我慢の一時を過ごしました。後日不思議な喜びがわいてきました。あの時耐えてよかった、我ながらよく凌ぐことができたものだと、何かしら、自分がひとまわり大きくなって、我が人生に一段の深まりを感じる。


 ひらきなおって、耐え忍ぶ中に生きている喜びさえ感じられるようになれば大したものです。ひたすらに、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ それ人生の全てです。
 喜怒哀楽にふりまわされてどうにもならないこの現実の世界が、毎日の生活そのものが、広くて自由な清らかな世界、すなはち彼岸なのです。

         
 
                  六つの願い


       与えよう 物でも心でも     生きよう 人間らしく
      
耐えよう どんなことにも    努めよう 自分の仕事に
      
落ち着こう 息ととのえて    目ざめよう 仏の道に

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