「鐘の音」   和尚の一口話  2001年4月1日
 
 第二十七話  今を咲く、は美しい
                                  

 山河大地は全て露わなり、大地自然が桜の花を咲かせている、
 桜の花が大地自然を咲かせている

咲いた咲いたについうかれ 花を尋ねて右また左 
家じゃ梅めが笑ってら


 花便りの季節です、あちらの公園の桜が咲いたよ、こちらの川の堤の桜が見事だよ、お堀の桜も美しいよ、心そぞろにあちらこちらと花見に出かけます何処の花もとても綺麗だが、我が家に帰り庭に咲く花を見てホットする。あちらこちらと花をもとめて歩きまわる、幸せを求めて心はいつも揺れ動きます。


 花を見て感動します、阪神大震災の春に咲いた桜で心が癒されました爛漫の桜は美しくきらびやかです、青空に大きく咲きほこる白木蓮は迫力があり、緑の山中に咲く、真っ白なコブシは存在感がある。コンクリートの割れ目に咲いた一株のタンポポや建物のわずかな隙間に群れて咲く小さな野のスミレはけなげに美しいものです。

明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

 人の命は花の如くであり、その儚さを讃えた歌です。桜は絢爛として咲きほこるが、ほんの数日で散ってしまいます、寒の戻り、花冷えの日が続くと、時に長く咲いていることもあるが、暖風に枝を払われ、はらはらと散ってしまい、葉桜に変貌します。

 ふくらむ蕾に春の到来を喜び、爛漫に咲きほこる姿に心はずませ、散りゆく姿に哀愁の心をいだく、日本人は桜に我が人生の一コマを重ね見るから、特別な思いを桜によせます。

 花を見て人は美しいと心に感じるけれども、自分勝手な思いで見ていないだろうか、花は子孫を残すために花咲き虫を招く、人に見つめられたくて咲いているわけではない、花は人間に何の期待もしていない、ただ咲く姿を無心と人は見ているだけでしょう。

春風に 綻びにけり 桃の花 枝葉にわたる 疑いもなし

 霊雲志勤禅師(れいうんしごんぜんじ)が永年にわたる修行の末、ある日、桃の花を見て悟られた故事を讃えて、道元禅師が歌われたものです。

 山河大地は全てありのまま、あるがままの姿を見せている、山川草木、ことごとくつつみかくさずその姿を露わにしている、桜の花は大地自然そのものです、大地自然が桜の花を咲かせている、また桜の花が大地自然を咲かせているともいえるでしょう。


 人の命は桜の花の如く儚い、人は、この生の始まりも、終わりも、誰もそれを知る人はいない。生きるとは「生まれる」ことでもなく、「人生」でもない、今、現に生きている、この事実です。桜は今を咲いているから美しい、どの桜もこだわりなく咲く花如来、今を咲く花如来、自分も花如来、だがその美しさをしらずに散ってしまう。

 山河大地は全て露わなり、生まれる前も、今も、命尽きたる後も、桜の花は大地自然に咲く。自他のこだわりをはなれてこそ、桜の本当の美しさが見えてくる、桜とおしゃべりをしてみてはいかがでしょうか。
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