「鐘の音」   和尚の一口話  2001年8月1日

 第三十一話 精霊まつり
  
   
お盆には、お精霊さまをお迎えして、おまつりします、
その一時、なぜか、とってもやさしい気持ちになれるのです


  日本では古来より人が死ぬと、死体は朽ちても霊魂はのこり、はじめは荒ぶる魂であるが、子孫の供養を受けるうちに、和らいだ魂になると信じられてきました。

 高度文明社会にあっても、このように死者は成仏した仏の子であるとともに、漂着する移動可能な霊魂として、お盆には精霊棚に帰り、また、ご先祖として石碑や位牌にまつられます。碑や位牌は祀る仏さまであるととともに、精霊がお宿りになる仏さまとしておまつりします。
 

 どんなにいけずな姑ばあさんであったとしても、その人が死ねば、その人のイメージはもう仏さまに変わっているから、嫁は許せるのです、いとおしささえ感じられます。それはいけずばあさんが仏さまになったからです、生きているうちに仏さんになっていれば、もっと良かったのですが。 

 また、長い年月を経ると人の魂は自然に帰り、山の神や水の神となって人々を守護し、幸福や豊作をもたらす祖霊神になるとも考えられたから、先祖のまつりを大切にしてきました。かっては、朝な夕なに仏壇や神棚におまいりする姿が日本中、どの家庭でも見られました。

 お盆にはお精霊さまをお迎えしておまつりします、おまつりの仕方については、地方によって、さまざまなかたちがあるようですが、それぞれの家にご自分のご先祖さまの精霊を迎えて、家族みんなで飲食供養し、そして精霊と共食して、お送りするということにおいては同じです。

 家庭にはお仏壇があってご先祖さまを日常おまつりしているわけですがお盆にはあらためてお精霊さまとして迎え入れる、そしてお盆の精霊棚を設けてねんごろに供養する、これは古来からのお精霊まつりが、仏教伝来とともに、お盆行事としておこなわれるようになったのだと、いわれています。

 高度経済成長の時代を経て、日本の家族構成が核家族化してきました。そして近年は個の生活者も多くなり、神棚や仏壇のない家庭が多くなりました。朝な夕なに仏壇や神棚におまいりする、おじいさん、おばあさんの姿はありません。

 「神さま、仏さま、ご先祖さま」と手を合わすうしろ姿に自然にふれて育った子供達は、何処へ行ってしまったのでしょうか、「古くさい慣習」は、あふれるものの豊かさの中に消え去ってしまったのでしょうか。


 
お 盆には、お精霊さまをお迎えして、おまつりします、お精霊・ご先祖さまとの心のふれあいによって、その一時、なぜかとてもやさしい気持ちに なれるのです。
そのやさしさこそ、忘れかけていた、清らかで、涼しげな、そしてあたたかい、だれもがもっているやさしさなのでしょう。

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