第109話    2008年2月1日

終わりよければ

雨あられ 雪や氷とへだつれど お落つればおなじ 谷川の水


NHKの朝ドラ”ちりとてちん”がおもしろい

 NHKの朝の連続テレビドラマ”ちりとてちん”がおもしろいと好評のようです。この物語はヒロイン貫地谷しほりさんが演じる福井県小浜市出身の貴代美が高校卒業後大阪に出て、落語家をめざすというものです。祖父が好きだった落語家の師匠のところに弟子入りして、若狭という芸名をもらって女性落語家として生きていく物語です。

 朝ドラはたいてい「明るくて前向きな主人公」というのが定番ですが、このドラマの主人公は「後ろ向きで、大事な場面になると、いつも弱気で根性なし」です。それがかえって人々の共感を得ているようです。
 朝昼夜と一日3回も放送されているそうですが、笑いと人情のある人間模様や落語の噺のおもしろさが、もう一度見るとよくわかるということで、重ね見している人も多いと聞きます。

 落語は終わりに”落ち”(おち)がつく、こっけいな話の演芸です。”落ち”とは話をしめくくる最後の文句のことで、サゲともいうそうです。お話しは落語では噺(咄)といって、その最後に配される笑いの語句が”落ち”だそうです。
 ひねった表現の「考えおち」、最後の一言でスッキリときまる「途端おち」、噺の途中に伏線が張ってあり、それによっておもしろさがわかる「仕込みおち」など、多くのパターンで楽しませる話芸です。

 落語が生まれたのは豊臣秀吉の時代にまでさかのぼるそうですが、噺家が登場してくるのは江戸は元禄の頃だといわれています。上方落語の始まりは辻咄(つじばなし)です、17世紀の末に説教僧といわれた安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)が太閤さんの前で咄したのが始まりだそうです。

「酢豆腐」と「ちりとてちん」

 NHKの朝ドラ”ちりとてちん”では、主人公の若狭が師匠から最初に稽古をつけてもらったのが「ちりとてちん」という落語です。江戸落語では「酢豆腐」というそうですが、関西の方では「ちりとてちん」として演じられます。知ったかぶりの通ぶった男に、腐った豆腐を珍しい食べ物だとだまして食べさせるという噺です。男が通ぶっていろんなウンチクを並べるのが聞きどころの一つで、男が最後までその通ぶりをおしとおすところがおもしろい。

 どのような噺かというと・・・町内の若い衆が集まって一杯やろうというのですがツマミがない。新ちゃんが台所に古漬けがあるという、だが臭いから誰もさわりたがりません。そこへ調子もんの半ちゃんが通りかかったので、うんとおだてて古漬けを出してくれと頼むが断られてしまった。しかたがないので新ちゃんは、夕べの豆腐の残りがあるのを思い出した。でもその豆腐は夏の暑い盛りですから、すでにツーンと酸っぱい臭いがする。
 そこへ通りかかったのが横町の若旦那、あれこれと持ち上げていくうちに、若旦那もいい気になって、人が食べていないものを食べてみたいものだと口走る。そこで取り出したのが例の豆腐です。若旦那もそれが一目で腐った豆腐だとわかるが、あとには引けず、「これこそ通の好むもの」とすごい臭いにむせびながらも飲み込んだ。「オツな味だね」と若旦那。「それじゃたくさん召し上がってください」という、「いや、酢豆腐は一口に限る」と若旦那、こんな噺です。 

 これが上方落語の「ちりとてちん」では、旦那の誕生日に、近所に住む男がたずねてくる。鯛の刺身、茶碗蒸し、白ご飯など、出された食事にうれしがり、「初めて食べる」とか「初物を食べて寿命が75日延びる」などとべんちゃらを言い、旦那を喜ばせる。
 そのうち、裏に住む竹さんの話になる。竹さんはなんでも知ったかぶりをするため、誕生日の趣向として、一泡吹かせようという相談が持ち上がった。そこで水屋(食器戸棚)で腐った豆腐が見つかり、これを「長崎名物ちりとてちん」として竹さんに食わせようという相談がまとまる。そうとは知らずに訪れた竹さんは、案の定「ちりとてちん」を知ってると言ってそれを食べた。一口で悶え苦しむ竹さんに、旦那が「どんな味や」と聞くと、竹さんは「ちょうど豆腐の腐った味や」と言った。

 朝ドラの”ちりとてちん”では、噺家になった若狭の初めての噺がこの「ちりとてちん」でした。人をおだてるくだりや、知ったかぶりの男が通ぶってウンチクを並べるところがおもしろい。そして江戸落語では若旦那、上方落語では竹さんが、腐った豆腐を食べるしぐさの演じ方がおもしろい。

花見酒


 落語に登場してくる人物はほとんどが庶民です。庶民の娯楽に花見がありますが、落語にでてくる花見の話はほとんどが貧乏人で、酒と肴がそろった贅沢な花見など夢のまた夢でした。
 それで「長屋の花見」とか「花見酒」というお話しには、貧しいながらもなんとか酒と肴をそろえて楽しい花見をしょうとする、登場人物たちのいきいきとした姿が、おもしろおかしく語られています。

 春爛漫の桜の季節ですが、辰さんも兄貴分の熊さんも花見に行きたいが金がない。花見といえば酒と肴で、先立つものはお金です。そこで花見の金を稼いで花見もできる、なにかいい方法はないかと考えついたのが、向島の桜の下で茶店を出して酒を売ったら儲かる、花見もできるというものでした。
 さっそく酒屋の番頭に話をつけて、酒三升に酒樽、湯のみ、天秤棒、柄杓、ついでにつり銭用にと十銭までも前借りをした。

 天秤棒を二人でかついで向島へ歩き出した。しばらくすると後棒の熊さんが樽酒の臭いに我慢できず、手元にある借りた十銭で「お代を払うから俺が買ってもいいかい」と辰さんにいった。調子もんの辰さんは「毎度あり」と十銭を受け取った、熊さんはうまそうに一息でグイッと飲んでしまった。
 先棒と後棒を交代して歩き出すと、辰さん後ろになると酒の臭いがたまらない。熊さんからもらった十銭出して、一杯、「うまいねえ」。こんなことをくりかえして、いい気分で向島に着いて店を広げるや酔っぱらった熊さんは寝てしまった。

 辰さん一人で客を呼び込み始めました。ねらいどおりに客が来た、ところが樽はもう空っぽです。「兄貴、起きてくれ、売り切れだ」。びっくりして飛び起きた熊さん、さぞかし儲けただろうと辰さんに金を出させた、しかし辰さんの手には十銭だけ、「なんだあ、こればっかりか」「いいんだよ、兄貴と俺でいったりきたりで飲んじゃったんだから」、「なるほど、むだがなくていいや」というお噺です。

終わりよければ、すべてよし


 落語で大事なところは「落ち」です、サゲともいうそうです。落ちがあるからおもしろい、そして噺家のしゃべり方、弁舌ぶりも、しぐさや形もおもしろい。噺家は巧みな話芸で登場人物を演じ分ける、またその場の情景が目に浮かぶように演出もする。噺家の癖や個性があらわれるのもおもしろい。

 いつの世でも、人はさまざまなことに悩みながら生きています、なかなか割り切って生きられない、割り切れないから悩むのでしょう。ところが落語の登場人物達はいずれもいきいきとして、さまざまなことを乗りこえて生きています。それは、登場人物達のところにいつも笑いがあるからでしょう。
 絶妙な話芸の噺家さんの話の中に聴衆は引き込まれてしまいます。そして笑いの中に入ってしまえば、悩みも忘れて笑ってしまうのです。いつしかいきいきとした登場人物の一人になってしまう、これが落語の魅力でしょう。

 人はとかくものごとを、見たり、聞いたり、感じたりするにつけ、明と暗とに分けたがるものです。暗ばかりにこだわれば、ものごとを悲観したり、絶望したりしてしまう。お経の文句に「明暗各々相対して、比するに前後の歩みの如し」とありますが、一方を照らせば一方は暗しで、明も暗も一つのものですから、こだわらないことです。
「雨あられ 雪や氷とへだつれど お落つればおなじ 谷川の水」溶けて流れりゃみな同じ、明も暗も同じものです。明と暗の間にいつも笑いをおくことができれば、日々楽しく生きられる。

 顔で笑って心で泣いているうちに、心まで笑ってくる。笑いがあるところに福来たる。そしていい笑顔は和顔施といって、他の人にも幸せをあたえます。笑うことによって細胞が活性化するそうですから、笑いは若さと健康を保つ秘訣でもあるようです。
 落語に登場する人々はいずれも心豊かに生きている、それは笑いを生きる糧として、生きる智慧を身につけているからでしょうか。三百年の時を経て語り続けられてきた日本の文化である落語には、生きる智慧がいっぱいつまっています。古典落語であれ、新作ものでありましても、笑いが人に元気をあたえてくれます、そこが落語のおもしろさでしょうか。

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