2009年1月1日  第120話
        福 禄 寿    
                 
      幸せは「」と「」と「寿
     
 人の願いは幸せになることです、では何をもって幸せであると言えるのでしょうか
        「福」と「禄」と「寿」、この三つが揃っていると、幸であると実感できるでしょう
        「福」は、不安なこともなく心がおだやかであるという、精神的な幸せ
        「禄」は、金や財、食べ物に不足していない、物質的な幸せ
        「寿」は、健康で長寿であるという、肉体的な幸せ
        
  

人の願いは幸せになることです


 アメリカでのハイリスクな金融取引から生じた金融破綻が、あっという間に全世界に波及して、経済不安が一気に広がりました。世界中に不況の嵐が吹き荒れる中で2008年が暮れました。
 それはテロと戦争に明け暮れたアメリカのブシュ政権の終焉でもあります。アメリカの人々はブシュ政権にかわって若きオバマさんを大統領に指名しました、そしてアメリカの明るい未来の希望の星として、大きな期待をよせています。

 日本では、昨年は食品の偽装や食の安全の問題、年金制度の不信、凶悪事件の多発など社会不安をこれまでになく感じる一年でした。そして猛烈な不景気風が吹き始めた中で2009年が明けました。
 こうした不安な時代であるからこそ、人々は幸せであることを願い、そして幸せとは何であろうかと思いめぐらすでしょう。

 人は誰でも幸せでありたいと願う、でも人それぞれに幸せの感じ方はちがうでしょう。あなたにとって、幸せとは何ですかと尋ねられればどう答えますか。受験生であれば目指す学校に入れることを願うでしょう。職がなく収入の道を閉ざされれば職を求め、今病気で苦しんでる人であれば病が回復することを願うでしょう

 正月の「正」という字は「あらためる、きちんとする」という意味があるそうですが、年の初めにあたり、今年一年の過ごし方を思い、身も心も新たにしましょうということです。
 幸せとは何でしょうかと問われても、人それぞれに願いはちがいます。では何をもって幸せであると言えるのでしょうか。不安の時代です、何をよりどころとして、何を幸せと感じて生きていけばいいのでしょうか、新しい年を迎えて、今年一年の幸せ探しを始めましょう。

「福」と「禄」と「寿」が揃えば幸せでしょう

 元日と元旦は同じようですが 「元日」は年と月と日の3つの始まり、つまり「1月1日」を表わし、 「元旦」は1年の初めの旦(朝)のことで、「1月1日の朝」です。
 さてあなたは新しい年、2009年をどんな思いで迎えられましたか。この一年が幸せであるように、人それぞれに新しい年に願いをこめて元旦を迎られたでしょう。
 
 精神的に不安であったり悩みを抱えていると日々落ち着かないものです。ストレスが解消されないと、精神的な不安や悩みはさらに深刻なものになっていきます。それで幸せの条件の一つは精神的に幸せであるということでしょう。とは不安なこともなく心がおだやかであるという精神的な幸せです。

 貧しくとも幸せであるといっても、衣食住が足りていないと穏やかな日々の暮らしはできません。それで幸せの条件の二つ目は金や財、食べ物に不足していない、物質的な幸せです。 人は生きていけるだけの衣食住がそれなりに不足していなければ、それでいいのですが、ついつい、もっともっとの思いが出てしまうから、それが悩みにもなるのです。とは金や財、食べ物に不足していないという、物質的な幸せです。

 金や財、食べ物に不足していないといっても、精神的にも満たされて穏やかでなければ幸せの実感はともなわないでしょう。それには健康で長寿であるという肉体的な幸せが前提であることはいうまでもありません。幸せの条件の3つ目は
寿すなわち、健康で長寿であるという肉体的な幸せです。

外には門松と注連飾り、内には鏡餅を飾って歳神さまを招き、この一年の幸せを願う

 日本では正月の飾りといえば、門松(かどまつ)注連縄(しめなわ)です。門松の松は「神を待つ」の意味を含み、 竹、梅とともに長寿の象徴とされています。 歳神(としがみ)さまは門口に立てられた一対の「門松」を目印に来臨するといわれています。
 注連飾り(しめかざり)は玄関口に張ります、神聖な場所であることを示しています。これも門松と同様に歳神さまを迎える印です。 注連縄 とは神さまが「占める」場所の縄のことで、藁(わら)を水で「注」ぎ清めたうえで「連」ねた「縄」です。歳神さまが来られることによって、歳神さまのご加護がいただけて、我が家が心安らぐおだやかな居場所となり、この一年が精神的な幸せで満たされます。

 正月のお供えである鏡餅(かがみもち)は、歳神さまへのお供え物として床の間に飾られます。歳神さまの召し上がりものとして献上し、 そこに新しい歳神さまが宿り福が来るようにと願って供えられます。この一年が食べ物に不足することなく満ちあふれているようにとの願いが丸く大きな鏡餅です。そして子孫繁栄を表すミカンや、夫婦円満のシダの葉、「喜ぶ」の昆布などで鏡餅のお飾りとします。鏡びらきとは正月にお供えした鏡餅を下げて、 お吸い物や汁粉(しるこ)にして食べる行事で、1月11日に行われます。 この習わしは金や財、食べ物に不足しない、物質的な幸せを願うものです。

 お正月の祝いの料理はお節料理(おせちりょうり)です。お雑煮(おぞうに)も、地方によってさまざまです、祝いの酒としてお屠蘇(おとそ)をいただきます。お年玉(おとしだま)の始まりは神前に供えた丸餅で、歳神さまの魂のこもったお餅を下げて人々に配ったものを「年玉(としだま)」と呼んでいたそうです。1月7日に七草粥(ななくさがゆ)を食べると、この一年が健康に過ごせるといわれており、現代でも続いている習慣の一つです。正月の食の習わしは健康で長寿であるという肉体的な幸せ寿を願うものです。

 松の内(まつのうち)とは正月の1月1日(元旦)から 1月7日までの1週間のことをいう。 正月の1月7日までを松の内「大正月」と呼び、 1月15日を「小正月」と言う。松の内があければ注連飾り(しめかざり)や門松を取り除きますが、関西では15日の小正月まで飾られることが多いようです。
 どんど焼きとは1月15日前後に行われる火祭りで、門松や注連縄(しめなわ)などを持ち寄って焼き、その火で焼いた餅を食べる。 ”どんど”は「尊(とうど)や尊(とうど)」という囃子(はやし)ことばが語源だといわれています。
 正月には歳神さま(ご先祖さま)を迎えて、この一年の家族の幸せと繁栄を願います。最近ではこうした正月行事も行われなくなりつつありますが、伝承の行事にこめられた意味を理解すれば、ことごとくが幸せを願う年の初めの行事であることがよくわかります。

新しい年を迎えて、この一年の幸せ探しを始めましょう
 
 経済不況で家庭生活にもさまざまな不安が生じています。格差社会のゆがんだ世情では人々の間に閉塞感さえ漂っています。あまりにも早い情報技術の進展は人間の受容能力を超えてしまい、ギャップが生じています。ケータイ電話に代表されるように人々のコミュニケーションを円滑にするはずのものが、逆にいじめや意志の疎通をも阻害してしまいます。
 現代社会では心のふれあいや、あたたかくぬくもりのある人と人とのつながりが、消えてしまいそうです。ストレスが解消されずに心身の不調を感じている人がますます多くなりつつあります。自らも、情け、あわれみ、いつくしみの慈悲の心を持ち、不安なこともなく心がおだやかであるという精神的な幸せをいただきたいものです。

 マネーゲームに象徴される金融資本主義はとうとう破綻して一挙に経済危機が世界中に広がりました。まさにマネーゲームの暴走が実体経済を狂わせてしまったのです。人々はようやく虚の財産の空しさに気がついたようです。
 派遣社員という雇用形態はヒトをコストとしか見ない、人間をコストにしてしまう経済論理はおかしいのです、ヒトの英知が技術を生み、額に汗して働く人々の努力が付加価値という富を生むのです。
 消費は美徳であるという大量消費社会のアメリカは崩壊しました。大量消費は人類共通の美徳でないことが実証されたのです。金や財、食べ物に不足していない、物質的な幸せ はすべからく足を知ることであり、「ありがとう」の感謝の気持ちと「もったいない」のモノを尊ぶ気持ちが根本であるはずです。

 環境破壊は絶妙な生き物の生態バランスを狂わせ種の滅亡を広げています。これは生き物の危機です、食物連鎖の環がいびつになり、循環型の自然がゆがめられています。食物連鎖が自然にいきずくように、気候変動をもたらす温暖化対策につながるエネルギーの転換を、そして生き物のすべてがお互いの種の存在を支え合えるために、人間の生活様式を変えることに人類共通の努力が払われるべきです。
健康で長寿であるという肉体的な幸せ寿を得るためには、一人一人に地球環境を保全するための行いが義務ずけられているのでしょう。
 そして60数億の人類はすべて地球人であり、
民族、宗教、国境を超えて互いに生かし生かされあわなければいけないのです。生きとし生けるすべてのものにあわれみの心をもつことが、健康で長寿を生きることになるのでしょう。
 

 人生は「価値生産の過程」だという人があります。すなわち人間は常に真(学問)善(倫理)美(芸術)聖(宗教)利(経済)愛(社会)力(政治)の諸価値を生産し続けそれに向かって精進していかなければならない、それが人生だという。そして真善美利愛力の諸価値の統合が宗教的価値であるから、自らの宗教的価値を高めていくことがよりよき生き方につながる。この世は安心立命を得るための人間生活の場であり、真実の人間の形成、宗教的道場です。
 自分にとっての幸せとは何であるか、はっきりとした信念をもって生きることでしょう。新しい年を迎えて、今年一年の幸せ探しを始めましょう。


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