2010年 7月  第138話

      真実人体

    
尽十方界、是れ自己の光明。尽十方界、自己の光明裏に在り。
尽十方界、一人も是れ自己ならざる無し    [ 正法眼蔵・光明 ]


今が幸せであればいい

 現代の日本人は「悩む力を失ってしまった」とは、姜尚中カン サンジュンさんの言葉です。人はものごころつくころから成長する過程で「悩む力」がついてくる。なぜこの世に生まれてきたのか、なんのために生きているのか、何を求めて生きていけばいいのか、生き死について若者は悩むのですが・・・。

 生き死にについて悩んでも、すぐに答えが見つかりません。一生かかっても適切な答えはみつからないでしょう。でも、悩むことに意味がある、若い時に悩みの経験を持つことが、その後の生き方に大きく影響していく。深い悩みの経験があるものと、悩むことを避けてきたものとは、難局に直面したときに、生きぬく力がちがうと、姜尚中さんは言う。

 若者は、何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか?このことが理解できなくても、答えが見つからなくても、多くの本を読んだり、友と語りあえばよい。そして、先輩や先生、身近にいる大人に悩みを語るのもいいでしょう。けれども最近の若者は暇さえあればゲームをするが、本は読まない。会話は断片的な言葉のやりとりであるメールによるから、論理的な思考をしなくなり、深く人の心が読み取れません。

 最近の若者は多くが衝動的な生き方をしていないでしょうか。今、この行動をすると、後にはどういう流れになるのかという、時系列的な認識や、この行動によって他にどういう影響をあたえるのか、などといった判断をすることなく「今が幸せであればいい」ということで、衝動的な行動をしてしまう。そのために、いろんな悩みが後でついてくるのです。

なにごとにもこだわらなければ、それなりの幸せがあるはずです

 最近の傾向として、職場では成果主義や自己責任を重視するようになり、いつリストラされるかわからない不安、3年で退職してしまう若者、非正規雇用の増加、職場の人間関係の絆の弱化、社内でのいじめ、20代30代に鬱病と長期休暇が増え、過労自殺も多くなった。また、社会では他人のことに思いを馳せる余裕がなくなり、自分のことばかりで、異常犯罪が増え、安心・安全が失われていくようです。

 とりわけ近年は、メンタルヘルス不調者が増えたということです。心療内科とか精神科にかかる精神疾患の人が増え続けています。そして、かつては生活している地域のつながり(地縁)、家族親戚縁者(血縁)、働く職場(社縁)に身を置くことで、そこに心の居場所があったけれど、その絆が弱くなってしまったので、孤立無縁に陥ってしまう人も多いのです。

 競争社会においては人のために立ち止まっていたら、自分が蹴落とされて負け組になる。他者のことなど考えずに自分のことのみを考える。そうしなければ生きのびられないという風潮があるようです。
 競争社会の成功者は言う「頑張れば夢は叶う、向上心さえあればすべては変わる」と、「自己啓発して頑張れば前に進める、ちょっとした心がけですべてが変わる」という。はたしてそうでしょうか?

 世の中はすべて自己責任というけれど、絶望する人、頑張れない人、頑張っても夢が叶わない人もいる。はたして成功者たちはすばらしい人生、悩みなき生活をおくっているのでしょうか。人生に最高も最悪もない、自分とちがう生き方、考え方の人を排除せず受け入れるゆとりも必要です。人並みの生活ができて、普通の幸せが感じられれば、それでいい。なにごとにもこだわらず、自分のペースで生きられれば、それなりの幸せがあるはずです。

「はやぶさ君」60億キロの宇宙の旅からおかえりなさい

 太陽系のいにしえの姿をもとめて、小惑星探査機「はやぶさ」は地球の大気圏を出てより7年、60億キロの宇宙の旅を終えて地球に帰還しました。宇宙の塵のような小さな星イトカワに着陸して、ふるさとの地球に帰ってきました。6月13日大気圏に突入した「はやぶさ」本体はオレンジ色の閃光とともに燃え尽きましたが、カプセルは無事にオーストラリアの南部ウーメラ付近に着陸し回収されました。

 小惑星探査機「はやぶさ」は、時にはその存在の確認もできず行方不明という絶望する事態もありました。科学者たちはあきらめることなく、あらゆる可能性を求めて、知恵を絞り問題を克服して、幾多のトラブルを乗り越えての帰還です。最後は燃え尽きる姿に「元気づけられた」「失われた日本人の美徳を見た」と、小惑星探査機「はやぶさ」の最後の雄姿に多くの人々は感動しました。「はやぶさ君」というキャラクターも生まれ、人格を持った存在になりつつあります。

 小惑星探査機「はやぶさ」にかかわった多くの科学者たちは、それぞれが「はやぶさ」の器機の一部になりきって、幾多のトラブルが発生しても、あきらめず、果敢に問題点を探り、それを克服するための技術をもとめ続けました。科学者たちには所属機関や仲間や家族等さまざまな支えがあったでしょうが、それだけではものごとは成就しません、それ以上に信頼すべきものがあったはずです。それは宇宙の真理である法則を見つけて、人工器機が備えた機能を宇宙の法則に順応させて働かせることができれば、必ず成功するという確信があったからでしょう。

 「はやぶさ」のめざしたイトカワという星は宇宙の塵のようなちっぽけなものです。地球も大宇宙の塵です、その塵に到達して地球に帰還した「はやぶさ」は小さな人工の器機です。人間の知識能力を発揮して宇宙の真理、宇宙の法則にしたがって「はやぶさ」の軌道を決めてイトカワに着陸し、そして地球に帰還した。地球でつくられた人工の器機は人間の叡智の結晶であり、宇宙の法則という真理にしたがうことでこのプロジェクトが大成功をおさめたのでしょう。

天気予報は雨だった、雨雲めざして角立てた、雨降りだっていい天気

 今までの自分の人生をふり返って、最良の人生であったとか、最悪なものであったとか、判定が下せるでしょうか。むろんだれだって人生が終わっていないのですから、これからどのような展開になるのか、最後の最後まで、それはわかりません。だから「私なんて生きている価値がありません」などと、決めつけることはできません。
 だれでも気持ちが落ち込んでくると、私は価値のない人間だと思うようになり、むなしさや絶望感に沈んでしまいがちです。自分のことを価値のない人間だと思うようであれば、そういう思いから自分を解放しなければいけません。

 人間の価値を判定するのに基準値、平均値があるとしても、それはしょせん人間社会のことです。むろん人間社会で生活していますから、それにもとずかざるをえませんが、この宇宙には人間のはからいを超えた大原則があります。それが真理であり、人間の価値基準と整合しないことも多い。人間の価値基準でなく、宇宙の真理によりどころをもとめないかぎり、人間の迷いの世界を堂々巡りして、いつまでたっても迷路から抜け出せず、方向が見えてきません。「はやぶさ」は宇宙の真理にしたがったから、迷わずイトカワに到達して地球に帰還できたのです。

 「天気予報は雨だった、雨雲めざして角立てた、雨降りだっていい天気」とは、NHKラジオの番組で「天気予報は雨だった」のお題に続く文として、小学生がつくって応募したものです。人間の価値基準があるとしても、しょせんそれは人間社会のことです。カタツムリにすれば人間の嫌う雨降りが大好きです、最高の天気です。
 宇宙や自然はそのままが真理です、人間が考える価値基準は危ういものです。そういう曖昧なものを、あたかも基本であるかのように受けとめるところに悩み苦しみの原因があるようです。

 この世のあらゆる存在は、如是相すなわち、ありのままの真実の姿を現しています。けれども自己が、その真実の姿をもとめ続けていない限り、ありのままの真実の姿が現れていても、それが真実の姿であると認識できないのです。
 「尽十方界、是れ自己の光明。尽十方界、自己の光明裏に在り。尽十方界、一人も是れ自己ならざる無し」 眼を開いて世界を見るとき、その世界の中心に自己自身がある、自己が世界の中心です。その自己のさらに奥の中心に宇宙そのものがある、それがほんとうの自己自身です、道元禅師はこれを真実人体といっておられる。心静かにして己の心を空しくすると、宇宙の真理に生かされている自分自身に気づくでしょう。 とりわけ近年は、心療内科とか精神科にかかる精神疾患の人が増え続けています。自分を解放しましょう、なにごとにもこだわらなければ、それなりの幸せがあるはずです。

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