2011年1月1日  第144話
          人、一生    

         人、一生、いつも木の芽がふくように
         人、一生、いつも花咲かがやいて
         人、一生、いつもさらさら、ひらひらと
         人、一生、いつも願の種を蒔く

 

人、一生、いつも木の芽がふくように

 新春を迎えると、何かしら心新たな感じがします。とりわけ元旦は、大晦日から一夜明けただけですが、気持ちのうえでも新鮮な気分になる。除夜の鐘を聞きながら煩悩の禊ぎ払い、そして初詣でこの一年の幸せを願い、初日の出を仰いで、新年おめでとうの挨拶を交わす。

 新しい年を迎えて私たちの心が新鮮な気持ちになるとともに、まわりの景色も新しくなったように感じられます。日の光も、草木の姿も、鳥の声さえも新春を寿ぐように感じられます。新春の陽をうけて、梅のつぼみも木々の芽もいくぶんかふくらんできたように感じます、生き生きとした命の躍動が伝わってくるようです。

 新しい年の私は、去年の私ではない、今の私は昨日の私ではない。未来の私、明日の私といっても、それは一瞬のことで、もう今の私、過去の私です。身体の細胞はたえず生まれて死んで、一時も同じでないから、いつも新しい私で、一分一秒たりとも同じ私でない。だから過去にこだわらず、今の私を生きることが未来の私を生きることになる。自然界には過去も未来もありません、生きとし生けるものはみな今を生きています。人間だけが過去や未来にこだわっています。

 落葉樹は春を前にして冬の今、栄養分を蓄えて、芽吹きの時期を待っています。常緑樹も、新しい枝葉をのばす春を前に、同じく栄養を蓄えています。植物たちは地下に根を伸ばして春の到来を待っています。やがて芽吹きの時が来ると、すさまじいばかりのエネルギーを発揮します。芽吹きの姿に人は元気づけられる。人も、いつも木の芽がふくように、生き生きとして、日々新たに生きたいものです。

人、一生、いつも花咲かがやいて

 植物のほとんどが子孫を残すために花を咲かせます、いちばん輝いているのは花を咲かせているときでしょう。松や杉のような針葉樹は風媒花ですから、美しい花を見ることはないが、風で花粉が舞い上がる季節がもっとも輝いているときでしょう。

 虫媒花の多くが、美しい花を咲かせ、香りを放ち、甘い蜜を出す。その蜜に昆虫は魅力を感じて、集まってくる。植物はそれぞれが美しい花を咲かせるが、相性が合う昆虫はだいたい種類が決まっているようで、花と昆虫の間柄は長い進化を経てきているようです。

 人は、男も女も成人するにつれ、男性は猛々しい男性の美が、女性はしなやかな女性の美しさをそなえるようになります。男盛り女盛りになり、相性が合うと結婚して家庭をもち、子を産み育てる。その姿は、花咲き輝いています。自分らしさをつねにもとめ、他人や社会に必要とされる人であって、他を大切に思いやれるようになると、その人は輝いてくるでしょう。

 人は欲のおもむくままに生きているからつまずきます。ストレスで知らず知らずのうちに身心不調になる。気が病むと体も不調になるから、身心ともに健康でありたいものです。常に背筋のばして、呼吸を整えていれば、人生いかに生きるべきか、周りや、すすむべき方向がよく見えてきます。いつも人生花盛り、生き生きとして輝きを失わないようにしたいものです。

人、一生、いつもさらさら、ひらひらと

 人が生きていくうえでは、常に何かの心配事や悩み事がともないます。生老病死に関わることや、お金や人間関係、仕事や社会との関わり、など、さまざまです。生老病死は自然なことですが、老いも、病気も、死も、受け入れがたいものですから、それを遠ざけようとします。いつまでも若く、健康で、長寿でありたいと願うからです。

 また経済的なことや人間関係、仕事や社会との関わりなど、生きて行く上でさまざまな難問にぶち当たります。克服しなければならないことや、我慢して受け入れなければならないこと、努力しないといけないことなど、さまざまあります。しかし勇猛果敢に対処できる人ばかりとはかぎりません、ストレスで病気になってしまったり、命を縮めてしまうこともあるでしょう。

 植物は自然の恵みを受けて花を咲かせ実を結ぶ。けれども酷暑、酷寒、大雨や干ばつ、風など自然に影響され、時には天変地異で生存が危ぶまれることもあります。どんなに環境がめまぐるしく変わろうとも、植物たちはぎりぎりまで、それに順応して生きていこうとします。北から風が吹けば南になびくが如く、さらさらと、ただひたすらに生きぬこうとする。花咲き終えれば花びらを散らし、秋になれば、ひらひらと葉を落とす。

 自分という生命体に素直な生き方をすべきところ、私たちは自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、自分自身で悩み苦しんでしまいます。悩み苦しみが解消されずに重なり蓄積していくと心身の不調をきたします。ものごとをありのままに見、あるがままに生きる、何ごとにもこだわらない、とらわれない、いつもさらさら、ひらひらとした生き方をしたいものです。

人、一生、いつも願の種を蒔く 

 人は自分の意志で自分の力で生きていると思っています。それならば生老病死は自分の意志で自在に思い通りになるはずですが、そうはいかない。自分の意志に関係なく、自分の体の細胞は新しくうまれ、また死んでいきます。いつまでも若くありたいと思うけれど、年々老けていく。病も自力ではなかなか治癒できない、死はやがておとずれる。すなわち生かされているということです。

 人は自分の力で生きているようですが、ほんとうは生かされているから、寝ている時にも臓器は動いている。自分の意思にかかわらず腹もすくし、爪も毛も伸びる。そしてだれ一人として一人では生きていけません。さまざまなつながりにおいて生きていけるのです。生かされている、他に支えられていると思えばよいのですが、自分の意思のおもむくままに生きようとするから、欲が頭をもたげ、それが悩み苦しみにつながる。

 この世の中は何もかもが何らかの関連を以て存在しています。自然界では食物連鎖ですべての生きものの命がつながって、お互いに命を支えあって、生息しています。海の魚は陸上の植物と命の支えあいにおいて無関係でない、すなわち一つの命は他を生かし、他の命によって生かされている、これがこの世の姿でしょう。
 ものごとは何らかの原因による結果としてその存在がある、この因果の道理はものごとの存在の根本です。したがって悪循環を断ち切り、善循環おこすべきです。他を生かす利他行こそ己を救う。「利他」あるいは「利行」これが善循環をもたらす幸せのキーワードです。

 この世に存在するものはすべて常に同じでなく変化しつづけており、生まれたものは必ず滅していく。人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして日おくりをしていると、すぐに老いてしまう。 受難き人身を受けることができた、人生の最後に至ってもなを、この世に人に生まれてきたことを喜べないならば、それはつまらない人生です。
 最勝の善身をいたずらにして露命を無常の風にまかすことなかれ。この世に生まれてきて、今生きていることを喜べる人は幸せです。この世は美しい、人生は甘美なものです、生きていることはなんと楽しいことでしょう。

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