2011年4月1日  第147話
         命があれば

  一切の有為の法は、夢・幻・泡・影の如く、露の如くまた電の如し、
     応に是くの如き観をなすべし  「金剛経」                                       
 

生きているだけでいい

 東日本大震災で一命をとりとめて助かった女性が、「生きているだけでいいです」と、津波が去ったあとのがれきの山を前に、ぼうぜんとして一言、こう話されました。
 数時間前までここには町があった、人々が生活をしていた、親子が家族が、隣人がいました。愛情につつまれて、人情があって、信頼しあって、人と人との関係が結ばれていました。

 まぎれもなくそこには地域社会があり人々の生活があったけれど、津波の引いた後に残ったものは、人々が生活をしていた家や車や生活用品が無残に砕かれ押しつぶされて、おびただしいがれきに変わって残されていただけです。生活の喧噪もなく、冷たい風が通りすぎるだけで、不思議な静けさにつつまれていました。

 地震災害や津波による被害は過去に何度も起きたという記録がありますが、3月11日に発生した東日本大震災は日本人がかって経験したことのない大災害となりました。地震の規模は百年に一度あるかどうかという巨大地震でした。広域にわたって発生した津波は想像を超える規模で町や村をのみ込みました。災害の規模はあらゆる防災を想定したものをはるかに超えていたのです。

 恐怖から一命をとりとめた人々は、家族や互いの安否を気遣いながら、励ましあいながら、避難して、とりあえずどこかに身を寄せあいました。ところが今までの被災と異なって、原子力発電所が壊れて、放射能が漏れるという二次災害の恐れに見舞われるという事態も生じました。そして首都圏の電力不足や経済に与える影響が心配されています。

人間は人と人との間で生きる

 東日本大震災による壊滅的な町の姿を目の当たりにして、人々は自然の力の大きいこと、人間の小さきことを思い知らされました。被災された方々のことをあわれみ、日本人であればだれもが、自分が何か助けとなることができないだろうかと思い、そして何かの支援をさせていただきたいと行動するでしょう。

 また、絶望する人、くじけてしまいそうな人には、元気を出してと励ましの声を発しましょう。そして被災された人々とできるだけ気持ちを同じくして、とてもつらいけれど、前途は困難だけれど、復興に立ち上がりましょうと、励ましあい支えあいの声をかけあいましょう。

 国力を総動員した緊急対策が発動され、諸外国の支援も受けて、被災者の救済と援助がはじまりました。あまりにも広域にわたる被災地域であり、長く続いた余震は被災地域の救済支援活動を困難なモノにしています。でも、難局に立ち向かっていく日本人の不屈の精神は失われていません。

 日本人は、これまでに阪神淡路大震災はじめ数々の震災にも、自然災害、牛や鶏の広域伝染病、経済不況、また身近な災難にも立ち向かい、勇気と希望を失わなかったはずです。自分には何ができるのか、日本人のほとんどがそう思い、何かできることを考えます。何もできなくても、お見舞いと励ましの気持ちを伝え、お互いに日本人です、くじけずに、明日への希望と勇気をもってください、そんな応援の言葉を添えて被災地へ義援金をおくりましょう。

人間は自然と人の間で生きる

 人間という字はどうして人と間と書いて、人間というのでしょうか。そして、人間性すなわち、人間の本性あるいは人間らしさとはどういうことをいうのでしょうか。人間という熟語は広辞苑によると、①人の住むところ、世の中、世間、じんかん、②人、人類、③人物、人柄、となっています。
 
 人間は、人間中心的に、そして自己中心的になりがちです。すなわち、この世は人間が中心であり、他のあらゆるものは人間のためにあるとする考え方や、自己中心に利己的にものごとをとらえようとします。しかし感情があり、思いやりのある行為ができるのも、人間らしいところで、人間中心、自己中心ではいけないと認識できるのも人間です。人間とは①人の住むところ、世の中、世間、じんかん、この意味を、特によく理解しておくことが大切なようです。

 「自分は今、何のために生きているのだろう?」 いつも不安で、自分の足がしっかりと地に着いていない人が多いようです。私たちが住んでいるこの地球は天地自然という仏さまです。そして、そこに生きている、あなたや私、そして多種多様の生きものたちもみな仏さまです。天地自然は気まぐれですから、震災や台風、干ばつ、猛暑寒波など、自然界の異変、すなわち天変地異をおこします。大地自然に生きる人間やさまざまな生きものは、その宿命を享受しなければ生きていけません。この世に生を受けたものは、しっかりと地に足を着けて、どんな難局にあっても生きぬかねばなりません。

 それなのに人間は無用の争い、無益な殺生や自然環境を破壊します。また過剰なストレスや人間関係に悩んで精神的に落ちこんだり、自傷や自殺、犯罪や品行不良など、命のムダ使いをしてしまいます。自然の大きな力の前には人間の存在などちっぽけなものです。でもこの地球に生きていく限り人間は昔も今も未来も地球自然に生かされ、生きていかねばなりません。被災された人々へのお見舞いや祈りの気持ちこそ尊いものです。「生きているだけでいいです」と、今、お互いに命あるを喜びあいましょう。

しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり、
愛語よく廻天の力あることを学すべきなり  「道元禅師」


 慈悲とは、他者に利益(りやく)や安楽を与えるいつくしみの心(慈心)と、他者の苦に同情して救おうとする思いやりの心(悲心)をいいます。この抜苦与楽の心は大慈大悲の心であり理想的人間像である菩薩の心とされています。それは人への愛のみならず、生きとし生けるものへも、山や川、森や海に対しても同じことです。

 だれでも心の底には、やさしさと思いやりの気持ち(慈悲心)を宿しています、これを人間の本性、すなわち人間らしさというのでしょう。表面上は人間中心的な行動をして、自己中心的な生き方をしているようだけれど、心の奥深くには慈悲心がいっぱいです。人と間と書いて人間という、その間とは、人間らしさの大慈大悲の心をいうのでしょう。

 慈愛とは、他の人の身になって、あたかも自分のことであるかのように考えたり行動したりすることです。人を励ましたり、人を助けたり、人の心をおだやかにしたり、これは慈愛の行動です。この慈愛の心で言葉をかける、人に話しかける、それが愛語です。被災者と同じ気持ちになって自分のことであるかのように災害支援をさせていただく、ことごとく同事であるべきです。

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災の被災者と苦しみをともにさせていただき、苦しみを分かちあい、助けあい励ましあうのが大慈大悲の心です。あなたも私も、みんなが同じ苦しみを分かちあう、日本中に世界中にもっとこの輪がひろがればいいのですが。
 そして未来に向かって、大慈大悲の心を価値観の基本として、内外の叡智を集めて新しい発想のもとに復興と安心安全の国づくりをめざすべきです。前途多難であるけれど、すべての被災した人々が、生きていてよかったと、実感していただける日が遠くないことを願いたいものです。

義援金にご協力ください   曹洞禅ネット   SVAシャンティ国際ボランティア会 

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