2013年6月1日 第173話      

            生と死は隣あわせ
             

  
  
無常たのみ難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん
                                  【修証義】


突然の出来事


 それは突然の出来事でした。参道の入り口に立てた丹波七福神ののぼり旗が前夜の強風にあおられて道路際に落ちていたので、ガードレールをまたいでそれを拾らおうとしたところ、足を滑らして道路から深さ1.5メートルのコンクリートの側溝に頭から転落してしまいました。ものすごい衝撃でした、一瞬「死んだ、こうして死んでいくのだ」と思いました。コンクリートで頭を打った頭蓋骨が陥没していないかと、おもわず手で頭を触りました。

 気絶しないで意識があるから、「ああ生きている」と、自分に言い聞かせて、なんとか側溝からはい上がりました。膝下を打撲したようで出血がひどい、前頭部も出血している。府道沿いではあるが深い側溝ですから下に落ちた状態では草に隠れて見えないから、気を失っていたら危なかったかもしれません。

 意識もはっきりしているから、シャワーで体の汚れをとり、出血をおさえて着替えして救急車を呼ぶことなく家内の運転で市民病院に行きました。 市民病院の受付で、ここには脳神経外科がないので他の病院に行くように言われたので、車で10分のところの病院で救急診察を願い出ました。

 病院では時間外でしたが対応してくださり、脳神経外科でCTとレントゲンと血液検査を、外科では怪我の処置をしていただきました。CTで頭を、レントゲンでも首の骨や脊椎に異常がないかを診察していただきました。   転落のショックが原因なのか血圧がものすごく高いので、血圧を下げる点滴を受けて、血圧の薬を処方してもらって帰りました。

露命

 その日は安静にしていましたが、明くる日の朝、一年前に登校児童の列に無免許運転の車が突っ込み3人が亡くなった交通事故現場で仏教会の役員4人で法要をつとめなければなりませんでした。つとまるか心配でしたが急に代役を手配するのも無理なので出仕することにしました。幸い頭の出血も止まっていたので絆創膏をはずして現場での法要に出向きました。一時間ぐらい立ったままの読経でしたが、ふらふらしながらもなんとかつとめが果たせました。

 次の日も血圧がかなり高いので、病院に行きました。内科で血液検査をして、胸部と心臓のレントゲン、心電図検査をしていただきました。特に異常なしと診断され、安堵して帰りました。深いコンクリートの側溝に転落して軽い打撲と擦り傷程度ですんだのは、神仏のご加護かと感謝の念でいっぱいです。

 転落事故から6日目に中学校卒業50年の同窓会がありました。欠席しようかと迷ったが、同級生からの誘いもあったので出席しました。級友と再会して、酒も飲まずに、おたがいの近況を語り合いました。50年経ると同級生の一割が他界していること、体調が悪くて出席できない人も多く、血圧の薬を飲み続けている人もかなり多いと聞きました。

 同窓会から3日後に病院に行きました。待合いで診察を待っていたら、先日の同窓会の出席者2人に出会いました。それぞれ病気をかかえて定期的に病院に来ているとのことでした。お互いに65歳が過ぎれば加齢のため、どこかに体調不良を感じているのだと実感しました。

命の重さ

  転落から3週間後のことです。その日のMRI検査の結果も異常なしとの医者の言葉を聞いて安堵しました。血圧の薬をもらって帰ろうと駐車場に行くと、フロントガラスのワイパーにメモが挟んでありました。警察署員のメモで、あなたの車に損傷を与えたお方があり、事故の証明をするので警察まで来てくださいと書いてありました。

 そのメモを読み終えた時に、私の車を損傷をしてしまったという人が声をかけてこられました。メモの時刻からすると、一時間半も前のことで、私が診察から戻ってくるのを警察の現場検証を済ませて待っていたようです。損傷を与えてしまったことを詫びて、車の修理をして欲しいとのことでした。

 誰も見ていなければ当て逃げをしてもわからないのに、ご当人は正直に申し出てこられた。私は幸いにも生死を分けるような転落事故でしたが、擦り傷程度で後遺症もなく検査の結果異常なしということでした。そういう体験をしたせいか、命の重さに比べて、車の損傷など直せばすむことだし、お金や物など命のことを思えば軽いものだと、あらためて思いました。

 わずかな損傷なのに詫びられたお人の誠実な態度に好感をもちました。警察でも丁寧な署員の応対に礼を述べました。自動車屋さんで修理の手配も済ませて帰りました。その日は朝7時に出て病院に行きましたが、帰宅が午後になり、出席予定の会議に出られませんでした。けれどもさわやかな気持ちで一日を過ごすことができました。

 
 生と死は隣あわせ

 転落から25日目でしたが、三度の血液検査でいずれも数値が高いものが一つあり、超音波検査を受けました。幸いにも異常が見あたりませんでした。転落事故の後遺症も心配なさそうですが、当分は血圧の薬を飲み続けることになるようです。

 命の重さは何にも比べようのないことが、思いがけない転落事故によってよくわかりました。生き死にを実感したので、今、命あることが、今、生きていることがなんと幸せなことであろうか、いまさらながら感じました。

 転落事故の打ち所が悪ければ、後遺症が出るでしょう。最悪な状況であれば、死んでいたかもしれません。血圧がかなり高いので、これも重大な病気につながる危険性があるので、怪我の功名というのでしょうか、幸い高血圧につき要注意のシグナルをも受けとることができたのです。

 死は突然におとずれる。生と死は隣り合わせで、いつ死ぬかわからない、それが生身の姿だと実感しました。けれども一難去って時間が経つにつれて、お金や物に執着してしまい、命の重さ、生きていることのすばらしさをすっかり忘れてしまいそうです。人は身勝手だから、煩悩がものごとの本質を見違えてしまう。それで、常に持戒の念を失わないようにしなければいけないのでしょう。
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