2014年3月1日 第182話             

娑婆の彼岸


苦にもありというとも楽にありというとも、
  早く自未得度先度他の心を発すべし。 [修証義]


生かされていることを喜ぶ

 脳梗塞を発症された女性が苦しい胸の内をお話になりました。脳梗塞で救急入院され、幸い一命をとりとめられたけれど、自力歩行ができない状態になられた。人の手を借りないと病院には通えないので、介護タクシーでリハビリに通院しておられます。

 ところが脳梗塞で不自由な身体になってしまってから、夫の態度がとても冷たくなった。妻をいたわるどころか夫の暴力に苦しむ二重の苦しみに耐える日々が続いている、費用もかかることから、病院に行くなとまで言われているそうです。

 夫は立場が逆であればどうしたでしょう。気持ちの余裕も、思いやりの心も失ってしまったのでしょうか。通院を続けて機能回復を目指すべきところですが、その理解がないのです。こんなにつらい思いをするのであれば、脳梗塞で死んでいたらよかったのにと女性は思っておられるようです。

 脳梗塞を発症して後遺症があるけれど死ななかったのは、お身体様が生きようとされたのです。不自由な身体になってしまったけれど、生かされていることを喜び、つらく苦しいけれど、生きていかねばならないということです。

他を利すると自らも利する

 鬱病で10年もの長きにわたり苦しんでおられる独身の男性が、こんな話をされました。その男性のお父さんは独居老人で、最近介護を必要とされるようになったが、鬱病の状態では父親の世話ができないと言われました。でも「今、あなたは働いていないので、あなたがお父さんの介護をされたらいかがでしょうか」と、その男性に言いました。

 「息子の介護を受けて、お父さんが人生の終焉に幸せを感じてくだされば、息子にとっても幸せなことです。老いたお父さんの介護が、あなたの今後の人生に役に立つでしょう。お父さんは貴重な機会をあなたに提供された、それも親心かもしれません」と、言いました。

 父親の介護をとおして、息子の精神的病が回復するかもしれません。焦らずにゆっくりとお父さんの介護を通して自分の生き方をも変えていくことができれば、生きることに悩み苦しんでる気持ちも癒されるでしょう。

 自分を大切にするように、他をも大切にできれば、それは幸せなことですが、なかなかそうは思わないもので、夫婦であっても、親子であっても、自分が大切だと思ってしまうのです。夫が不自由な身体の妻をいたわることによって、生きようとする妻が夫をも生かすことになる。父親の介護を通して、息子は父親から生きる意味を教えられることになり、鬱の病が癒されるでしょう。

自他一如

 人は一人では生きていけないことを、だれもがわかっているのですが、それなのに一番かわいいのは、大切なのは自分です。自分が一番かわいく、大切であるように、他をも大切にできればよろしいが、なかなかそれができないのです。それで、自分と他との関係において、仲間外れにしたり、無視したり、いじめたり、差別したり、軽蔑したりしてしまいます。

 ところが、他を苦しめることは自分も同時に苦しむ、ということに気づいていない人が多いようです。他を苦しめると必ず自分に苦しみが返ってくる、悩み苦しみの原因をつくっているのは他ならない自分であることに気づくべきです。

 娑婆とはこの世のことですが、仏教とともに西から伝わってきた言葉で、中国では忍土と訳されました。辛く苦しい世界ですがそこに生まれてきたからには堪え忍んで生きていかねばならない、それが娑婆の生き方です。そして自分が苦しければ、同じように苦しむ他を救ってあげる、そういう行いが娑婆生活でしょう。

 人は誰でも悩みや苦しみをかかえて生きています。悩みも苦しみも無い理想の世界を聖徳太子は「彼岸」という言葉で表されました。そして年に二回、昼と夜の時間が同じになる時期に彼岸の週間を設けて国民に心の修養をすることをすすめられました。そして理想郷である彼岸に渡るには、まず他を渡すことで自らも渡れることを実践として学ぶべきことを聖徳太子は教えられたのです。

娑婆の彼岸

 夫婦であろうが、親子であろうが、他人であろうが、人間関係の根本は変わらないはずです。すなはち、他を思いやる気持ちがあること、互いを必要とし、信頼し、尊敬しあえること、このいずれもが欠けても人間関係はうまくいかない。生涯の伴侶であればなおさらですが、しっくりとした関係が保たれるのには、互いの努力が必要です。

 人はだれでも自分より愛おしい人はいないけれど、自分よりも、あなたを愛おしいと、言ってくれる人があらわれたらそれはとても幸せなことです。そして、自分を大切にするように、他をも大切にできれば、それは幸せなことです。

 苦しいことが重なると、どうしてこんなに自分だけが苦労しなければならないのかと思います。だが、この世とは悩み苦しみのある娑婆だから、悩み苦しみと上手につきあっていくしか生きる術はありません。

 悩み苦しみと上手につきあっていくのには、一回りも二回りも大きな人間に自分を高めていく努力を絶えず続けていくべきでしょう。常に向上心を失わないで、自分を変えていくことで、つらく苦しい時にも喜びと楽しみが見つけられるから、人生はおもしろい。この世が娑婆だから、この世に彼岸があるのでしょう。
 

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