2014年4月1日 第183話             

良薬は口に苦し


      我は良医の病を知って薬を説くが如し、
      服す不服とは医の咎に非ず。
      又た善く導くものの、人を善道に導くが如し、
      之を聞いて行かざるは、導くものの過に非ず。
                        [仏遺教経]



不老長寿の霊薬

 人はだれでも健康で長生きしたいという願いを持っています。それで近年さまざまなサプリメントが売り出さるようになりました。ビタミンやアミノ酸などの栄養補給をする栄養補助食品あるいは健康補助食品などをサプリメントというようです。

 人々はサプリメントのお試し使用からはじめて、それを買い、その効果をもとめます。異分野の企業も参入して新商品の開発がさかんにおこなわれているようで、サプリメントは大きな市場になってきました。

 太古から不老不死は人間の窮極の願望でした。それが叶うようにと秦の始皇帝が徐福に命じて不老不死の霊薬を探させたという昔話が伝わっています。蓬莱という山にその霊薬があるというので、それを求めてはるばる海を渡って来たという徐福の伝説が日本に残っています。

 ところが生まれたものはいつか絶対に死ぬ、必ず死ぬから不老不死などありえません。せめてもということで、不老長寿を願うところからさまざまなサプリメントがつくられ、それを人々は買い求めます。いつの世にも健康で長生き、すなはち不老長寿が人々の願いです。

悩み苦しみを癒す妙薬

 古より人生50年といわれてきた日本人ですが、昨今では80歳を超えてもまだまだ元気な人が多いようです。日本人の寿命が近年になって驚くほど延びて、超高齢社会になりました。このことは日本人が不老長寿になってきたといえるのかもしれません。

 人生50年の時代では子供を産み育て終えると、寿命が尽きた。けれども今日のように、子供を産み育て終えてもなを30年近く高齢者として生きることになると、新たな悩みや苦しみも出てきました。

 長生きすれば健康のことだけでなく、人間関係のことでの悩みや苦しみも多くなりました。生活する上で十分なお金がなければ、できる限り質素な生活をすればよいことですが、人間関係での悩みは、自分一人の問題でないから、複雑な葛藤をともないます。

 不老長寿になったといえども、精神的な病をも多くかかえこむことになりました。不老長寿を確かなものにした日本人は悩み苦しみを癒すさまざまな妙薬を手に入れることができるのでしょうか。

自分に合う薬は自分で調合せよ

 病は気からといいますが、精神的な悩み苦しみが癒せなければ身体の不調につながります。それで長生きしていることで辛く苦しい日々を長く生きなければならないから、長生きしたくないと思う人もあるようです。

 心身一如ですから、心も身もともに健康であれば幸せです。すなはち精神的に悩みもなければ苦しみもない、そして生活に支障なく身体も健康であるならば、その人は幸せだといえるでしょう。

 医療の発展によって、病気の治癒率が向上しました。また高齢者に対する福祉も増進されて、さまざまな制度や施設の利用が受けられるようになりました。けれども生老病死はさけられない人間の基本的な苦しみです。

 老化は止められないけれど、病にならないように生活習慣を良くすることで健康管理ができます。しかし精神的な悩み苦しみに効く妙薬はありませんから、心の病に効く薬は自分で調合せよということでしょう。

良薬は口に苦し

 悩み苦しみのない生き方ができれば、それは理想的です。それには、悩み苦しみをも楽しみに変えてしまうような強靱な精神を身につければよいのでしょうが、これはむつかしいから、悩み苦しみと上手につきあえればよいようです。

 ところが、悩み苦しみの原因を他にもとめているかぎり、悩み苦しみと上手につきあえません。 悩み苦しみに効く薬があるならばそれは自分を変えることです。常に向上心を持って生きている限り、悩み苦しみを、一つ一つ乗りこえていける。自分の人格向上を目指す普段の努力こそが、悩み苦しみに効く薬のようです。

 不老不死のめざす理想郷は、生き死にを超えた安楽の境地を得ることです。 安楽の境地とは普遍的な真理を我が身に実現することで、これを仏教では悟りという。そして普遍的真理に自己を同じくして生きることを修行といいます。

 人が成熟するとは最高の人格に到達することで、仏道ではそれを仏になるという。あるいは仏にならずとも、それぞれの分野で世のため人のためにつくせたら、そういう生き方を続けていけば、仏に近づくと教えています。修行とは生き方そのものですから、良薬はまさに日々口に苦しです。

 

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