2019年10月1日 第249話 |
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生き方が、仏教 | ||||
精進こそ不死の道、放逸こそは死の道なり。 いそしみはげむ者は、死することなく 放逸にふける者は、 生命ありともすでに死せるなり。 明らかにこの理を知っていそしみはげむ賢き人らは、 精進の中にこころよろこび、聖者の心境にこころたのしむ 「法句経21」 |
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生き方を変える 人は生まれながらに無垢で清浄な心がそなわった仏であるけれど、仏らしくないところがあるのも人です。どうして人は生まれながらに仏であるのに、仏らしくないところがあるのでしょうか。それは、人は煩悩の入れ物だからでしょう。 尽きることのない貪欲のために煩悩が燃え上がってしまうのです。煩悩とは正しい判断を妨げてしまう心の働きで、煩悩が湧き出ると仏らしさが消えてしまい、悩み苦しむことになります。 愚僧が悩みごと相談を受け始めてより二十年が経ちました。悩みごとを聞いて欲しい、そんな相手先を求めて「心の悩み・人生相談」のキーワードで検索して、電話やメールで相談をお寄せになります。悩みの解消にならないかもしれませんが、聞かせていただくことで、ちょっとでも気持ちが安らげばとの思いから、応対させていただいております。 この世とは自分の意のままにならない苦の世界です。生きている限り、苦しみや悩みは尽きません。一つの苦しみや悩みが解消できても、また新たな悩みや苦しみが生じます。 なぜ悩みや苦しみが絶えないのかということですが、その原因が他にあるのでなく、自分自身にあるからです。だから生き方を変えるということに気づくべきでしょう。 |
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戒を護持する生き方を心掛ける 悩み苦しみの根源である煩悩が燃え上がらぬように、煩悩の炎を滅除せよということです。ところが、人は煩悩の入れ物ですから、尽きることなく煩悩が湧いてきます。 悪貨が良貨を駆逐するといいますが、煩悩が仏らしさを駆逐してしまうと、心身は乱れて、悩み苦しみを自分で招いてしまいます。悩み苦しみが深刻なものであれば、心身ともに病んでしまい、最悪の場合には立ち上がれなくなるから、自己管理はとても大切です。 人は生まれながらに自性清浄の心がそなわった仏であるから、仏らしい生き方である戒を持(たもつ)ことで仏らしく生きられる。悩み苦しむことなきように、日々の生活において戒を持つ生き方をしなさいと、お釈迦様は教えられました。 戒とは自性清浄心そのものですから、戒を護持する生き方を心掛けよということです。それで、まず懺悔して、そして仏法僧の三宝に帰依し、三聚浄戒、十重禁戒をいただくことを道元禅師は「教授戒文」で説かれました。 |
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生きていくのに何をよりどころとすべきか お釈迦様が生きられたのは二千五百年も前のことです。そして道元禅師が生きられたのは、お釈迦様から千七百年を経た時代で、今から八百年前のことです。 人類は猛烈な早さで知識や技術を高めてきました。そしてそれは、ますます加速度的に進展しています。現代という時代は知識や技術の高まりがさらに加速しています。人間のつくり出した人工知能が、やがて人間の能力を超えてしまうのではと、そんな予測もされるようになりました。 現代は人の交流も、情報や金融や物流も全地球的に瞬時に行き交っています。人口爆発に食料の生産がついていけません。経済の動きは国境や民族の枠を超え、繁栄と衰退、競争と格差を生じさせています。独裁国家の覇権の動き、経済と金融の危機、地球規模での環境破壊、宇宙にまで広がった戦争の恐怖など、地球規模で不安要因が広がっています。 人々は日常の生活においても精神的、肉体的、経済的な不安をかかえながら生活しています。時代とともに人間関係における不安も多様化し、人々の悩み苦しみの様相も変わってきたようです。 こうした時代に生きていくのに何をよりどころとしたらよいのか、人々はそれを模索しているのでしょう。 お釈迦様は最後のご説法に八大人覚を説かれました。八大人覚とは覚知すべき八種の法門で、少欲(しょうよく)・知足(ちそく)・楽寂静(ぎようじやくじよう)・勤精進(ごんしようじん)・不忘念(ふもうねん)・修禅定(しゅぜんじよう)・修智慧(しゅちえ)・不戯論(ふけろん)です。 お釈迦様が最後にお説きになった八大人覚の教えは、如来の究極の正しい安らぎの心であるから、道元禅師もご自分の最後の教えとして「正法眼蔵八大人覚」を説かれました。 |
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人生を百倍楽しく生きる 諸々の苦悩は貪欲がもとで煩悩が燃え上がることから生じます。それで、煩悩が燃え上がらぬように心掛ける、また煩悩が燃え上がってしまっても滅除する。そのために、禅の十六戒をよく持(たも)ち、そして八大人覚(はちだいにんがく)を覚知する生き方が説かれているのです。 自らの貪欲から諸々の煩悩が生じます。ですから、戒を持つことで日々の生活において仏らしさが保持される。八大人覚を覚知することで煩悩の炎を滅除して、安楽の境地を持続することができる。禅の十六戒を護持し、八大人覚を覚知することで、人は仏らしく生きられると説かれています。 人には生まれながらに仏らしさがそなわっているから、人は本来仏です。したがって、自性清浄心を自覚する生き方をしたいものです。そして他を救い他と幸せを分かち合うことができれば、苦悩なく安らかな寂(じやく)静(じよう)の境地を日々に持続することができるでしょう。 日常の心得として禅の十六戒をよく持ち、人生の道標として八大人覚を覚知して、「人生を百倍楽しく生きる」、これを願いとしたいものです。 この度「生き方が、仏教」を出版しました。この本が、今、悩み苦しみなく生きているのだと実感できる、そんな日々の生活を実現していくための一助になれば幸いです。
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