2020年6月1日 第257話
             
食分と命分

      示に云く、学道の人、衣食を貪ることなかれ
      人人皆食分あり、命分あり  正法眼蔵随聞記 

   仏道を学ぶ人は、衣食をむさぼってはいけない。
    人はそれぞれ一生分の食料と寿命をそなえている。



命あっての物種

 人類は紀元前の昔からさまざまな感染症と戦ってきました。古代においては、風土病とか奇病とされましたが、グローバルな現代では感染症はたちまち世界的大流行(パンデミック)になってしまいます。人類は病原菌やウイルスの正体を究明して、ワクチンや治療薬を開発してきましたが、新型コロナウイルスにはまだ有効な手立てがないから、人々は死の恐怖を感じてしまうのです。

 新型コロナウイルスは人から人へ感染し、人に寄生して増殖します。したがって感染しないようにするためには、人との距離を保つこと、目と鼻と口からの感染を防ぐことです。だが、免疫力を発揮する「抗体」があれば感染しても発症しません。免疫力は人が生まれながらに持っている身体の防衛システムです。細菌やウイルスなどの病原菌などの外敵から自分を守るために、人類が進化の過程で少しずつ身につけてきました。

 白血球は、身体の中に侵入してきたウイルスや細菌などから、命を守り続ける免疫細胞です。免疫の仕組みは実に精巧にできており、身体の中ではいくつもの免疫細胞が協調しあって働いています。多種多様な白血球の仲間達である免疫細胞群が緻密な連携を組んで異物と戦って命を守ってくれるのです。もし、免疫というシステムが身体から無くなったとしたら、私たちはすぐに何らかの病気にかかってしまいます。

 この免疫システムは15歳までにできあがり、20歳を超えるころから免疫力は低下していくそうです。免疫力が低下すると感染症に限らず、癌やアレルギー疾患などさまざまな病気にかかってしまう。新型コロナウイルスに若者が感染しても症状が出ない人が多いとか、高齢者が感染すると重症化するというのは、年齢により免疫力に差があるからでしょう。命あっての物種とは、何ごとも命あってこそのことで、健康維持のためには免疫力を高めることが不可欠です。
 ウイルスに対抗する「抗体」はタンパク質で、このタンパク質の作り方を決める情報を祖先から綿々と受け継いでいるのが遺伝子です。

命とは遺伝子の乗り物である

 原始の地球において長い時間をかけて発生したアミノ酸やタンパク質が凝集してより大きな分子となり、ある時点で自分の複製を作れる特異な分子が発生した。それが自己複製子であり、遺伝子DNAであるといわれています。
 遺伝子は自らのコピーを残す、その過程で生物体ができあがるということです。つまり人間を含めた生物の個体は、遺伝子が自らのコピーを残すために一時的につくり出した「乗り物」にすぎないということです。

 命とは、生物の生きる力、生きてる間・寿命などといいますが、生物の個体そのものをさすのでしょう。生物の個体とは、人、動物、植物など、生物のことです。
 生物の個体は遺伝子であるDNAの周りを囲むタンパク質が長い時間の進化を経て複雑に高度になったものです。したがって進化の単位は生物の個体でなく、個体の中にある遺伝子であると考えられています。

 きびしい生存競争の自然界においては利他的な行動をとる個体はうまくやっていけないから、利己的な個体が繁栄すると考えられます。ところが一見するとうまくやっていけないと考えられている利他行動が、自然界においては見られるのです。
 海の中で群れをなす鰯は他の海の生きものに食われてしまうが、食い尽くされることなく鰯は生き延びて子孫を残す。群れをなしているペンギンもアザラシの餌になるけれど、絶滅することはない。
 雄のカマキリは雌と交尾するとともに雌の餌になる。社会的昆虫である蜜蜂は、一匹の女王蜂のもとに雌でありながら子孫を残す能力を持たずに女王蜂に献身する多くの働き蜂とで群れをなしている。働き蜂の利他行動によって女王蜂は子孫を残す。このような利他的行動が、遺伝子にとっては利己的なのです。

 遺伝子は利己的である。この場合の利己的とは、自己の生存と繁殖率を他者より高めることで、生物は遺伝子の利益が最大になるように行動します。遺伝子に意思はありませんが、コピーを残す効率に優れた「乗り物」をつくり出せる遺伝子が、結果として繁栄する生物体であるということでしょう。
 生物の細胞は生きるのに必要なエネルギーを作る製造ラインを持っているが、ウイルスはその代謝を行っておらず、他の生物に寄生することでのみ増殖が可能な非生物です。自らの「乗り物」を持たず、他生物の細胞を利用して自己を複製させる極微小な感染性の構造体で、他の生物の遺伝子の中に彼らの遺伝子を入れて、ウイルスタンパクを増産する、すなわちコピーを増やすのです。

人に皆食分あり、命分あり

 竹にはさまざまな種類がある。タケノコという芽が出る時期もさまざまで、晩春から初夏にかけて地上に出ます。地下茎からタケノコとして地上に現れ出るということはどの竹も同じです。タケノコとして地上に出るときには、すでにそのタケノコは、どれぐらいの太さで、どの高さまで伸びるのかが決まっているそうです。竹の寿命についても、枯れるまでどれぐらいの年数かが決まっているようです。

 道元禅師の言葉を孤雲懐奘禅師が書き留めた「正法眼蔵随聞記」に「学道の人、衣食を貪ることなかれ。人に皆食分あり、命分あり。」とあります。一生に食べる食料の量の限度を「食分」といい、「命分」とは一生涯の寿命を意味します。人には一生涯に食べる量と、一生涯の寿命の長さに限度があるということです。

 昔、一人の僧が死んで冥土にいったところ、閻魔大王が「この人の寿命はまだ尽きていないから、娑婆へ帰すがよい」といった。ところがお付きの者が「寿命はまだありますが、食べる量の方がもう尽きています」といった。閻魔大王は「それならば蓮の葉を食べさせるがよい」といった。そのようなわけで、この僧は蘇生した後に人間の食べ物を食べることができずに、蓮の葉だけを食べて残りの寿命を保ったと、正法眼蔵随聞記にあります。

 健康維持のためには食べ過ぎはいけない腹八分がよい、食べ過ぎは寿命を縮めます。そして健康を保つには食生活を偏ったものにしなければ、免疫力を持続できるということです。
 また人には寿命というものがあるから、人間存在の有限性を自覚をすべしということです。生物の個体である人間の肉体も遺伝子の乗り物に過ぎないから、遺伝子は乗り物を乗り捨てる。人間の認識を超えたところに、生死が定まっているということでしょう。

 遺伝子は永遠なれど、命には限りあり

 生命体には、誕生するというプログラムと、死滅するというプログラムがセットされているから、誕生したものは、必ず死滅します。
 そして生きている今、私たちの身体をつくっている60兆個の細胞は、常に新陳代謝して、三ヶ月でほぼ全ての細胞が入れ替わるから、三ヶ月前の自分とはまったくの別人になってしまう。人は一生これをくり返すから、過去の自分にこだわっても、いつでも今が新しい自分であるということでしょう。このことを仏教流にいえば諸行無常、すなわち同じ姿を止めているものは無いということです。

 あらゆる生命体は単独に存在しているのでなく、共生きという結びつきにおいて誕生し、存在し、死滅していく。そしてそれは自然界の命の連鎖の流れにしたがったものであり、縁起すなわち条件と原因によるということです。これを仏教流にいえば諸法無我なりということです。新型コロナウイルスが蔓延する恐怖のもとで、人々は共生きということをこれまで以上に強く感じるようになったようです。

 生物の個体は遺伝子の乗り物だから、鶏は次の卵を作る手段にすぎず、猿は木の上で、魚は水中で、いずれも、遺伝子を保存する乗り物です。私たちの身も心も遺伝子によって作られています。ところが遺伝子自身は知識をもたず、感情もないから将来を夢見ることも、今を嘆いたり悲しんだり喜んだりすることもなく存在するだけです。煩悩のもとである欲望もないから悩みも苦しみもない、仏教流にいえば涅槃寂静であるということです。

 精子や卵子といった生殖細胞は老化せず、若いままで「互いの出会い」に備えているそうです。私たちは、お父さんお母さん両方から遺伝子を受け継いでいます。その遺伝子を運んでいるのが染色体です。染色体は生命の設計図です。その中にたくさんの遺伝子が入っており、親から子へと引き継がれる尊い命を形作っています。肉体は老いて死んでいきますが、遺伝子だけは老いることもなく、死ぬこともない。遺伝子は永遠なれども、命には限りがあるということでしょう。
 
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