2020年7月1日 第258話 |
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風鈴 | ||||
渾身、口に似て虚空に掛かり、東西南北の風を問わず、 一等、他のために般若を談ず、滴丁東了、滴丁東 正法眼蔵般若波羅密 |
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社会での不安や不満が人々を攻撃的行動に走らせてしまう 感染者数が1000万人、死者が50万人を超えるという、新型コロナウイルスの世界的大流行が起こっています。日本や西欧諸国ではおさまりつつあるが、今も世界各地に感染は広がっています。新型コロナウイルスのような未知の感染症が蔓延すると不安と恐怖、隔離がもたらすストレス、偏見と差別、そして情報のもたらす社会不安と混乱、など、さまざまな問題が生じます。 日本では4月に入り新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が出された。移動自粛要請という時期に、大阪から通勤して京都で雑貨店を経営している人に差出人不明の脅迫状が届き、店のガラスが割られるなどの嫌がらせがあった。飲食店に休業を求める張り紙が貼られるなど、いわゆる自粛警察と呼ばれる相互監視が顕在化しました。京都産業大学で集団感染があったことが報じられると、言葉の暴力がネット上にあふれ、「大学に火をつける」という脅迫する電話や、飲食店では「産大生お断り」の張り紙がされるなど、偏見や差別があった。 新潟県三条市の暖房機器製造大手「コロナ」の小林一芳社長は、社名が新型コロナウイルスを連想させることで胸を痛めている約2300人の全社員の子供達に向けて、手紙を送りました。 「もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです」などと、かなで書かれたものでした。 社会での不安や不満が人々を攻撃的行動に走らせてしまうようです。未知のウイルスに対する不安や恐怖は「言葉の暴力」をまねくことがあるようです。誹謗中傷や偏見が自粛行動に拍車をかけるということは、はたして健全な社会と言えるのでしょうか。未知のウイルスがもたらす不安や恐怖に、社会に生きる一人一人がどのように向き合っていくべきであるかが問われているのです。 |
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メンタルヘルスへの影響が問題 新型コロナウイルスの感染リスクやメンタルヘルスへの影響が問題とされている。それは大きく分けると3つの分野であるといわれています。 一つは、不安と恐怖という心理的反応です。自分が感染するのではということへの不安と恐怖、そして、感染した場合の他人への感染の不安と、検査や治療の不安、感染による差別や偏見、隔離される不安、家族を失った場合の不安と悲しみなどです。新型コロナで家族を亡くしても、親しい人にも言えない、普通の葬儀も出せない、感染者が家族にいると、子供がいじめに遭う、などの問題です。 二つは、環境の変化が引き起こす問題です。隔離や行動自粛がもたらすストレス反応、経済的打撃から生じる鬱病や自殺の増加、家庭内暴力や虐待、学校の休校にともなう学業の遅れ、ネット依存、高齢者の認知機能の衰え、など、終息しても影響が残るであろう問題です。 三つは、情報が引き起こす問題です。はっきりと分かっていない新型コロナなのにメヂアがコロナの脅威を報道すればするほど人々の恐れが拡大します。コメンテイターが国民全員に検査し陽性者全員を隔離せよと国民監視強化を求めたり、コロナ危機を戦争にたとえて煽り国民の不安と不満を醸成していくところが恐ろしい。また逆に楽観的であったりすると、不信と混乱を招きます。 ネットやSNS上には、感染した人の個人情報と誹謗中傷、生活用品の不足を煽るデマなどが溢れる。コロナより恐ろしことは人間同士の社会的関係が失われることです。 集団感染のリスクがあることを理由にして、この夏の行事のみならず11月、12月の行事までもが次々に中止とされていくと、外出や人混みに恐怖感を抱く人も多くなります。 日本は人口対比の死者数がアメリカや欧州諸国と比べて圧倒的に少ないけれど「ロックダウンしてない日本は危ない」「PCO検査が不十分な日本はもう終わりだ」などという記事も一時期あふれていました。ワクチンや治療薬の開発に各国が取り組み、そう遠くない日に有効な医療が施されるだろうが、それまでは人々の不安と恐怖は消えないでしょう。 |
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変わらぬ自然 梅雨入り間近の晴天の日、滋賀県と岐阜県の県境に位置する標高1377メートルの伊吹山に登りました。全長17キロの伊吹山ドライブウエイを走り標高1260メートルの駐車場に行くと眺望が楽しめる。新型コロナが終息したといえ、スカイテラスの売店に入るにはマスク着用してくださいの表示がありました。琵琶湖を一望できる自然なところでありながら、マスク着用という表示を見ると、人間社会と隔絶されたところではないのだという思いになる。 山頂までの標高差100メートルの登山道には様々な植物が生息しています。梅雨前では伊吹山の花々の最も美しいとされる時期には少し早いのですが、グンナイフウロやクサタチバナなどが咲いていました。山頂では琵琶湖を一望し遠く白山を望むことができる絶景でした。強い風が吹き上げる山頂には山小屋があり、登山者が多いけれど、さすがにここには新型コロナが存在する気配は感じられなかった。 伊吹山ドライブウエイの標高1000メーター付近で望遠レンズをかまえている人があちらこちらにいた。何を撮ろうとされているのかをたずねたところ、イヌワシが飛んでいるところを撮したいとのことでした。イヌワシは国の天然記念物で伊吹山には一つがいが生息しており、今は子育ての時期にあり、飛んでくるわずかなチャンスにカメラをかまえている。野鳥撮影の愛好者の顔にはマスクもなく新型コロナの恐怖の影もむろんなかった。 外出自粛解除になっても6月上旬では、まだ旅行なんてとんでもないという、風潮が消え去っていない。けれども伊吹山登山ならよいであろうという、コロナの恐怖を忘れての一時でした。ブナ、ナラ、カエデなど緑美しい伊吹山の麓に下りてくると、マスクをしてハンドルを握っている人々の車とすれちがった。この社会は新型コロナの恐怖から離れられないのである。人間社会にはコロナの恐怖があるけれど、自然界は何ごともないということでしょう。 |
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目に見えないものは、恐ろしくもあり、恐ろしくもなし そもそも地球の歴史からすれば、三十数億年前の原始の地球に自分の複製を作れる特異な分子が発生した。それが遺伝子DNAであり生物体の出現です。同時期に自己増殖できないから 他の生物に入り込んでコピーをつくる非生物があらわれた、これがウイルスです。新型コロナウイルスは人から人に感染します。感染力が強く、そして潜伏期間が長く、感染しても発症しない人が多いことから、知らず知らずに他に感染してしまう。感染すると免疫力がはたらくから発熱する。だが免疫力が負けてしまうと重症化して死に至るから、人々は恐ろしいと感じる。しかもワクチンも治療薬も開発されていないので、恐怖が増すのです。 人間も自然界の生きものの一つであるけれど、人から人へ感染する新型コロナウイルスは人間とのみ関係する。人口の多い都市部に爆発的に感染していることから、人間社会の感染病です。人の流れが全世界的になった今日では、またたくまに地球規模で感染がひろがり、世界的大流行となる。コロナウイルスの感染は人間社会の出来事なのです。 「渾身、口に似て虚空に掛かり、東西南北の風を問わず、 一等、他のために般若を談ず、滴丁東了、滴丁東」 これは正法眼蔵の摩訶般若波羅密の巻の中にある一節です。道元禅師が中国でご修行されていたときに、如淨禅師から風鈴の教を受けられことで、とても感動され、感涙にむせんだと、後に語っておられる。 風鈴は身体全体が口となって虚空に掛かり、涼しい音を発す。東西南北、どちらから風が吹いてこようが、ちりんちりんと鳴る。良き音色を他に届けようという思いもなければ、吹く風を選ぶこともなく、風の吹くままに、風まかせに音を発す。そのこだわりのない風鈴の音は、仏の声であり、仏のあらわれである。 マスコミが明けても暮れてもコロナウイルスの報道をするから、人々は恐怖心から離れられなくなって委縮してしまう。対処する薬がまだ見つからず死に至る可能性があるから、恐怖や不安を感じます。感染防止とは人々に恐怖心をあおり立てて、ことさらに恐れさせることで感染が防げたりするということでもなさそうです。他から自分自身が感染しないようにする。また、自分が感染しているかもしれないから、他に感染させないようにする。これが感染防止ということでしょう。 目に見えないものは恐ろしくもあり、恐ろしくもなし。風鈴の音の如く虚空だから、不生不滅、不垢不淨、不増不減です。人間は今後も新たな感染症との闘いを避けられない。新型コロナウイルスについて、私たちは何を誤り、何を学んだのでしょうか。
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