2020年9月1日 第260話 |
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即今 | ||||
生といふときには、生よりほかにものなし。 滅といふときは、滅のほかにものなし。 かるがゆえに、生きたらば、ただこれ生、 滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。 いとふことなかれ、ねがふことなかれ。 正法眼蔵 生死 |
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光陰は矢よりも速やかなり、身命は露よりも脆し 夏の終わりの頃、境内の掃除をしていると、蝉の亡骸をあちらこちらで目にします。短い夏の日に声をかぎりに雄ゼミはもっぱら雌にラブコールします。やがて子孫を残し終えるや蝉は一生を終えます。亡骸は地面に落ち、その死に姿をさらしている。小さな生きものの昆虫ではあるが、それは堂々としたものです。 やがて蝉の亡骸は蟻など他の生きものの餌となり分解されて土にかえっていく。卵として産みつけられたあたらしい蝉の命は、幼虫として土中で成長します。幼虫で地下生活する期間は、アブラゼミは六年、長いものは十数年といわれており、昆虫としては寿命が長いようです。 美男の形容に使われる表現として、水も滴る良い男などといいます。たしかに人間は人体の60%は水であるからそう言うのかもしれません。顔だちが美しい女性を美人だとかべっぴんなどと言います。ところが 死んで荼毘にふされると、いずれであっても骨壺の白い骨になってしまい、美男美女の片鱗さえも消え失せてしまいます。人は自分の容姿をさげすんだり、美男美女をうらやんだりしますが、しょせんは、人体のほとんどが水であり、星々の成分である酸素や炭素、鉄、などの元素で形成されたものだから、本来無一物ということでしょう。 秋になると日暮れが早いから、夕刻になると、月日の経つのが速いと感じます。「光陰は矢よりも速やかなり、身命は露よりも脆し」と修証義にあります。時の過ぎゆくのがことのほか速い、そして、いつ命が尽きてしまうかわからない。まだまだ先があるなどと悠長にかまえていると、突然に死がおとずれるかもしれません。常に人生の終焉を想定した生き方を心得ておくべきでしょうが、それは全く予測しがたいものです。 |
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元気の出る遺伝子をONにする ヒトの細胞は50~60兆個もあるそうですが、元をただせば受精卵の一個の細胞から、私たちの命が始まり、十月十日で3兆個の細胞の赤ちゃんとなり、この世に誕生します。その細胞の一つ一つに同じ遺伝子が組み込まれている。遺伝子は親から受け継いだものであり、一分一秒も遺伝子の働きは止まることなく、環境の変化や心の動きに敏感に反応しています。 遺伝子はDNAという暗号で書かれているが、働いている遺伝子は5%程度で、95%は働いていないという。それで、寝ている良い遺伝子をONにして、起きている病気になるような悪い遺伝子をOFFにすることができれば、病気を防ぎ長寿になるという。また眠れる遺伝子がとんでもない未知の力を秘めているかもしれません。遺伝子のスイッチは、さまざまな刺激や環境変化や気持ちの持ち方によって、ONにもOFFにもなるから、良い遺伝子をONにすれば、人生が充実して幸せに生きられるということです。 元気の出る遺伝子をONにするには、感動すること、プラス発想することです。病気は遺伝子の働きに関係する。遺伝子が正しいかたちで働かないとか、働いては困る遺伝子が働き出すのが病気です。病は気からといいますが、気持ちの持ちようで健康を損ねたり病気に打ち勝ったりもする。強い精神的ショックを受けると白髪化という老化現象が一気にでる。末期癌で余命数ヶ月と宣告されても元気な人がいます。マイナス発想すると、悪い遺伝子を働かせてしまうから、プラス発想するほうがよいのです。 行き詰まりを感じたら、環境を変えてみることです。新しいものに触れることは、OFFになっていた良い遺伝子を目覚めさせる。人との出会いや、環境を変えることで人生が変わる。しゃべる時にも笑う時にも遺伝子が働いているそうで、言語情報を脳から出すときには遺伝子の働きがいるのです。そして笑いは幸せを生み出す大きな力となります。人生をよりよく生きるために、なにごともプラス発想でとらえ、先のことをあまり考えず、目の前のことに精一杯に取り組むのがよい。 |
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微笑みの仏 今から200年前の人で、木喰上人という僧がいました。享保三年西暦1718年、現代の山梨県に生まれ、1810年93歳で亡くなった。21歳で出家して、44歳で観海上人より木喰戒を授かり、長年この木喰戒に生きたことから木喰さんとよばれています。 55歳にして、北海道から九州まで全国各地を遍歴して、行く先々で仏像を彫り、郷里に帰ったときは82歳になっていた。ところが88歳にして新たな願をかけ、再び故郷を後にして各地を遍歴して仏像を彫り、93歳で没した。同じ時代の円空さんが荒々しい彫りで喜怒哀楽を表したのに対して、木喰さんはやさしい彫りの微笑仏を残しました。 木喰さんは終生に木喰戒を保った。木喰戒とは肉魚はもちろん、米麦豆稗粟の五穀をも食さず、火をとおしたものを食べず、蕎麦粉を水でといて食したと伝えられています。さらに、臥具を用いて寝ることなく、つねに衣一つであったという。蕎麦を食したことから、蕎麦が栽培されている片田舎や山間僻地をまわっていたようです。蕎麦粉が得られて、雨露をしのぐ場があって、彫刻の材料があれば逗留して、その地に仏像を彫り残している。 木喰仏には何とも言えない情感があふれている、なかでも89歳のとき5ケ月間滞在した丹波の清源寺で彫った16羅漢は木喰の最高傑作といわれ、そのユーモラスな表情の微笑仏は後の世の人々を魅了してやまない。この時、自らを木喰明満仙人と称しています。 丹波の清源寺の地域の人の伝えるところによると、闇夜に鑿の音が聞こえる、行ってみると真っ暗闇に線香一本の明かりで木喰さんは彫っていたという。まさに心眼で、木に宿っている仏の性を彫り出していたのです。 木喰仏は名も無き庶民によって大切に守られてきた。辛く苦しいとき木喰仏が生きる希望と勇気を与えた。争いを鎮め、貧困や天災にあった人々の心を支えてきた。粗末なお堂にまつられて、お経も読めず、仏の教えにも巡り会えない、そんな人にも仏の教えを授けています。 一分一秒も遺伝子の働きは止まることがない。遺伝子は歳をとらないから、いくつになっても才能を開花させる能力を遺伝子はもっている。木喰さんは良い遺伝子のスイッチがいつもONであったので、天地の恵みに生かされて93歳の長寿であった。木喰さんの行くところが命の終焉の場となるかもしれないから、日々が死出の旅でした。即身成仏をめざした木喰さんの生き方は、はからずも日々が即心是仏の修行であった。だから、木喰さんが全身全霊をこめて彫り続けた千体を超える仏像は、ことごとくが木喰さんの人生の終止符である自刻像です。 |
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生きているのは、一瞬の今 「古池や蛙飛び込む水の音」 松尾芭蕉が滋賀県にある岩間寺を訪れた時のことです。古池に 小さな生きものである蛙が、大宇宙の静寂を破る衝撃の音を発した。浮き世の波にのまれて、自分自身を見失ってしま うところを、蛙の発した音が芭蕉の耳を破ったのです。 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 山形県の立石寺は蝉時雨につつまれていた。命の限りに鳴く生命の躍動を、八万四千の教典が読まれている仏の声と聞いた。 「野ざらしを心に風の沁む身かな」 どこで行き倒れるかわからない、骨を野辺にさらす覚悟を しての旅であるが、この身には風の冷たさがこたえる。 「死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮れ」 ふと寂しさを感じることもあったようです。 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」 旅の果て、俳聖芭蕉の辞世の句です。 芭蕉の句は300年を経ても新鮮です。芭蕉は俳諧にありがちな文字遊びを楽しみ競うこともなく、生死と向き合い、蕉風とよばれる芸術性の高い句風を確立した。俳聖芭蕉の句は、真実を求め、生き死にをよんだものであったからこそ、時代を経ても、人々の心の琴線をふるわすのでしょう。 感性とは感受する能力と、それにより行動する能力です。意識して感性のレベルを上げていくと、より高いものを求めたくなる。美しいものに出会うと、ものの見方が変わり、発想のひらめきがある。そして美しいものにふれると、人は穏やかな心安らぐ気持ちになれる。歳を重ねるほどに向上心を高め、ものごとの本質を求め続けることほど幸せなことはないということです。 蝉の如く古い皮を脱いで新しい自分に変えていくと、一回りも二回りも大きく成長できる。脱皮しないでいつまでも過去にこだわっていると、そこから抜け出せない。自分が変わらなければ、自分を変えていかなければ、何ごとにおいても前途は開けてこない。短い一生ですから、今を、どのように生きるか、日々精進すべしということでしょう。芭蕉の句は、まさに生きている、今という一瞬を切りとったものであった。 「生といふときには、生よりほかにものなし。かるがゆえに、生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。」 生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなりと道元禅師は諭された。 今とは、過去でもなく未来でもない、今は、今のみで、過去が今になったのではない、今が未来になるのでもない。生は生のみ、死は死のみで、生きているのは、一瞬の今でしょう。
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