2021年1月1日 第264話
             
平常是道

     生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。
     たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもわず、
     春の夏となるといわぬなり。 正法眼蔵現成公案  

光陰流水

 金星や地球そして太陽のみならず、宇宙には数多の星々がある。ビックバーンにより宇宙がはじまり、宇宙は膨張し続けている。膨張する宇宙が時間であり存在であり、あらゆることの根源です。宇宙に終わりがあるのか、終わることなく宇宙は膨張し続けるのか、いずれであるかは人間の知能ではいまだ解明できていないようです。お釈迦様は明けの明星の輝くさま、そのままが、真実のあらわれであるとさとられました。

 明けの明星の輝きがお釈迦様のおさとりです。「明星出現の時、我と大地有情と同時成道す」お釈迦様はおさとりの感動をこのようにあらわされた。それは2500年前のことです。明けの明星は金星です。お釈迦様は地球から金星を眺められましたが、今日では人工衛星を飛ばして金星を間近に見ることができるようになりました。

 光陰流水とは、時があたかも流れる水のように過ぎ去っていくことです。 2014年12月3日の打ち上げから2195日約6年光陰流水のように時が過ぎた。ハヤブサ2は52億4000万キロを飛び、微小な星であるリュウグウの岩石のかけらをカプセルに詰め込んで地球に持ち帰ってきた。2020年12月6日の早朝、オーストラリアのウーメラ砂漠にカプセルを地上に落下させることに成功した。カプセルを地球に送り届けたハヤブサ2は、この先11年も飛び続けて次の天体をめざすという新たな旅に出ました。

 リュウグウという小さな星は地球の軌道に近いところにあるから、地球に衝突する可能性のある星の一つとされています。その星の岩石のかけらを持ち帰ることで、太陽系の成り立ちや地球生命の起源を探る手がかりが得られると考えられており、採取したこの岩石のかけらの成分の研究が期待されます。人工衛星・ハヤブサは日本のものづくりの技術が集結したもので、小さな町工場の卓越した技術がこの偉業を支えています。カプセルが流れ星のように輝いて地球に落下した、この光景に人々は感動しました。コロナ禍にあっての明るい話題となりました。

顚倒夢想

 三十数億年前の地球に宇宙の塵から発生したアミノ酸やタンパク質が凝集してより大きな分子となり、自分の複製を作れる特異な分子が生まれた。それが遺伝子DNAで、生物体の出現です。同時期に他の生物に入り込んで、すなわち感染してコピーをつくることで増殖する非生物があらわれた、これがウイルスす。

 遺伝子は自らのコピーを残す、その過程で生物体ができあがるということです。つまり動物や植物などの生物の個体とは、遺伝子が自らのコピーを残すために一時的につくり出した「乗り物」であり人体も同様です。生物の個体のもとである遺伝子DNAは、新型コロナウイルスのような変異するウイルスに打ち勝つために免疫力をつける。このことで生物は進化してきた。

 昨年1月に中国武漢で感染が始まり、世界中に広がった新型コロナウイルスの恐怖が収束しないままに2021年の新春を迎えた。ワクチン開発が急務とされ、ワクチンが実用化されつつあることは明るい話題であるけれど、コロナ禍の先行き見通しはまだまだ安堵されたものでなく、先が読めないから、人々の不安は消えないのです。

 遺伝子には意思もなければ欲望もなく、無垢清浄そのものです。遺伝子こそ生物の本能の根本であり、本能に生きているかぎり煩悩は生じない。けれども人間は脳の進化とともに思考回路が高度になり、知識や能力が高まり、悩み苦しみを生じさせる精神作用である煩悩が生じるようになった。
 煩悩をおこさせるもとになるのが、貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろかさ)の心です。般若心経に顚倒夢想(てんどうむそう)とありますが、誤った想念のことをいいます。脳の進化にともない貪・瞋・癡の心が誤った想念を生み、悩み苦しむという副作用がともなうようになりました。

不生不滅

 「たきぎははいとなる、さらにかえりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを、灰はのち薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといえども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、後あり先あり。かの薪、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのちさらに生とならず。しかあるを、生の死になるといわざるは、仏法のさだまれるならいなり、このゆえに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆえに不滅という。生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり。」道元禅師は、正法眼蔵現成公案でこのようにいわれた。

 道元禅師は生の死になるといわざるがゆえに不生という。死の生にならざるがゆえに不滅という。生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり、といわれた。薪と灰にたとえれば、薪が燃え尽きると灰になるが、薪はあくまでも灰でなく、薪は薪であり、灰は灰です。前後際断せりということです。
 般若心経に不生不滅とありますが、生せず滅せずです。同じことで、春の時には冬といわない、夏の時には春といわない。前後際断せりですが、人はそのように受けとめないから、顚倒夢想になってしまう。

 過ぎ去ったことをくりかえし語る人がいます。あの頃はよかった、とか、悔やんでもしかたのない経験談など、昔の自分のことを他人に話す人がいますが、いずれも過去の私であって、今の自分でないのです。
 川の流れは高きより低きに流れる。とどまることなく流れ去る。雲も現れ消えて常に同じからずです。行雲流水とは、たなびく雲も、流れる水も常に同じからずだから、淡々とした心で、ものごとに執着せずということです。

 春夏秋冬に時はめぐるけれど、「春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有り、若し閑時の心頭に掛くる無くんば、便ち是れ人間の好時節」と、無門関十九則にあります。無門慧開禅師はこの言葉をもって、禅を志すものの心得とし、ものごとに執着せず動じることなく正しく行ずべしと、平常是道、平常のこころが是れ道なりと説かれた。それは前後際断せりで、ことごとくが只今であり、只今を生きるということでしょう。

平常是道

 お釈迦様は明けの明星の輝くさま、そのままが、真実のあらわれであるとさとられた。道元禅師は「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」と、この世のことごとくは、無垢清浄であり、作為されていない純粋なもので、真実にして偽りのない姿を現していると詠まれた。ところが現実には、作為や虚偽がこれをくらまして、ほんとうの姿を隠している。つくられない、汚れていない自然の中に、美しい姿を見出すことが大切であるということでしょう。

 真実にして偽りのないものを求めていくと、世の無常を観じる心が生まれる。「龍樹祖師の曰く、ただ世間の生滅無常を観ずる心もまた菩提心と名づくと。然らばすなはち暫くこの心に依るを、菩提心と為すべきものか、誠にそれ無常を観ずるの時、吾我の心生ぜず、名利の念起こらず、時光のはなはだ速やかなることを恐怖す」と道元禅師は学道用心集で述べられたが、無常を観じることで生き方を深く考えることになり、そのことが幸せに通じるということです。

 石原慎太郎さんは「老いてこそ生き甲斐」という本の中で、「人生は急いで歩いているつもりの私の横を急行列車のように通り過ぎていってしまったのです。」と書いておられますが、「光陰は矢よりも速やかなり、身命は露よりも脆し」です。光陰は疾風の如くで、日月はまたたくまに過ぎていきます。
 無常とは常住の対語で、諸行すなわちこの世の一切のもの、万象ことごとくはとどまることなく変わり続け、また生滅するものである。だから、道元禅師は「すでに人身の要機を得たり、虚しく光陰を渡ることなかれ」「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてか、この身を度せん」と叱咤された。
 
 明星の輝きが仏法です。それは北極星の如しで不動でありますから、政治も経済も人間関係もこの根本から逸脱してはならないのです。
 正月の正とは一を止ということで、ものごとの始まりです。また正しいとは顚倒夢想でないということで、真実を見る、真実を聞くということであり、道とは生死であるから、正しい生き方をすべしということでしょう。
神応寺のホームページを開設して23年目の春を迎えました。毎月更新の「鐘の音」も264話になりました。今年もよろしくお願いいたします。 
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