2022年8月1日 第283話 |
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無分別 | ||||
あるとき、あまねく諸方を参徹せんために、曩をたずさえて 出嶺するちなみに、脚指を石に築着󠄂して、流血し痛楚するに、 忽然として猛省していはく、是身非有、痛自何来。すなわち 雪峰にかへる。 正法眼蔵 ・ 一顆明珠 |
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自己流の分別 おもちゃの鉄砲で遊んでいた子供が、大きくなってインターネットの情報をもとに、殺傷能力のある鉄砲を作った。標的は反響が大きい方がよいと、こともあろうに世界の平和と人類の福祉に多大の貢献をなさった安倍元総理を警備が手薄だったことから、至近距離から殺害してしまいました。 41歳のこの人物が犯行におよんだのはいかなる動機によるのでしょうか。母親が自己破産になってしまった原因の宗教団体に対する積年の怨みをはらすべく、その宗教団体と関係しているからと、社会的に影響力の大きい安倍元総理が非業の死をとげることで宗教団体の悪行を世にさらすことができるという理由を述べているそうですが、はたしてそれだけでこのような行動におよんだのでしょうか。 母親の自己破産により家族が生活困窮に陥った。高校を卒業して海上自衛隊に3年間勤務していたが、退職後は職を転々として生活資金を得ていたということです。この5月まではリフトによる積み下ろしの仕事に従事していたが、仕事の手順をめぐって人間関係がうまくいかず退職したそうです。リフトでの積み下ろしの仕事は、手順にしたがって作業することでロスを小さくし、作業の安全も確保されるのだが、その手順に従がわないというので、仕事の現場でもめ事が生じるようになったということです。利己的で協調性がない人だと見なされていたのでしょう。 おたがいが共に社会を生きる仲間であるという認識が欠けていたようです。この人物は一人暮らしで、居住していた地区の人々とも日頃あまり接することもなかったそうです。人間関係を自ら遮断していたのでしょうか、孤独の城に閉じこもって、人の命を狙う殺人装置や鉄砲の製作に没頭していたようです。 警察の捜査が進んで動機の究明がなされるでしょうが、社会的影響力の大きい元総理を殺害することで、怨みの対象である宗教団体に多大の打撃を与えることをもくろんでの犯行であったということは、家庭の崩壊ということからも、事件の背景に宗教団体に対する怨みがあったことは否定できないようです。 |
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不条理 父親はこの人物が4歳の時に亡くなったそうです。母親が宗教団体にのめり込んだことが原因で家庭が崩壊した、そして兄の死など、さまざまな悲しい状況におかれた約20年の間での、この人物の心の変化についても、注視されるべきでしょう。不条理とは物事の筋道がたたないことをいいますが、宗教団体に対する母親の行動、家庭の崩壊、肉親の自死という悲しい現実は、この人物にとって不条理なことであり、この不条理を生み出す社会に対して怨みの気持ちが向けられるようになったのでしょうか。 海上自衛隊に入った頃、2002年に母親が自己破産した。伯父の話では、母親が宗教団体に入信し、父親の生命保険金や自宅の不動産の売却による多額の献金をしたことから破産したということです。本人は海上自衛隊に在籍中に自殺未遂をした。理由は破産により兄弟が困っているので、自分の生命保険金を渡そうと思ったと、海上自衛隊に説明していたということです。 自分の心にわだかまっている不条理を感じながらの日常ですから、生きる希望や目標を持つことができないばかりか、信頼できる人、親身になって悩みを受けとめてくれる人との出合いもなく、人間関係においてもめぐまれない孤独な日々を過ごしてきたのでしょう。仕事も転々として、悶々とした生活ぶりが続いていたようです。 不条理におしつぶされそうな自身の心の葛藤が20年続いたのでしょう。孤独の深穴にしだいに沈んでいくと、不安心が消えず、満たされない心の動揺を自制できなくなってしまいます。生きる力が弱くなっていくと、その先は自死にいたることがあります。あるいは自死を社会に対する憤懣に置き換えて、他人の命を巻き添えにした犯罪行為や、自分が生きてきたという証しを残すことを目的とした犯行を引き起こしてしまうようです。 犯罪心理に詳しい精神科医の片田朱美さんによると、過酷な人生を送った結果、歪んだ特権意識が生まれ、許されないことも許されるとの思い込みが事件につながったと指摘している。母親が破産した原因である宗教団体に怨みをつのらせていたが、その矛先を安倍元総理の殺害に置き換えるという心理がはたらいたのではないかという。 近年発生している無差別殺傷事件と、形は異なっているが、強い欲求不満を抱きつつ孤立し、絶望感、無力感、復しゅう願望をいだいていた点は共通しているという。そして、現代は地域や家庭のコミュニテイーも崩壊しつつあり、孤立し鬱結して困ったときに相談できる相手もなく、他人の意見や考え方、感じ方を聞く機会がないために視野が狭くなり、復しゅう願望に凝り固まってしまったのではないかという。 コロナ禍にあって若い世代の人たちが息苦しさを感じており、閉塞感や怒り、不満みたいなもののマグマが社会の底流にあり、同じような事件が起きるのではと危惧する声もあります。 |
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一切世界は一粒のかがやく珠である 禅宗には一転語というのがあります。これは日常の常識的な分別の世界をひっくりかえして、人々にさとりを開かせる契機をあたえる一句です。 「あるとき、あまねく諸方を参徹せんために、曩をたずさえて出嶺するちなみに、脚指を石に築着󠄂して、流血し痛楚するに、忽然として猛省していはく、是身非有(ぜしんひう)、痛自何来(つうじがらい)。すなわち雪峰にかへる。」 雪峰山の真覚大師のもとで修行していた玄沙師備という僧が、さらに修行を徹底しようと思い、旅支度をととのえて出立したところ、足を石に打ちあてて出血し激痛を感じたとき、忽然として気がついた。「この身は固定した実体のないものであるのに、いったい痛みはどこからくるのか、と」ただちに、雪峰山に帰った。 一切世界は真理があらわになった、真理という一粒のかがやく珠(一顆明珠)である。あらゆる存在は泡の如く雷の如しで、生じては滅していく固定した実体のないものであり、それぞれが、一粒のかがやく珠であり、真実そのものである。人もかがやく珠であるから、自分は明珠でないと卑下してはならない。この真実を大切にして修行の日々をおくるべきであると。道元禅師はこのように説いています。 分別という言葉は、日常的には、かんがえ、わきまえ、判断、思案のことで思慮分別などとつかわれています。広辞苑によると、分別はもとは仏教語として、心が外界を思いはかること。事物の善悪・条理を区別してわきまえること。考えること。思索をめぐらすこと。世間的な経験・識見などから出る考え・判断。思慮。となっています。 この分別に対して無分別とは、思慮がない、見さかいがない、わきまえがない、などと一般には悪い意味に使われています。 現代人はことごとくを比較してとらえようとします。優劣、明暗、長短、上下、大小、多い少ない、好き嫌い、などです。比較すれば物事の実態が正確に把握できそうに思えるのですが、一方をとらえれば一方はくらしで、結局は曖昧な理解しかできないのです。分別に執着しなければ、比するに前後の歩みの如しです。一切世界は一粒のかがやく珠であり、あらゆる存在が真実そのものであることを識るでしょう。人も輝く珠であるから、自分は明珠でないと卑下してはならないのです。卑下すると自己否定してしまい、他者をも信頼できなくなり、不条理に遭遇すると迷路からぬけだせなくなってしまうのです。 |
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無分別智 広辞苑には、仏教語として「無分別智」という言葉があるとして、知られるものと知るものとの対立を絶した絶対智の意で、真如に悟入する智、根本智とあります。 仏教語としての「無分別」とは、分別から離れていること、比較をしない、主体と客体を区別し対象を言葉や概念によって分析的に把握しようとしないことで、この無分別の智慧が無分別智です。 この世の真実のありさまである実相の理は、一なるがゆえに無分別なり。一切世界は一顆明珠(一粒のかがやく珠)であり、一顆明珠(真実のありさまである実相)であるから無分別です。何ごとにおいても執着心を放下すると、一切世界は一粒のかがやく珠であり、分別の余地などもとよりないことが理解できるでしょう。一顆明珠とは現前の世界そのもので、一切世界は一顆明珠という共同体であり、人は一人一人が共同体に生きる仲間であり、輝く珠そのものだから、共同体に貢献することが生きる意味だということでしょう。 宗教は心の安寧をもたらすものでなければなりません。心の悩みや不安を除いて、安らぎの心を得る導き手でなければなりません。ところがそのように信じてすがる思いで宗教の門に入ると、安心への道に進むのに多額の献金や寄付を強要されたり、不安心や苦痛を体験することで解脱するなどと、言葉巧みに誘導されると、それは宗教とはほど遠いものです。 家庭崩壊や自己破産をまねいたり不安心や恐怖心の縛りをして奈落に落としめたり、その子供までが苦しまなければならないというのは、宗教といえません。政治は人によって治められることから、治政をつかさどる人を正道に導くのが宗教であるから、宗教団体は政治に関わることなく、大道を逸脱してはいけないのです。 コロナの蔓延も不条理の一つでしょう。世の中は思いどおりにならぬことが多いということは、不条理を知るチャンスかもしれません。いちいち腹立てるより、世の中には不条理があることに気づくことが、不条理を生き抜く力となるのです。生きづらい世を生きやすく、住みにくい日常を住みやすくするは己の心なりけりです。 一切世界は一顆明珠という共同体であるから、不条理の中にあって生き抜く力を自己の身につけるには、世の中に役立つ存在となれ、他に貢献できる喜びを知れということです。 世の中は全てが縁起に由ることから、ことごとくがつながっている。したがって、他の役に立つこと、他から必要とされる存在であること、他に貢献することで、真の幸せが得られるでしょう。 |
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