2023年4月1日 第291話 |
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最勝の善身 | ||||
人身得ること難し、仏法値うこと希なり、 今我ら宿善の助くるに依りて、 已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、 遭い難き仏法に遭い奉れり、 生死の中の善生、最勝の生なるべし、 最勝の善身を徒にして 露命を無常の風に任すること勿れ。 修証義 |
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仏生迦毘羅(ぶっしょうかぴら) お釈迦さま ご生誕 4月8日はお釈迦さまの誕生日です。今から二千五百年前にヒマラヤ山麓のカピラバアスツというところにあったとされる小国の釈迦族の王子として、後のお釈迦さまである、シュッダールタがお生まれになりました。 お釈迦さまのお母さまマーヤさんは、当時の習慣によって出産のために生家へ向かう途中にルンビニーの花園(現在はネパール)で無優樹(むゆーじゅ)の花びらに手をふれられた時、急に産気ずかれてお釈迦さまをお産みになられたと伝えられています。 お釈迦さまはご誕生されるや、東西南北の四方にそれぞれ七歩あゆみ、右手をあげて天を、左手で地を指し「天上天下 唯我独尊」と言われたと伝えられていることから、お釈迦さまの誕生を祝う花御堂の誕生仏は天地を指すこのお姿です。その誕生仏はすべての人々、一切の生きとし生けるものの尊き命の誕生をあらわしたもので、「天上天下 唯我独尊」とは「生きとし生けるものみな尊い命をもっている」という意味です。 森羅万象は生まれ、そして滅します。一切の命は自然界の生死のめぐりによるものです。お釈迦さまのお母さまマーヤさんはお釈迦さまをお産みになって7日目に他界されたと伝えられています。お釈迦さまはこの世に生を受けられたのですが、生後まもなく母親と死別するという悲しい人生の始まりでした。生まれながらにして世の無常を体得されたのです。 後のお釈迦さまである、王子シュッダールタには、ヤショーダラー妃との間にラフーラという子もあったのですが、29歳の時出家者となられたのです。城には東西南北に門があり、門を出ようとすると門前に老人・病人・死者を見た、それでもう一つの北の門から出て、出家求道されたという四門出遊の話が伝えられています。一説には出家の動機を、部族間争いが絶えず、自らが王位を捨てることによって、一族に戦火がおよばないようにとの願いのもとに城を出られたとも伝えられています。 |
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成道摩掲陀(じょうどうまかだ) お釈迦さま成道 お釈迦さまは29歳になられた頃、お悩みがもっとも深刻な状態でした。人はどうして悩み苦しみながら生きていかなければならないのであろうか。人には生老病死のみならずさまざまな悩み苦しみがあり、戦争もあり、天変地異の被災もある。ことごとくが悩み苦しみの連続である。この悩み苦しみを脱却できたならば、安らかな日々を生きることができる。自分がこの苦悩を克服できたならば、人々の悩み苦しみも救うことができるであろう。その道を求めようと、一大決心をされたお釈迦さまは、妻子も地位も財産も捨てて出家されました。 お釈迦さまは求道の導き手を求めて各地をたずね歩き、さまざまな修行をされました。だが、さらなる悩み苦しみの日々でした。その悩み苦しみは修行を重ねるごとに深くなっていきました。お釈迦さまの苦行は六年も続きました。痩せこけて、あばら骨があらわでした。時には意識がもうろうとする、そういう状態になってしまわれたのです。ナイランジャナー川の畔にたどり着かれた頃には、もう歩けない状態であったと伝えられています。村娘のスジャータの乳粥の供養を受け体力を回復されたお釈迦さまは、ブッダガヤの菩提樹の下で坐を定められたのです。 坐禅を続けておられたお釈迦さまは、夜が明けはじめた東の空を仰がれました。そこには明星が輝いていました。夜の明けるのにともない、小鳥たちが一斉にさえずり始めました。まわりの木々のざわめきも、天空の雲の動きも、吹き抜ける風さえも心地よい。これまでに感じたことのない感動に、お釈迦さまは我をわすれて坐っておられた。味わったことのない喜びの気持ちがお釈迦さまの全身にみなぎっていたのです。 お釈迦さまは、生きとし生けるもののみならず、山川草木、木っ端から石ころにいたるまで、一切のものが同時にありのままの姿で現れ輝いていることに、深く感動されたのです、この世の真実のありさまを、そのままにごらんになられたのです。 「我と大地と有情と同時に成道(じょうどう)す」と、心で叫ばれました。この感動がお釈迦さまのおさとり、すなわち成道でした。我と生きとし生けるもの、山川草木も、星々もことごとくが真実をあらわしている、ことごとくが真実の現れである。その真実の有り体をそのままに受けとめて、真実と一つになられたのです。お釈迦さまが菩提樹の下で、おさとりになられた12月8日を成道の日としています。 |
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説法波羅奈(せっぽうはらな) お釈迦さま ご説法 お釈迦さまは何を悟られ、何を教えられたのかということですが、それは縁起の道理です。この世の中は縁起により全てが関係により成り立っているということです。縁起の道理とは、因(原因)と縁(条件)とにより果、すなわち、関係によって生れ、関係がなくなれば滅するということです。因と縁の関係のもとに、なにごとも現象していることから、同じ状態をとどめるものはなく、かたちあるものは滅びていく、これを無常といわれた。ことごとくが固定した実体をもっていないから、不変に存在するものはない、これを無我といわれました。 この世のすべての事象は、縁起により生じ、滅することから、永遠に存在する自我はなく、霊魂は輪廻転生しないと、お釈迦さまは気づかれました。また、ことごとくが無常であり無我であり、すべてが関係してしている、このことを知らない、つまり無明であるがゆえに苦ととらえてしまうのであって、一切皆苦というけれど、もとより苦しみの生じることもなく、苦しみの滅することもない、このことにも気づかれたのです。お釈迦さまは苦しみの消滅したところを、涅槃といわれました。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、これを三法印といい、これがお釈迦さまの教えの根本です。 宇宙の真実である「法」とはお釈迦さまだけの個人的体験から生まれたものでもなく、神の啓示(神が人間に真理を教え示すこと)によるものでもありません。宇宙の真実である法がお釈迦さまを悟らせたのです。ご自身が真実の光明に照らされていることをお悟りになられた覚者「仏」です。お釈迦さまは宇宙の真実である「法」を人々に説くことを心に決められ、サルナートの鹿野苑において、苦行をともにしてきた五人の修行者に最初に法をとかれました。そして、五人は、お釈迦さま(仏)とその教え(法)に帰依されたのです。 宇宙の真実である「法」のもとに、お釈迦さまとこの五人の修行をするものの集まりである僧伽(そうぎゃ)「僧」が形ずくられました。ここに「仏」と「法」と「僧」の三宝、すなわち仏教が成立したのでした。 さとりは法(お釈迦さまの教え)として説かれました。お釈迦さまの説かれた法をよりどころとして、お釈迦さまと生活を共にする修行者がしだいに増えていきました。すなわち僧が一箇所で生活し修行する精舎ができていったのです。これが仏教寺院の始まりです。 |
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入滅拘絺羅(にゅうめつくちら) お釈迦さま ご入滅 悩み苦しむ人々が、お釈迦さまのところに来るようになりました。どうすれば悩み苦しみからのがれられて、安楽な生き方ができるようになるのでしょうか。今の苦しみからのがれられないならば、いっそう死んでしまえば楽になるのだが、死にきれない。悩みを克復して、どうすれば生きていこうという気持ちになれるのか。多くの人々が悩みからの脱却の道を求めて、お釈迦さまのところに来られたのです。 おさとりになられた36歳の時から、80歳で亡くなられるまで、お釈迦さまの修行は続きました。そして亡くなられるその間際まで、人々の苦悩に寄り添い、そして四衆への説法を続けられました。 日本はストレス社会でしょうか、年間に自殺者が2万人を超えています、悩み多き人々が多いのです。どの人もこの世に必要だから父母のもとに生れてきた、かけがえのない命です。ですから、他人が人の命を奪うことはできない。戦争もテロも同様です、自らが命を絶つ自殺も許されるものではありません。 お釈迦さまのおさとり、そして教えは、この世は縁起の道理によりすべてが関係して成り立っているということです。ですから、命が命を育み生かす、すなわち一切の生き物は他を生かし、他に生かせてもらっているという大原則があります。自然界はすべてが自己を超えた利他によってつながっているといえるでしょう。生きているということは、自分のために生きているようであっても、他のために生きているということです。 この世に三千万種の生き物が生存しています、そのどの生き物もみんな生かし生かされあいしている、すなわちすべての命がお互いを支え合っているのです。「天上天下、唯我独尊」とは命の尊厳を讃える言葉であり、人もすべての生き物もみな共生きであることを讃え喜ぶ言葉です。 菩提樹の下で坐禅をしておさとりになられたお釈迦さまのさとりの境地が涅槃です。涅槃とはニルバーナの音訳で、煩悩の炎が吹き消された悩み苦しみのない境地です。また、命が滅するということでもあります。 2月15日はクシナガラで亡くなられたお釈迦さまのご命日、涅槃の日です。お釈迦さまのご入滅が近いことを感じて不安な思いにあるアーナンダや弟子達を前にして、お釈迦さまは「自らを灯とし、自らをよりどころとし、法を灯とし、法をよりどころとして、怠ることなく修行を続けなさい」と、つげられました。 お釈迦さまは80歳という当時としては驚異的な長寿者であられた。私たちは今、長生きができる時代に生きています、お釈迦さまの生き方をお手本とするのが仏教徒です。私たちは人としてこの世に生を受けることができた。道元禅師は、人身得ること難しと、人に生まれてきたことは、善生最勝の生を得ることができたということのみならず、遇い難きお釈迦さまの教えをいただくことができたのですと言われました。だから、「最勝の善身をいたずらにして、露命を無常の風にまかすることなかれ」と教えられたのです。 |
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