2025年2月1日 第313話
             
幸せのバロメーター
     いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ
     つねならむ うゐのおくやま けふこえて 
     あさきゆめみし ゑひもせすん
 


この世のすべてのものは因と縁と果のつながり、縁起による

 自然界のありさまは因(原因)と縁(条件)と果(結果)の関係、因縁と因果によります。たとえば、地上の暖かな空気が上昇して上空の寒気と交わると雲が生じ、冷却されると雨や霰あるいは雪となり地上に降りそそぎ水となる。水は地下に浸透して後に湧き出るもの、川となり海に流れ行くもの、生命体に止まるもの、蒸発するものさまざまです。
 「世の中は 何にたとえん 水鳥の 嘴(はし)振る露に やどる月影」 一切のものは生滅・遷流して常住なるものなし、たえず変化し、移り変わって、とどまることがないと、世の無常を喩えて、道元禅師はこのように詠まれた。

 「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、又かくのごとし」
 平安末期の歌人である鴨長明が、世のすべてのものは常に移り変わり、同じからずと方丈記に記しています。人の有様を生まれては消える水の泡沫に喩えたものです。人身とは壊れやすいものであり、やがては消滅するものであるから、固定した実体のないもの無我である

 「逢うてわかれて、わかれて逢うて、末は野の風秋の風、一期一会のわかれかな」と古歌にあります。自分自身との別れ、すなわち死はいつおとずれるかわかりません。我が身は朝露のごとしで儚いものである。別れには生き別れも死に別れもある。会者定離とは、出会いの時があれば、必ず別れの時があるということです。出会いと別れは、只今の一瞬であって、すべからく一期一会です。無常すなわち、世のはかなく、人の命のあやうきことを忘れざるべしです。

 お釈迦さまは、この世の現象はすべて縁起によることをさとられました。宇宙も、地球も、海も、山や川も、生きとし生けるものの命も、人間関係さえもが、ことごとく縁起により生じ、また滅する。縁起により生じ、存在し、消滅することから、輪廻転生もないのです。
 縁起とは、因と縁と果のつながりのことです。この世に存在するものことごとくが同じ状態をとどめるものはなく、常に変化しているから諸行無常です。そして固定した実体(我)というものはなく、諸法無我です


無常を観ずるとき、吾我の心生ぜず

 人の最大の悩みは、いつか死がおとずれるということで、それを認めざるをえないのです。ですから認めたくないと思えばそれも苦です。けれども、医者に余命を告げられたとか、事故や天変地異の恐怖を感じたとか、身近な人が亡くなられたとか、自身が高齢になったり、体調不良を感じて深刻な事態を心配するようなことになれば、自分の死を思うでしょうが、そうでなければ、死を深く考えることもなく日常を過ごしています。
 人は生れた時からだれもが同じ病である、死に至るという病にかかっています。したがって、生老病死は自然なことですが、自分は変わらないという思い込みをしたいがために、人体も無常であり無我であることに素直になれないから、一切皆苦と感じてしまうのです。


 日々の生活においても自分の思い通りにならないことが多いことから、一切皆苦であると思ってしまいます。このような人間の姿を無明という。無常、無我を覚知すれば苦しみの消えた涅槃に入ることができるのですが、一切皆苦と感じてしまうのは凡夫ゆえの悲しさでしょう。


 「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん」
 香りよく色美しく咲く花もやがては散ってしまう。この世は常ならず、いつまでも生き続けられるものでない。されど、悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることもなく、現象の仮相(実在しない仮の姿)の世界に酔いしれることもなく、安らかな心境になると古歌にあります。        

 道元禅師は「無常を観ずるとき、吾我の心生ぜず」といわれた。無常、無我なることを観ずることが、苦の消滅した寂静無為、安楽の境地に入ることの前提であると説かれました。無常、無我を覚知することで涅槃寂静に至ることができるということです。
 この世のすべてのものは因と縁と果のつながり、因縁と因果、すなわち縁起によることから、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静である。これを三法印といい、これがお釈迦様の教えの根本です。


世の中は今日よりほかはなかりけり、
昨日はすぎつ明日は知られず


 「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねが)うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。」と修証義にあります。

 「生といふときには、生よりほかにものなく、滅というときは、滅のほかにものなし。かるがゆえに生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ。」と正法眼蔵生死の巻きで、このように道元禅師は説かれています。


 死はいつおとずれるかわかりません。生と死は裏と表なり、背と腹なりということでしょう。生より死に移るのではなく、生というときには生ですべてが言い尽くされる。滅というときには、滅よりほかに何もない。生のときは生だけ、滅のときは滅だけであって、したがって生死だからと、いやがったり、きらったりなどと、生死に執着するすることもなく、一切の苦が消滅したところの涅槃を願うこともなく、ただ、ありのままに受けとめればよろしいということでしょう。

 お釈迦様のおさとりは縁起の理法です。この世の中は縁起により全てが関係により成り立っています。関係により生まれ、関係がなくなれば滅する。因と縁と果のつながり、因縁と因果、すなわち縁起による。
 授かった命を存分に生きることが、生を明らめ、死を明らむるということでしょう。

幸せのバロメーターとは、利他行 

 悩みや苦しみがあると、その原因を知り、これを取り除き、苦しみからのがれ、幸せになりたいと願います。それで、だれかに悩み相談をします。悩み事相談で断トツなのが人間関係です。そして健康、お金に関する悩み、この三つがほとんどです。
 人間とは「世の中」と広辞苑にありますが、人間関係すなわち、人との関わりなくして人は生きていけません。けれども自己が一番大切だと思っているから、人間関係が上手に保てなくて、悩みとなるのです。

 お金は価値の尺度であるのに幸せの尺度だと幻想しているから、尺度の見誤りにより、欲望の闇に迷い込んで奈落の底に堕ちてしまう。お金に妄想して死にいく人もある。お金も人身と同じく固定した実体のないものだから、無常であり無我です。だからお金に惑わされるなということでしょう。

 バロメーターとは、気圧が天気の指標となることから、晴雨計つまり気圧計のことです。このことから、あるものごとの現在の状態を指し示す目印となるものをバロメーターというようになったそうです。愛のバロメーター、元気のバロメーター、拍手は人気のバロメーターなどといいます。人は自分の思い通りにならないことが多いことから一切皆苦と思い込み、一喜一憂してしまいます。基準となる本質をしっかりと認識していなければ、バロメーターに翻弄されてしまうのです。幸せのバロメーターがあるとするならば、それは何でしょうか。

 がむしゃらに利己に執着しても、世の中は縁起により関係し合って、ことごとくがつながりにより成り立っていますから、利己でなく利他に生きようとすることで、人間関係の苦しみも和らぎ、幸せが実感できるようになってきます。どうやら幸せのバロメーターとは利他であり、そこが理解できていないから悩みとなり、深刻であれば苦しみとなるのでしょう。
 幸せのバロメーターとは利他行のようです。
この世のすべてが因と縁と果のつながりによることから、利他行を生き方の根本として只今をよりよく生きる、その生き方が生死の一大事因縁というのでしょう。

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