2025年7月1日 第318話
             
 
               無情説法


          渓声即是広長舌 
          山色豈非清浄身 
          夜来八万四千偈 
           他日如何挙似人   蘇東坡


       
渓声すなわちこれ広長舌、山色あに清浄身に非らんや
           夜来八万四千の偈、他日いかんか人に挙似せん


生あるもの、死は必然なり

 木には高木もあれば低木もある、風媒花もあれば虫媒花もある。種子を結ぶものもあれば、種子のないものもある。水生植物もあれば乾燥地に適合した植物もある。他の植物に寄生して生存するもの、群生しているもの、植物は多彩である。
 動物も空中を飛ぶもの、陸にまた水中に生息しているもの、卵生のもの胎生のものなど、地球上には多種多様な生き物がいます。


 植物であろうが、動物であろうが、どんな生き物でも生命体はみな生まれたら確実に死を迎える。植物は枯れるといい、動物は死ぬという、ちがいはあるけれど、植物は芽生えたときにやがて枯れていくことが、動物も生まれたときに、やがては死ぬということが決まっている。

 何億年もの時間の流れの中で、生き物はそれぞれ特異な進化をとげてきた。それは環境の変化に適合して、たとえば氷河期の低温にも、極度に水分が減少した砂漠にも、その環境に適合することで生存してきた。適合することができたから生き残れたということでしょう。
 こうした進化の過程を人間ならば単細胞生物からを胎内で十月十日でたどり、人間の赤ちゃんに成長して誕生する。

 地球上にはさざざまな生き物が生息しているが、自己の死を認識するのは人間だけでしょう。ゴリラやチンパージのような知能の発達したものであっても死の意味を認識していないようです。
 生命体は共通して子孫を残すという命題をもっています。子孫を残すことにおいて、生命体は生存している。したがって子孫を残すことにおいての危険を察知すると、逃れるという行動をとる。しかし危険から身を守ることの意識と行動はあるけれど、人間以外の生き物に死の認識はなさそうです。


命の受け継ぎ

 
生命体は植物であれ動物であれ、子孫を残すためにこの世に生まれ、生存している。子孫を残すということは、それぞれの生命体の遺伝子を残し、命を後世につないでいくということです。したがって生命体が生きているということは、子孫を残すためであり、それは後世に遺伝子を伝えていくということです。したがって 生命体とは遺伝子の乗り物であって、親の生命体から子へ遺伝子が伝わることが、命が誕生したということです。そして生命体である子は成長して、親となり、子を産み遺伝子をつなぐのです。

 生物の分類における基本単位である、その種がより繁栄するために、生命体はより多くの遺伝子を残そうとします。そのためには優れた遺伝子を多く残す、これが原則です。より多くの優れた遺伝子を残せるものが、発展するということです。そのために同じ種の間においても、自己の遺伝子をより多く残そうという競争行動が生じます。

 単細胞生物から多細胞生物へ、生き物は長い年月のあいだにそれぞれが進化をとげている。知能の高度に進化した人間も生き物の一種ですが、千差万別多種多様な生き物が地球上には生息している、人間ははたしてその生態系の頂点に君臨しているのだろうか。傲慢な人間はそれぞれの生き物がもつ特性を人間の都合により利用するのみならず、遺伝子さえも組み替えて、その固有の性質までも変えてしまうという行為におよんでいる。

 生命体の成長と命を保つことにおいて、生き残るために食べ物を補給しなければなりません。さまざまな生命体が存続していく上においての自然なありさまが食物連鎖でしょう。しかし同じ種の間においても自己の遺伝子を残そうとする競争が発生します。だが自然界には、人間が言うところの弱肉強食というものはなく、優れた遺伝子を残そうとする生命体の行動があるのみです。


この世の現象は、ことごとくが縁起の理法に準拠している

 植物の種が大地に落ち、土と水と太陽光により発芽して成長し、実を結び枯れていく。動物は雄と雌の出会いにより、子が誕生し、成長して子孫を残し死んでいく。この世は原因と条件(縁)の絡み合い、すなわち縁が関係することで、事物が生まれ、あるいは消滅する。原因と縁の関係することが因縁であり、また因果である。ことごとくの事象は縁起によるということ、これがこの世の原則であり、この縁起の理法を悟られたのがお釈迦様です。

 縁起の理法によりこの世のすべてが事象として現成しているから、そこには人間の思慮分別の入り込む余地はなく、人間の欲のおよぶものも無い。ところが我欲からすると思い通りにならないことばかりであるから、生老病死を悩みや苦しみとして受け取ってしまうのです。

 なにものも同じ状態をとどめるものはなく、無常である、この事象の現成が諸行無常です。またこの世の現象は縁起の理法にもとずき事象は現成しているから、固定した実体は存在しない、永遠不滅、不変のものはない。すなはち無我であり、ことごとくのありさまがそのようで、諸法無我です。

 生老病死は縁起の理法にもとずく事象の現成であるが、人の我欲ではそれを苦しみと受けとめてしまう。生まれたら死ぬ、ただこれだけのことなのに、諸行無常なることも、諸法無我なることも、受け入れ難いことから、それで人は一切皆苦と受けとめてしまう。この縁起の理法をありのままに受けとめることで安穏の境地に入る。煩悩の消滅した安穏の境地を体得できれば
、一切皆苦はなく、涅槃寂静あるのみです。

宇宙と人生をつらぬく真理をさとる

 何十億年という長い時の流れを経て、この世に生息するあらゆる生命体は、ことごとくが縁起の理法にもとずき、進化をとげて命をつないできた。そして、あらゆる生命体はことごとくが関係により生息できているから命が継承されてきた。優秀な遺伝子をより多く残せているものが生き残り、そうでないものは淘汰されていくということですが、自然環境の激変とか特異な出来事や、ウイルスなどの猛威、人間の傲慢さがおよばないかぎりにおいて、種の絶滅は無く、ことごとくが関係を保ちながら生命体は後世に命を継承している。

 お釈迦様がさとられたこの世の真理である法とは、縁起の理法であり、それを仏法という。縁起の理法のもとにあらゆる事象が現成している。そのことごとくを仏という。
 植物や動物などの生命体のみならず、山や川、海、天空、地殻も縁起の理法のもとに、刻々と変化をとげている。山川草木、万物生命ことごとくが縁起の理法の現成、すなわち仏である。

    渓声即是広長舌 渓声すなわちこれ広長舌
    山色豈非清浄身 
山色あに清浄身に非らんや
    夜来八万四千偈 
夜来八万四千の偈
     他日如何挙似人 
他日いかんか人に挙似せん  蘇東坡

 無情説法を聞くとは、山河大地に心身を融合せしめ、山川草木と自分を一如とすることです。
 「峰の色渓のひびきも皆ながら、わが釈迦牟尼の声とすがたと」
 心身を脱落すれば、山河大地も山川草木も皆、釈迦牟尼仏の現成であると道元禅師は詠われた。
 大地自然の、その音を観る、その景色を聞くところ、我は仏と一つのものとなる。釈迦牟尼世尊は明星の輝きをご覧になって、宇宙と人生をつらぬく真理をさとられました。お釈迦様にならって、宇宙と人生をつらぬく真理をさとることが仏教徒の生きがいです。山川草木は常に真理を説いている。これが無情説法です。


 
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