渓声便ち是れ広長舌。山色清浄身に非ざる無し。 夜来八万四千の偈。他日如何が人に挙似せん。 正法眼蔵・渓声山色 (蘇東坡の偈) 谷川の音はそのまま仏の説法である。山の色はそのまま仏の清浄身である。 夜来聞く八万四千の偈。いかにして人に示すことができようか。 |
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自然薯(じねんじょ)という野生の芋があります。地中深く根を下ろす。その根が山芋で、栄養分を蓄えています。春にこの芋から芽を地上に出して、他の植物に絡みついて上へ伸びていきます。そして花を咲かせ実を結ぶ。その実がムカゴです。このムカゴは1~2㎝の球芽で地中の山芋とともに栄養豊富な秋の味覚です。自然薯は天地の恵み、自然(おのずから)の命です。 人間が地球を支配しているという傲慢な思いからでしょうか、自然とは人間の手が加わっていない状態をいうのだと、そういう見解を述べる人は、手つかずの自然などという表現をする。仏教では本来的な姿を自然法爾、自然(じねん)といいます。明治になってNatureという英語を自然(しぜん)と訳したことから、自然をしぜんというようになった。 自然は森羅万象、天地万物をあらわす言葉でもある。山紫水明とか雪月風花、柳緑花紅などと、四字熟語にして自然の美しさや壮大なるさまをあらわす。あるがままを自然という。この自然は仏で満ちている、そのありさまを「本来の面目」という。仏の光明であるから、ことごとくが仏性そのものです。 道元禅師は、森羅万象の総体を、そのままに詠われた。 「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」 ごとくが仏の光明であるとされたのです。そして、それは時の移りゆくさまでなく、刹那そのものの姿であり、一瞬の真実の現れを詠まれたのです。これが「本来の面目」であり、自然のありさまです。 |
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人は生まれながらに避けがたい苦しみをもっている、生老病死のみならず、さまざまな苦しみを日常に感じながら人は生きています。お釈迦さまは、苦とは何か、なぜ苦が生じるのか、苦が無いということは、どういうことだろうか、どうすれば苦から脱しられるのか、この疑問をもたれたのがご出家の動機とされています。 苦が無いというのはどういうことか、人間だけが苦を感じるのだろうか、苦を克服することを考えるのも人間らしさということだろう。苦とうまくつきあっていくにはどうすればよいのだろうか、こういうことが、お釈迦さまの修行の課題であったのです。この疑問を解くために6年の修行をかさねられたのです。そして、自然に生きることが苦から脱することだとさとられた。 自然とはおのずからなりということです。おのずからを海辺の砂遊びでたとえると、砂でなにかのかたちを造ってみる、砂に絵を描いてみる、ところが、大波がそれらを消し去ってしまうでしょう。この光景をたとえとしてみれば、すべてが変わりゆくこと「諸行無常」、不変のものなどありもしない「諸法無我」、そして波という「縁」がそうさせている。これが自然(おのずから)であるということでしょう。苦は人間の欲望から生じるものにすぎず、自然界にはもとより苦はなく、「涅槃寂静」であると、お釈迦さまは教えられた。 お釈迦さまが到達された苦からの脱出とは、苦とともに生きること、すなわち、自然に生きるということでした。それには、自然をしり、自然に生きるすべを身につけるということです。それはまた、自然に生きることの難しさをしることでもある。 仏教は自然に生きることの教えです。自然に生きるとは、自然に同化した生き方ということでしょう。では、自然に同化して生きるとはどういうことでしょうか。生き方における自然なふるまいとはどういうことか。また、自然でないふるまいとは、どういうことを指すのか、このところをあきらかにしなければならない。 |
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アルテミス計画により、人類は月での生活をめざすことになりました。米航空宇宙局NASAが主導し、日本を含む多くの国が参加する、国際的な有人月探査プログラムが進行しています。4月2日に打ち上げられたオリオン宇宙船で月の裏側を回る10日間の月周辺旅行が成し遂げられました。 月は地球に同じ面を向けていることから、地球からは月の裏側を見ることができません。今回のプログラムは地球の引力圏を離れて、月の引力圏に入り月の裏側を回って地球に帰還するというものでした。オリオン宇宙船はアポロ宇宙船が到達した地球からの距離をさらに延ばして、人類が地球を離れて最も遠いところへ到達しました。 オリオン宇宙船に搭乗した四人の宇宙飛行士によって多くの写真が撮影された。月の裏側の写真はもちろん、多くの貴重なデーターが得られたようです。地球から眺める月の姿は美しいものですが、月の向こうに見える、宇宙に輝く地球の姿は、ため息がでるぐらい美しい。漆黒の宇宙空間に浮かぶ月と地球を一画面でとらえた映像は息をのむ光景で、究極の自然の美です。 アルテミス計画により地球と月とを結び、人類は宇宙にまで生活の場を広げていくことになります。人類の叡知によるこのような偉業がなされている一方で、宇宙から見た美しい地球においては、人類は戦争に明け暮れ、環境破壊なども進んでいます。地球は生命を育む宇宙空間に美しく輝く唯一無二の星である。宇宙から見れば、地球の総体がとらえられる。宇宙に輝くその美しい地球には、人間の欲望による煩悩のうごめく様子など、全く見えないのです。 |
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| 自然とは万法なり 苦しみの原因を他にもとめないで、自己の欲望より生じることに気づくべきです。貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)、むさぼり、いかり、おろかさより悩み苦しみが生じる。自己中心の強欲の心がはたらくと、意のままにならないから、苦と受けとめてしまう、それが煩悩です。まず懺悔して煩悩の炎を消し去るべし、これが自然に生きる心構えの一つです。 人は善と悪、損と得、好き嫌い、などと二辺で受けとめがちです。人間の心は二辺すなわち二つの考えが絶えず争いがちで、これが心の病です。この分別心を捨て去れば、すなわち無分別の智慧を身につけておれば道を違えない。これが自然に生きる心構えの二つ目です。「雨あられ雪や氷というけれど、溶ければ同じ谷川の水」です。 原因と条件(縁)が仮に和合して、すなわち関係性のなかですべてが存在している。この世は因縁生起・縁起なり。とかく人は自分にとって損か得かで判断してしまうことがあまりにも多い。ところがそれは了見の狭い利己的なものであって、利他的に行動しなければ息苦しさを感じる。この世の全てが縁による関係で成り立っているから、利他がこの世の大原則です。利他、これが自然に生きる心構えの三つ目です。 「渓声便ち是れ広長舌。山色清浄身に非ざる無し。夜来八万四千の偈。他日如何が人に挙似せん。」谷川の音はそのまま仏の説法である。山の色はそのまま仏の清浄身である。夜来聞く八万四千の偈。いかにして人に示すことができようか。蘇東坡は廬山で渓流の流れる音を聞いて悟ったという。すなわち、慢心を離れ、執着心を放下する。これが自然に生きることの基本でしょう。 「仏道をならうというは、自己をならうなり、自己をならうというは、自己をわするなり、自己をわするというは、万法に証せらるなり」 自己をわすれ万法に証せらるとは、自然と同化することです。自然と同化するとは、静かに坐り、肩肘張らず、姿勢正しく、ゆっくり吐く呼吸法、すなわち禅定(只管打坐)です。自然に生きるとは、万法に証せらることであると、道元禅師はいわれました。 |
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