2026年10月1日 第333話
             
世は無常なり

  この故にまさに知るべし、世は皆無常なり、会うものは
 必ず離るることあり憂悩を懐くことなかれ、世相かくの如し。
 まさに勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て、
 諸の痴暗を滅すべし。世は実に危脆なり、牢強なるものなし。
 我れ今ま滅を得ること悪病を除くが如し。これはこれまさに
 捨つべき罪悪のものなり。仮に名づけて身となす。
 
                            
 遺教経


形あるものは壊れゆくものである

 「弟子たちよ、私の終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なないものはない。今、私の身が朽ちた車のようにこわれるのを、この無常の道理を身をもって示すのである。」お釈迦様の最後の言葉が教典として伝えられています。

 世はみな無常なり。この世のいっさいのもの、すなわち万物は、一時として同じかたちを止めるものはありません。どんなものでも変わっていく、生あるものは死んでゆく。お釈迦様はご自分がまもなく死んでいくであろう姿を、そのままに見よと、我が身をもって無常について弟子達に説かれました。

 この無常ということについて、人々は日々の生活においてあまり気にとめていないようです。でも、このことわりが、人が人らしく生きようとするための原点になるはずです。命の儚いこと、命の尊いことに気づくから、やさしさの心が育まれ、真理に生きようとする気持ちがおのずと生じてくるようになります。命に限りあることを思うから、より良き人生でありたいと願う。そして、他の人を思いやる気持ちにもなれるのでしょう。

 生まれてきたものは必ず滅するものなり。わかっているけれど、いつも気にしているわけではありません。気にしないばかりか、自分だけはなかなか死なないと思いこんでいるから、欲するままに、わがまま勝手に生きています。
 人は自分自身の心の中に生じてしまう貪りの心、怒りの心、愚かな心に負けてしまう。人は欲深く弱いものですから、欲におぼれてしまい、自分を見失ってしまうことがしばしばです。そして自分の小さな欲の心でものごとをとらえようとするから、ものごとの本質が見えないのです。欲がまた新たな欲を生む、この煩悩のために欲の底なし沼にはまりこんでしまうのです。そして苦しみがまた新たな苦しみをつくることになる。

煩悩の炎が吹き消された安らぎの境地を涅槃という

 「ああ、この世はなんと美しいところであろうか、人生はなんと甘美なものであろうか」、八十歳になられたお釈迦様は、まもなくご自分の命が尽きるであろう時に、ご自分の気持ちをこのように語られたそうです。今際のきわに我が人生をふり返り、こういう感慨を吐露できる生き方ができれば、それはすばらしいことでしょう。

 我が国は高齢化社会になりました。長寿の時代に人々はどのように生きればよいのか、子を産み育て、仕事と社会と関わり、自分を振り返る余裕さえなく、これまで走り続けてきました。そうした人々も、高齢者の仲間入りをすることになります。高齢者としてのこれからの生き方が、その人にとって、人生の善し悪しを決定づけることになるかも知れません。

 お釈迦様のご入滅が近いことを感じて、不安な思いのアーナンダや弟子たちにお釈迦様は、「自らを灯とし、自らをよりどころとして、法を灯とし、法をよりどころとして、怠ることなく修行を続けなさい」とつげられた。
 お釈迦さまのご入滅を涅槃といいます。涅槃とはインドの古い言葉であるニルバーナの音写です。煩悩の炎が吹き消された状態の安らぎ、さとりの境地をいいます。お釈迦様は最後の説法で、煩悩の炎を消しなさいと教えられました。

 欲が生きる希望につながるということでもあるから、欲がある限り煩悩の炎を消せないようです。煩悩の炎が消えた状態を涅槃といいます。また、涅槃とは生命の火が吹き消されたということで、入滅、死去をいいます。人は死ななければ、煩悩の炎が消えて、安らぎの境地に入ることができないのでしょうか。
 この世に生まれてきてよかった、さまざまな喜び、悲しみ、人との出会い、みんな味わい深いことであった、生きてきてよかった。自分の命の尽きる時、このように自分の終焉をたたえることができるでしょうか。

人生の道標・八大人覚とは菩薩の悟り

 お釈迦様は最後の教えとして八大人覚(はちだいにんかく)を説かれました。とても意味深い教えであるから、よく肝に銘じて聞法(もんぽう)しなければなりません。八大人覚はお釈迦様の遺言です。二月十五日の中夜にお釈迦様は入般涅槃(にゆうはつねはん)あそばされた。命尽きるまさにその前に弟子達へ最後の説法をされた。この説法の後にはもうお釈迦様のご説法はなかったのです。「我が本師釈迦牟尼仏、入涅槃の夜の最後の所説なり。 」(正法眼蔵八大人覚)。
 お釈迦様が人生最後にお説きになった教えを、そのままに如来の究極の正しい安らぎの心(正法眼蔵涅槃妙心)として、道元禅師は「正法眼蔵八大人覚」を説かれました。

人生の道標・八大人覚
一つには少欲
(しょうよく) 
かの未得の五欲の法中において、広く追求せざるを名づけて少欲となす。
二つには知足
(ちそく)
巳得の法中において、受取するに限りを以てするを、称して知足といふ。
三つには楽寂静
(ぎようじやくじよう)
諸々の心乱れる騒がしさを離れ、静所に一人住まいするを、楽寂静と名づく。
四つには勤精進
(ごんしようじん)
諸々の善ことを努力し実行することを精進という、専一で雑じりけなく、進んで退かず。
五つには不忘念
(ふもうねん)
また守正念と名づく、法を守って失せず、名づけて正念と為す、また不忘念と名づく。
六つには修禅定
(しゆぜんじよう)
法に住して乱れず、名づけて禅定という。
七つには修智慧
(しゆちえ)
聞思修を起こすを、智慧と為す。
八つには不戯論
(ふけろん)
証して分別を離れるを不戯論と名づく、実相を究尽する、すなはち不戯論なり。

 少欲も知足も欲であることにちがいないことから利己・自利である。したがって究極の欲とは少欲知足であり、利他でなければならない。
 楽寂静とは、燃えさかる煩悩の炎を消しなさいということで、静慮すなわち心静かに落ち着きなさいということです。
 勤精進とは、「仏道は必ず行によって証入すべきこと」。発心・修行・菩提・涅槃は一つのもの(行持道環)、道環し断絶せずということです。
 不忘念とは、「自らを灯とし、自らをよりどころとして、法を灯とし、法をよりどころとして、怠ることなく修行を続けなさい」ということです。
 修禅定とは、身と心と息を調える、只管打坐です。修行と証
(さとり)は一つのものであるから、行住坐臥のことごとくを修禅定すべし。
 修智慧とは、法を修するということです。法を聞き、心に思い、身に修せば、ほんもののさとりという智慧が湧き出る。
 不戯論とは、真理をさとって分別妄想を離れること、分別とは執着を生み出す心の働きであるから、不戯論とは無分別なり。

 「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心、および侘己の身心をして脱落せしむるなり。」(正法眼蔵現成公案)


 諸仏は是れ大人(だいにん)なり。大人の覚知する所、ゆえに八大人覚と称す。この法を覚知するを涅槃の因と為す。

 お釈迦様の最後の説法「遺経」は仏の遺言です。二月十五日入般涅槃の中夜に説かれた最後の教えとされています。自らのお命が尽きようという、その時に、お釈迦様は滅後の弟子たちのために、菩薩の悟り、これを八通りに分けて説かれたのが八大人覚である。
 道元禅師はご自分の教えを正法眼蔵として、百話を書き残そうとされていたようでしたが、体調が良くないことを感じられ、その思いも達せられなかったのです。お釈迦様が最後のご説法とされた、菩薩の悟りを、ご自分も「遺経」として、八大人覚を説かれた。

 「正法眼蔵八大人覚」は、 正法眼蔵95巻の最後の草稿となりました。したがって「正法眼蔵八大人覚」は道元禅師の遺経なり。お釈迦様の最後の説法であり、道元禅師もご自分の最後の説法とされた。八大人覚の教えは、「遺経」として、とても意義深い教えです。
 道元禅師の「正法眼蔵八大人覚」は、建長五年正月六日、永平寺で記されたが、体力の限界にあって法孫の義演によって清書されたと道元禅師の法嗣である懐奘
(えじよう)が記述している。この年の八月二十八日に、道元禅師は五十四歳で入寂されました。


 「諸仏は是れ大人(だいにん)なり。大人の覚知する所、ゆえに八大人覚と称す。この法を覚知するを涅槃の因と為す。」八大人覚の大人とは菩薩なり、菩薩のめざすところは菩薩の悟りで、これを分かって八つにする、ゆえに八大人覚なり。一つ一つのそれぞれの覚に八つの覚りが具わっており、すべてを数えると64あることになる。さらにひろめて数えるときは、その数は無量となる。八大人覚の教え「遺経」は仏の遺言であるから、これを身につけて、人生の道標としたいものです。


 やがて生成AIが人間の知能を超える日がくる、そうすると人類の滅亡につながるという説があります。そういうことですから、八大人覚は人類の智慧として、より意味深いものとなるでしょう。
 無常なる世に、人間として生まれてくることは難しい、そして仏法に出会うことはさらに難しい。無常なる世だから、寝て明日の朝、目が覚めるかどうかわからない。だから、今、この一瞬を無駄に過ごしてはならない。より良き人生を歩もうとする人びとは、この八大人覚を人生の道しるべとして、己自身の上に常に保持しておきたいものです。

 八大人覚は二月十五日にお釈迦様が説かれた最後の教えである。如来の弟子はくりかえし身につくまで学ぶべし。これは、如来の究極の正しい安らぎの心(正法眼蔵涅槃妙心)であると、道元禅師も最後のご説法とされたのです。

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