お水
奈良の東大寺二月堂のお水取りは、1250年間途切れることなく続けられてきた伝統行事です、関西に春を告げる行事として、一般に「お水取り」の名前で親しまれています。正式には「修二会」(しゅにえ)と呼ばれて、毎年3月1日から14日まで二週間続くお勤めですが、その中でも12日の夜(13日早朝)に本尊にお供えする香水・若水汲みが「お水取り」と呼ばれています。
このお水取りが終わる頃、「水」をテーマとする国際会議である「第三回・世界水フオーラム」が、3月16日〜23日、京都、滋賀、大阪を結んで開催されます。
国連によると、世界の5人に1人約12億人が安全な水を飲むことができない。年間300万人以上が汚染された水を飲んで病気になり死亡している。そして世界人口の15%約8億人が十分な栄養を摂取できない、世界の約半数の人が不衛生な状況のもとにおかれているそうです。
地球の水
宇宙から地球をみると水のかたまり、海と雲ばかり、地球全体の水はおよそ14億立方キロであり、そのうち比較的つかいやすい河川や湖沼などの淡水は0.01%にすぎないそうです。
アラル海は綿花栽培に大量の水を使用したために干あがってしまった、全世界で環境破壊が急速に進み、異常気象、洪水の多発、干ばつが進行しています。水の問題は食料供給、生態系の保護、水資源の利用、水質保全、気候変動、都市、災害、森林、海洋、文化、環境、健康、貧困等々と多岐にわたります。
砂漠の国では水は生命そのものです、カロト(水溜)の水の使い方の教えがコーランにあるそうです。それはまず最初に赤ん坊を洗え、次に野菜を洗え、衣類を洗え、最後に畑にまけということだそうです。
湾岸戦争でイラク軍は砂漠に展開して進軍、過酷な環境の下、喉の渇きに耐えられず、水・水をくれとのイラク兵の叫び声が無線傍受に聞こえたという。油井を燃やし酸性雨を降らし、ペルシャ湾に原油を流して海を汚染した。水と油とどちらが高価であるかの地域の水を汚してしまった、イラク人は自らコーランの教えに逆らってしまったのです、二度とこの誤りをおこしてはなりません。
水は多くの生命を生み育んできた
清水の湧き出ずるところ、水は田畑を潤し作物の恵みをもたらします、水に恵まれた国に生活していると水のありがたさを忘れてしまいます。古代より人々は水の恩恵を受けつつも水に泣かされてきました、干ばつは凶作を意味し、食料不足になる、洪水は命と財産を失う。人々は水神様に願いを託してきました、治世は治水でもあり、人々のたどってきた足跡は何代にもわたる水とのかかわりの歴史でもあります。
30数億年前、生命は水の中から生まれた、水は多くの生命を生み育んできた、人の身体も50〜60兆個の細胞の水のかたまりみたいなものです。水がなければ生き物は生きることが出来ませんが、あなたにとって一番大切なものは何かと問われると、お金、家族、健康と答えても、水と答える人はいません。
小説家、開高 健さんは、「サントリーの水割りの水の美味なるを味わうも、生まれた時の綿花にしたしたこの世で初めて口にする水の味と、末期の水の味を知れる人ぞなし」と言っておられましたが、ご本人はいかがでしたでしょうか。
寺名の由来となった名水・音羽ノ滝がある京都東山の清水寺、清水寺の管長であられた大西良慶師は「水の徳」という法話をされました。人間の最初と最後は水とかかわりがある「人間、生まれてきたら産湯を使う、死ぬときは末期の水をいただく、始まりも終わりも水、昔から親の恩に報いんとする時、親はなし、水の恩にも報いず、水のありがたさをも知らずにみんな死んでいく」と。
杓底一残水 汲流千億人
福井の永平寺に清流があり、その永平寺川に半柄橋という橋が架かっています、半杓とは半杓水のことで、柄杓に半分の水という意味です。永平寺開祖道元禅師の遺訓に「水は是生命なりと知るべし」とありますが、水を大切にされ、使い残した柄杓に半分ばかりの水さえも元に戻されたと伝えられています。
この「半杓水」とか「杓底の残水」のことが「杓底一残水 汲流千億人」として永平寺の総門に記してあります。道元禅師は水の節約を通してものの命を生かせと教えておられる、水に限らず一粒の米、一茎の野菜もその命をいかす、粗末にしないということです。そしてそのことが、多くの人々や生き物の命をささえることになるのです。
お釈迦さまは人間の欲望はとめどがない、「不知足の者は富めりといえどもなを心に貧し」、人は多くの人や自然によって生かされている、謙虚な気持ちで人の命も、ものの命も尊ぶべしと、少欲知足を教えられた。
水は命の根源、ヒマラヤの北にアノクチの池があり、浄水である命の水が湧き出でると言う伝説があります。ヒマラヤの峰から流れ出てベンガル湾にそそぐ大河、ガンジス川は聖なる河、ガンガーとインドの人は呼ぶ。2500年前、お釈迦さまはガンジス川のほとりで、またこの大河を何度も渡って法をお説きになられた。
3月15日、お釈迦さまは80歳にして大いなる旅を終え、沙羅双樹の間に錫杖を置かれた。弟子のアーナンダはお釈迦さまに、末期の水をさしあげました。
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