第60話  2004年1月1日 
                              

     
豊かな感性
   
 豊かな感性は、自己も輝き、他をも輝かせる      
           それは、やさしい心、美しい心の発露です
  


 
実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を撹乱(かくらん)する。欲望の対象にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
                             「スッタニパータ」


 いつの時代でも人類の欲望は豊かさをもとめる、その欲望があるから科学技術が発達しました、その反面、いつもいろいろな問題も生じています。近年、地球規模で市場経済が広がるにつれて、国境を越えた犯罪やテロが多発するようになりました。強力な軍事力を持つ国が世界を制覇し、経済の論理を押しつけ、勝ち組と負け組をつくり、富む国と貧しい国の格差も大きくなっています。負の産物として、地球規模で環境汚染・温暖化が急速に進んでいます、また地域紛争も後を絶ちません。

 欲望の渦巻く世情では、お金ですべてが動きます、お金や物がありさえすればという考え方が日常的になっていますから、お金がすべてという価値観が、子供の心までも蝕んでいきます。国内においては犯罪の凶悪化、低年齢化、親の子殺し、子の親殺し、いじめやひきこもりなど、さまざまな深刻な問題が数多く起きています。長寿の高齢化社会、一方では子を産み育てることが少ない少子化、いわゆる少子高齢化が我が国では急速に進み、社会構造が大きく変化してきました。
 欲望の渦巻く世の中にあって、人は限りなく豊かさをもとめるけれど、お金がすべてである、お金ですべてが動くという価値観のみで、すべてが満足するとは思えません。


  ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。 「ダンマパダ」

 「人間が霊長類とちがうところは、原因と結果の違いを知っていることです、だからこそ人間なのだ、人間は因果関係に基づいてものを考えることによって進化してきた」と、ロンドン大学のルイス・ウオルパート教授は話す。
 人間が因果関係に基づいてものを考えることによって、情報伝達や技術が飛躍的に発展しました。科学・技術が人の役に立つものであり続けるために大切なことは、人間の「心」のはたらきです、「心」のはたらきによって科学・技術が人にとって役立つ方向ずけがなされる。たとえば使われている電力の3割から4割は原子力発電に頼っています。原子力は人類に貢献していますが、戦争では、人を殺すための大量破壊兵器に使われます、いずれも人間の心が決めるのです。

 21世紀は「心」の時代といわれます、みんな仲よく生きる・・・・・共に生きる(共生)、みんなで考えて物を作る(共創)、自然との共生、異文化そして異宗教の人とも共に生きていく・・・・そういうことを考える「心」を持たなければいけない時代です。


 意(こころ)は寂静(しずか)なり、語(ことば)もまた寂静なり、身になす業(わざ)もしずかなり、かかる人こそ、正しき智慧もて、解脱をえ安息(やすけさ)をえたるなり、「ダンマパダ」

 
お釈迦様は明けの明星の輝きとともにお悟りになられた、お釈迦様ご自身が輝いておられたのみならず、天地宇宙の一切が輝いていました、生きとし生けるものすべてが輝いていました、お釈迦様はこの世のすべてが輝いていることにお気づきになり、深く感動されたのです。
 草木も生きとし生けるものみな本来の姿、裸のままです、ありのままにきらきらと本物の輝きをしています。お釈迦様は衣と袈裟のほかに何も身におつけにならなかったけれど、そのお姿はいつも輝いておられた。本来、人に上下なく、地位も名誉も財産も、それらが輝くのではない、本物の輝きであるかぎり、その人が輝くのです。本物の輝きとは真理そのものです、お釈迦様はこのことを仏法として、人々に人の生き方として伝えられました。

 世の中の現象は揺れ動く海上の波のようであり、川の流れのようなものです、けれども揺れ動く波の下には静かな海があり、怒濤逆巻き流れゆく川の風景もやがて静かな流れに戻ります。きらきらと輝きに充ち満ちた世界に生きていることに気がつかないのはなぜでしょうか、目の前の現象に翻弄されてはいけません、世の中の流れに流されてはいけません、ものごとの本質を把握して、本物の輝を見抜く力を持ちたいものです。


 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につきしたがう。影がそのからだから離れないように       「ダンマパダ」

 企業経営、技術、芸術など様々な分野で活躍しておられる方々が、長くその道を歩んでこられたのは、いつも本物(関西弁で”ほんまもん”)を求め続けること、そしてそのことに自信を持ち続けることだと、異口同音に述べておられます。
 かつてこの国の人々には、なにごとにおいても、本物すなわち ”本物の輝き” を求めようとする意欲と希望があった、そして本物をつくり、本物を評価する自信に満ちあふれていました。昨今すっかり自信を失ってしまったかのような人々が巷に見られます、本物の輝きをつくる能力と、それを評価するすぐれた感性をもった人々がこの国には溢れています。”感性”こそ、この国の人々の本物の輝きを求める志向と自信を取り戻すキーワードになるのではなかろうか。

 今、人類は物質中心の技術文明から、心の自由と飛躍をめざした「感性の時代」に入りつつあります。感性とは辞書で“外界の刺激に応じて直感する心の働き・・・・・感受性”とあります。外界の様々な刺激の中から有用な情報を獲得し、また自分の考えや存在を、周囲に知らせる能力、つまり情報の受信と発信の能力のことです。
 物質中心の従来の科学技術だけでは、これからの時代に豊かな生活を築くのには不十分であると考える人々が増えてきました。すなわち幸福を実現するために、豊かな感情の発露である感性を高めようとする行動を、人々はとるようになってきました。感性の豊かな人間を育てるために、子供の教育、とりわけ幼児期における子育てが大切であることをもっと認識したいものです。

 感性とは、自己を取り巻く環境の変化を敏感に感知してどう対応していくか価値を認めたり価値に気づいたりしながら、生命を尊重し、真理を求め、他人と協調してよりよいものをつくりあげようとする感覚です。
 「豊かな感性」とは、自分自身を輝かせ、他をも輝かせる本物の輝です、それはやさしい心、美しい心の発露です。感性豊かに感動できる人は幸せです、逆であれば無味簡素なつまらない人生に終わってしまうでしょう。

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