第61話 2004年2月1日 | |||
何が、幸せ |
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人生を、百倍楽しく生きるために・・・日常の心得 |
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経文(みおしえ)を口にそらんじ、まこと少分(わずか)なりとも、身に行うこと法(のり)にかない、貧瞋癡 (むさぼり、いかり、おろかさ)をすて、智恵は正しく、心よくほどけとき、この世にも著(じゃく)せず、かの世 にも執(しゅう)せざるもの、彼こそは沙門(ひじり)の列に入らん。 〈ダンマパダ・20〉 口(ことば)をつつしみ、意(おもい)をととのえ、身(からだ)は不善(あしき)を作さず、この 三つの形式 (かたち)によりて、おのれをきよむべし、かくして、ひじりの説ける道を得ん。 〈ダンマパダ・281〉 さんきかい 三つの帰依の信仰 仏(さとれるもの)と、真理(まこと)の法(のり)と、和合(ひじり)の集(あつま)りとに、帰依するものは、 正しい智慧(ちえ)をもって、四つの聖なる真理(しんり)を見る。 〈ダンマパダ・190〉
おのれこそ、おのれのよるべ、おのれをおきて、だれによるべき、よくととのへられし、おのれこそ、まことえ がたき、よるべをぞ得ん。 〈ダンマパダ・160〉 善くなさるべき法を修めよ、悪しくなさるべき法をやめよ、法に従いて行ずる人は、この世においても、また ほかの世においても、こころよく休らわん。 〈ダンマパダ・169〉 悪しき友と交わるなかれ、いやしき人をも侶(とも)とせざれ、こころ清き友と交わるべし、上士(まされる)を侶 とせよ。 〈ダンマパダ・78〉 |
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さんじゅじょうかい 三つの清らかな誓願 もろもろの悪しきをなさず、もろもろの善きを行なう、おのれの心を浄くす、これ諸仏の教えなり。 〈ダンマパダ・183〉
悪しきことを作す者は、ここに憂いかしこに憂い、ふたつながら共に憂う、おのれのけがれたる業(ふるまい) を見て、彼は憂い、彼はなやむ。 〈ダンマパダ・15〉 たとえ、悪をなしたりとも、ふたたびこれを、なすことなかれ、悪のなかに、たのしみをもつなかれ。悪、積も りなば、耐えがたき苦しみとならん。 〈ダンマパダ・117〉
善きことを作す者は、こころによろこび、かしこによろこび、ふたつながら共によろこぶ、おのれの、きよら なる業(ふるまい)を見て、彼はたのしみ、彼はよろこぶ。 〈ダンマパダ・16〉 もしひと善きことをなさば、これをまたまたなすべし、善きことをなすに、たのしみをもつべし、善根をつむは、 幸いなればなり。 〈ダンマパダ・118〉
あたかも母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、 無量の慈しみの心を起こすべし。 〈スッタニパータ・149〉 全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に下にまた横に、障礙なく怨みなく敵意なき慈しみを 行うべし。 〈スッタニパータ・150〉 |
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じゅうじゅうきんかい 十条の戒めの実行 まこと、いろうるわしく、あでやかに咲く花に、香りなきがごとく、善く説かれたる語(ことば)も、身に行わ
生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人が殺害するの を容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、またおびえている者どもでも、すべての生きものに対す る暴力を抑えて。 〈スッタニパータ・394〉 「かれらもわたくしと同様であり、わたくしもかれらと同様である」と思って、わが身に引きくらべて(生きもの を)殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ。 〈スッタニパータ・705〉
次に教えを聞く人は、与えられていないものは、何ものであっても、またどこにあっても、知ってこれを取る ことを避けよ。また(他人をして)取らせることなく、(他人が)取り去るのを認めるな。なんでも与えられていな いものを取ってはならぬ。 〈スッタニパータ・395〉 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈しみを 以て接せよ。心の乱れを感ずるときには「悪魔の仲間」であると思って、これを除き去れ。〈スッタニパータ・967〉
邪婬の人は悪しき名を得、おもむくところは悪処なり、他(ひと)の婦と娯(たのし)むなかれ、畏(おそ)れ つつたのしむは何のよろこびぞ、さらに王は重罰を加うるなり。 〈ダンマパダ・310〉 女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、おのが妻に 満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、これは破滅への門である。 〈スッタニパータ・106〉
立派な人々は説いた、最上の善いことばを語れ、これが第一である。正しい理(ことわり)を語れ、理に反 することを語るな、これが第二である。好ましいことばを語れ、好ましからぬことばを語るな、これが第三であ る。真実を語れ、偽りを語るな、これが第四である。 〈スッタニパータ・450〉 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。 安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたもうおだやかなことばは、実に諸々のこと ばのうちで最上のものである。 〈スッタニパータ・451,454〉
また飲酒を行ってはならぬ。この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が 酒を飲むのを容認してもならぬ。これはついに人を狂酔せしめるものであると知って。 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、また他の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。この 禍いの起こるもとを回避せよ。それは愚人の愛好するところであるが、しかし人を狂酔せしめ迷わせるもので ある。 〈スッタニパータ・398,399〉 さらにまた、スラー酒、メーラヤ酒に、ふけりおぼれなば、彼はこの世にて、おのれの根を掘るものなり。 〈ダンマパダ・247〉
他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らすが、 自分の過失は、隠してしまう、悪賢い賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。 〈ダンマパダ・252〉 他人の過失をみるなかれ、他人のしたこと、しなかったことを見るな。ただ、自分のしたこと、しなかったこと だけをみよ。 〈ダンマパダ・50〉
自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、彼を賤しい人であると知れ。 〈スッタニパータ・132〉 「等しい」とか「すぐれている」とか、あるいは「劣っている」とか考える人、かれはその思いによって論争する であろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人、かれには「等しい」とか「すぐれている」とか、あるいは 「劣っている」という思いは存在しない。 〈スッタニパータ・842〉
今の人々は自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得難 い。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。 〈スッタニパータ・75〉 人が「これはわがものである」と考える物・・・それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明 にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。 わがものとして執着したものを貪(むさぼり)り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおしみ)とを捨てることが ない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏を見たのである。 〈スッタニパータ・806,809〉
怒りを捨てよ、慢心を除き去れ、いかなる束縛をも超越せよ、名称と形にこだわらず無一物となった者は 苦悩に追われることがない。 〈ダンマパダ・221〉 その身をつつしみ、そのことばをつつしみ、その意(おもい)をつつしむ、これらの人こそ、おのれを護る賢者 とはいう。〈ダンマパダ・234〉
諸仏のあらわれ給うはたのし、正法を説くもたのし、僧衆(ひじり)のこころ一つなるもたのし、和合衆(こころ かなうもの)の道にいそしむも、またたのし。 〈ダンマパダ・194〉 浄戒(いましめ)と、正見(ただしさ)をそなえ、法(のり)に依りて生活(くら)し、真実(まこと)をかたり、自らそ の業(わざ)をなす人、世は、かかる人をこそ、愛するなり。 〈ダンマパダ・217〉
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