第69話 2004年10月1日 |
生も一時の位なり、死も一時の位なり かの薪たきぎ、灰となりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、 人の死ぬるのち、さらに生とならず 道元禅師 |
情緒の発達 あるテレビ番組でのデータですが、小学校の高学年の生徒にたずねたところ、人は死んでも生まれ変われるのだと信じている子供が4人に1人いるというから愕然としました。 長崎での小学生の殺人事件で、加害者の少女は、殺した少女が消えてなくなったぐらいの解釈しかしていないそうです。栃木県でおきた幼児2人を大人が殺した事件について、その報道を見た子供が、かわいそうな死に方をしたけれど、生まれ変わってくるだろうと、もしもこの事件をそう見ているとすれば、子供たちの命の認識は恐ろしい限りです。 近年、親の身勝手で離婚する件数が急増しています、子供たちの成長期に親が離婚したことによって、子供たちはどれほど心に痛みを受け続けることになるでしょう。また親の愛情に飢えた子供たちの淋しい生活が情緒の発達をいびつなものにするといいます。 心の温かさ豊かさを感じないままに成長すれば、他人の心の痛みを共感できないばかりか、人との協調や人との関係をうまく保っていくことができない大人になる、そして自分の子を虐待するようになるかもしれない。池田市の小学校の児童殺人の死刑囚の生い立ちも、冷酷な親のもとで育ったために、社会に適応できない人間になっていったとも言われています。 |
命の重み ほんの少し前の時代では、病気になっても自宅で療養する人が多かった。衰弱していく同居の肉親の姿を子供は見続け、同じ苦しみを家族が共有する介護の生活を余儀なくされた。けれども近年、人の死はほとんどが病院であり、臨終を処置の施された病室でむかえることになるから、子供たちは命の重みを感じることがない、人の死が家庭から遠のいてしまった。 三世代が同居する家庭であれば、老いて身体の自由がきかなくなっていくお爺さんお婆さんの姿を見て、子供は老いを理解したが、老人と同居しなくなると、子供は老いの姿を日常的に、目にしなくなった。高齢化時代では一人暮らしの老人が増え、孤独な老人は子供とふれあうこともない。 また一方では自ら死を選ぶ人が年間に3万人を超えています、子供の自殺もあるけれどほとんどが大人であり、子供には死という現実を認識しても、親の自殺の意味が理解できない。 そして人は死をむかえても末期の水はなく、遺骸は葬儀社へ運ばれて商業ベースのもとに商品化されていく、そこには肉親の死を葬る儀式はなく、演出された告別の式として、葬儀業者さんのサービス業のシステムの流れで処理され執行されていく。 |
リセットボタン 大りーグのイチローや松井の活躍が毎日のようにニュースで流れる、一方ではイラクでのおさまることのない内戦や世界各地で頻発するテロによる爆死の報道も毎日のようにあります、そこには紛れもなく人の死がある、子供や市民が犠牲になっています、おびただしい血が流れ、その件数は増え続けています。 テレビで流されているこれらを伝えるニュースもすっかり日常化してしまうと、子供たちに与える影響として、内戦やテロの事件の生々しい現場から伝えられる報道であっても、、悲惨さや、哀れみの思いをよせる同情の気持ちが薄らいで、大リーグのゲームを見るのと同じ感覚で受け取っている子供もいれば、気の毒な死に方をした人こそ生まれ変わることができると信じてしまう子供もいるでしょう。 あたかもゲームでリセットボタンを押せば、何でもなかったかのように新たにゲームが再開される、人の命も、生き物の命もゲームとたいして変わりがないと思っている子供がいるとすれば恐ろしいことです。 |
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