第71話 2004年12月1日 | |
実相 お釈迦様の修行は6年におよびました、 「実相(じっそう)すなわち、永遠の真理が森羅万象として、 あるがままのすがたで目前に露呈している」 お釈迦様は12月8日の明けの明星の輝きに目覚められました。 |
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自然の摂理 大海で大きく成長した鮭が、子孫を残すために生まれた川の上流めざして遡上します、傷だらけになりながら、渾身の力をこめてひたすら上流をめざす。生まれた川に到達した鮭は子孫を残す、運悪く途中で命を落とすものは子孫を残すことができない。鮭は子を育てることなく、卵を産み終えるや雄も雌も死に絶えていく、累々たる鮭の屍はさまざまな生き物を育む豊富な栄養源となり、鮭の稚魚の餌ともなる。 産み落とされた卵は、約2ヵ月でふ化して稚魚になります、稚魚は親の養育を受けることなく卵からふ化したその時から自活する。やがて川を下って大海に出る、しかし限られた数のみが成長し、そして4年後にふたたび日本の沿岸に戻ってきて生まれた川で子孫を残す、これが自然界のすがたです。自然の摂理として、自然界では本来どの種も絶滅することなく、また異常に繁殖することなく絶妙のバランスによってさまざまな生き物の命が共存しています。 |
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なぜこの世に生まれてきたか 寿命五十年の時代では子を産み育てると人生も終わった、若くして数人の子を産み育てたが、今は子を産み育てる年齢が高くなったために、生む子供の数も少なく、そして子供が成人し独り立ちする時の親の年齢は五十歳を超えている。しかも晩婚化で生まれた子がいつまでも親元を離れない、親も子離れしない、晩婚化と少子化によって、親の過保護から自活自立しないひ弱な子が育っているかもしれない。 なぜこの世に生まれてきたかを問えば、人間も例外でなく種の子孫を残すためです。さまざまな生き物はそれぞれの種の子孫を残すために生きぬこうとする、それぞれの種の寿命はさまざまです、数時間、数日、数ヶ月から数十年まで、それぞれの種の寿命を生きて子孫を残す。人間をのぞくすべての生き物はみな、種の子孫を残すためにのみに生きていることで共通しているが、人間だけが他と異なる生き方をしています。 |
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三毒の煩悩で生きている生き物は人間だけです 人間だけが他と異なる生き方をしていますから、他の生き物にはありえない悩みとかストレスがある。戦争、自殺、子の親殺し、親の子殺し、子育ての悩み、親の思いを子に強要する、五欲の中でも金や地位や名誉、贅沢な衣食住を求めるどん欲さ、そして恋の悩み、人間関係のしがらみ、望みが叶わないといっては嘆き悲しみ、羨望の心を持ち、欲の限りに行動する、貧瞋癡(むさぼり・いかり・おろかさ心)の三毒の煩悩で生きている生き物は人間だけです。それで自ら四苦八苦して、心に深い傷を持ち、深刻な悩みの憂鬱から抜け出せないでいる人も多い。 自殺という行為は人間だけに見られるものですが、日本人の自殺者が年間に3万人を超えて交通事故死の2倍になっています、しかも近頃ではネットで知り合った人が同時に自殺するというケースが多発しています。授かった命、自分という生命体を自らの煩悩で死滅させることは、自然界の摂理においては絶対に許されることではない。命がけで遡上する鮭や、必死で生きている小さな生き物たちの自然に生きる姿に、心ふるわせたいものです。 |
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人間らしい生き方とは自分の本来心を自覚することです 寿命五十年が八十年と長寿になるにともない、心と身体の悩みがさらに増す。しかも善悪をわきまえる心が貧弱になり、慈悲の心を失ってしまうと、ストレスで自滅して体調までも崩してしまう、現代人の悩みは深刻です。でも三毒の煩悩は人間だけです、自然に生きる他の生き物にはありえないことで人間独特のものだから、人間病と呼んでもいいでしょう、自分で悩みをつくり自分が苦しんでいるのです。 人はあるがままの自分の身体である生命体に正直に自然な生き方をすべきところ、自然な生き方に逆らって、貧瞋癡(むさぼり・いかり・おろかさ心)の三毒の煩悩による不自然な生き方をしているから、ストレスのために自ら悩み、苦しみ、病に倒れ、命を縮めてしまったりするのでしょう。煩悩による不自然な生き方を自制し、自己本来の生命活動に素直に生きるのが本来の自然な生き方です。人間らしい生き方とは自分の本来心(自己本来のありのままの生命活動)を自覚することです、人間らしい生き方を取り戻し、いつも新しい自分に正直に自然に生きたいものです。 |
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