第77話 2005年6月1日 |
大悲代受苦 人 もし まさに怒いかれるを押おさえ 奔はしる車を止むるごとく ととのえなば われ初めて彼を 御者ぎょしゃとよばん しからざる人はただ 手綱たずなをもつものなり 「法句経」 |
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人生を運ぶ 鉄道事故としては未曾有の大惨事でした。その日その時その電車に乗り合わせた人達には、それぞれの生活があった、学校へ行く人、仕事に行く人、お買い物、誰かに会う約束のあった人、恋人とのデート、病気見舞いや家族の介護、旅行に行く人、一人一人の生活があった。命を運ぶとはそんな一人一人の人生を運ぶことです、一瞬にしてこの事故は一人一人の人生を変えてしまった。 事故の現場はかたづけられて惨状は記録された映像でしか見ることができないが、大切な人を亡くされた、悲しみの底から立ち直れるのにまだどれほどの時間がかかるだろうか、怪我の症状はそれぞれにちがうけれど、傷口が癒えても後遺症が無くなるのはいつのことだろう。衝撃の大きさにもかかわらず大我なく無事であった電車に乗り合わせた人々、救助に当たった人々、住民の方々、悲惨な状況を目の当たりにして、それぞれの心の傷が消えるのに、まだしばらくかかるでしょう。 事故現場に設けられた献花台には今もなを花を手向ける人々の姿がある、ここで亡くなられた人々の悲しみと苦しみの御霊みたまが癒されるようにと、安らかなるご冥福を祈っておられる、悲しみのご家族や縁者の心に通じて、すこしは癒され励まされたことでしょう。救助活動にあたった専門職の人でさえ、ふとあのすさまじい惨状と犠牲者の悲鳴が甦るという、心の傷は容易に癒すことができないようです。 |
命を救う 650人もの人の命を運んでいることを忘れて運転手は自己の業務成績のみを意識した。そして人間の能力と電車や設備の能力を過信して、危険を感じながらもダイヤの遅れをちぢめるために制限速度を超えて加速をした。乗客を命でなく運搬物であると認識しているとも受け取れる企業体質こそ問題であろう。 この電車に乗り合わせ怪我のなかった人は、事故現場で怪我人の世話をした、地域の住民も救急援助の人手と車両の提供をした、近くのある企業では社長命令で従業員が怪我人の救助にあたったそうです、阪神大震災で痛みを分かち合った気持ちが人々を献身的な救助活動にむかわしめたのでしょう。人々の悲鳴や苦しみに泣き叫ぶ声に励ましの言葉をかけて、苦痛の中から救助していった。夜を徹して続けられた救出活動、消防の救急隊、警察や建設重機の職員、近くの住民や企業の従業員の人達はただ一心に一人でも多くの人命が救われることを念じて救助活動された。 それなのに乗り合わせたJR職員は救出活動もせずに現場を去り通常業務に就いた。そして事故発生直後に置き石原因説などと、責任転嫁とも思えるJR西日本からの事故状況の説明がおこなわれていた頃に、慰安のボーリングや宴会を楽しんでいたJR職員がいたということで、後からわかったこの日のJR職員の行動に世論の批判が集まった。幸せを一瞬に奪い去った悲劇にやりどころのない世間の不満が、JR職員のとったその日の行動に批判が集中したのでしょう、マスコミが一斉にJR西日本大阪支社の職員の非情な行動と人命第一の認識のなさを批判したのも当然のことでしょう。 |
命を尊ぶ 人々の足となって、早く快適に便利に安価で人を運ぶ、しかも大量に都市から都市を結んで、現代の代表的な乗り物が電車です、ささいな事故などの危険性はあるだろうが、おおむね安全で身近な乗り物として、人々は日々利用しています。この安全神話がくつがえされるような事故が起きてしまったのです。電車はもとより命を運ぶ乗り物であるから、便利さ早さ快適さ安価さよりも安全が第一でなければならない。 日常の業務において、命を運んでいることが忘れられて、ダイヤ通りに運行することのみが運転手の関心事になっていたとしたら危険なことです、また企業体質として人命第一の認識が日常業務から欠如していたら、事故は繰り返し起こるでしょう。 現代人は利便性、経済性、快適性を求めています、このニーズに対応しなければ競合する私鉄路線との競争に勝てないという、けれども利用者も鉄道会社も、安全に命を運ぶことについて再認識しなければならない、事故の教訓を生かして安全を確保する努力が絶えずなされることが、犠牲者への追善供養になるでしょう。 人間は生きてるかぎりどんな職業であっても命に関わりのない仕事などありません、したがってどんな職業に就いていても命のことを片時も忘れてはいけない、もちろん自分自身が生きてるし、家族もある、一人で生きていけるものなどありませんから、他の命を、そして自分の命を大切にすることが基本です。 命を尊ぶというやさしさの気持ちがあれば事故は防げたかも知れない、遺族の悲しみは尽きず、JRの信頼回復への道筋もまだ見えてこない。菩薩は他者に代わってその苦を引き受けるとされています、救助活動にあたられた献身的な人々、献花台には今もなを花を手向ける人々の姿が絶えない、このような多くの菩薩さまの慈悲心で、亡くなられた人々の御霊の冥福と、そして多くの人々の怪我と心の傷が一日も早く治癒されることを祈りしましょう。 |