第101話  2007年6月1日
鸛 コウノトリ

  あたかも母が己が独り子を命を賭けても護るように、
  そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
   無量の慈しみの心を起こすべし。
  〈スッタニパータ・149〉

こうのとりのゆりかご


 自然界が一年中で最も躍動する時節です、さまざまな生き物に新しい命が生まれています。豊岡市の兵庫県立コウノトリの郷公園では、放鳥したコウノトリの産んだ卵がふ化した。コウノトリが43年ぶりに自然繁殖で誕生し、子育てをはじめたことが確認されました。他の巣にも雛が誕生するのではとの期待が高まっています。

 「こうのとりのゆりかご」という名前で、国内初の「赤ちゃんポスト」の運用を始めたところ、託された第一号が3歳ぐらいの男児であったと、ニュースとして報じられました。
 親がさまざまな事情で育てられない新生児を匿名で受け入れようとして、熊本市の慈恵病院が国内初の「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)を設置しました。同病院は「あくまでも緊急措置で、捨ててもらうのが目的ではない。新生児の産み捨てや、不幸な中絶を少しでも減らしたい」と説明しています。

 子は親の愛情のもとに育っていく、だから生んだ子を育てられないというのは、親も子も不幸なことです。かつては、親が子育てできない場合は、祖父母あるいは兄姉や親戚縁者が親がわりをしてきました。昭和の時代には、ご近所の方々が他人様の子育ての支援をしたりと、地域社会は子育てを助ける機能がはたらいていました。今日、親の代わりに子育てをする支援が得られない場合に、さまざまな悲劇が生じています。

 「赤ちゃんポスト」の
開設について、賛否両論があります、それは人の生命の尊厳と、そこに託される赤ちゃんの命運に関わることだからです。しかしもう少し深く、命とは何か、この根本的なところからこの問題をとらえないと、設置しなければならないという社会的背景についての議論とか、赤ちゃんポストに託する親の功罪を問うことのみに焦点が移ってしまって、肝心のところがぼやけてしまいそうです。

よい遺伝子を後世に残すために生まれてきた

 人間も他の生き物とどれほどのちがいがあるのでしょうか、植物も動物も、この世の生きとし生けるものみな同じで、それぞれの生きものは種を残すために生まれてきたのです。コウノトリも人間も、子を産み育て子孫を残し、命を後世に伝えるために生まれてきた、現代風に言えば、よい遺伝子を後世に残すために生まれてきた。今、この世に生きている生き物は、すべてご先祖様から受け継がれた遺伝子の伝達者だということでしょうか。

 男も女も成長とともに性にめざめ、異性を意識しはじめる、でも子孫を残すために恋愛するとは限りません。人は子を産み育て子孫を残すために生まれてきたのだと、そう言い切ってしまえばなんだか人生も無味簡素なものになってしまいますが、人は恋もすれば愛も語るのです。
 現代人は子を産み育て子孫を残すためにのみ生まれてきたとは思っていないから、伴侶を得て家庭を築き子を産み育てるについても、婚期が遅くなり、かつ少子化の傾向にあります。
 そして人は子を産み育てることとは別に愛欲をもとめるから、それが満たされないと、苦しみにもなるのです。子を望まなかったけれど、できてしまった人もある、そして近年では離婚の割合が高く、親の動揺の狭間で子も苦しみを受けることになるのです。
 
 子を産み育て子孫を残すために生まれてきたから、一時代前では子育てを
終えるや寿命が尽きたけれど、今日ではさらに生き続けるから、爺さん婆さんになって、長寿を生きる意味を考えざるをえなくなりました。
 老化にともない子孫を残せる能力はなくなるが、子や孫がより良き子孫、すなわち、良き遺伝子を残してくれることを願って、子育てにおいて何らかの役割が果たせるでしょう。そして、その意欲があれば元気で生きられますが、この頃は同居していない家族が多いから、世代のつながりもなくなってきました。

 子供が欲しくても恵まれない人や、子を何らかの原因で亡くしてしまった人には、子を育てられないという悩みがあります。また、よき伴侶に出会えなかったり、仕事を優先して、子を産み育てる機会を逸してしまった人もあるでしょう。たとえ自らが子供を産み育てなくとも、世の中は共生ですから、子は社会に育てられる、だから、社会との関わりで、だれもが他の人の子を育てているとも言えるでしょう。

.優れた子孫を後世に残し、種の存続と繁栄をはかる

 命は先祖から今に、そして子孫へと受け継がれていく、そのためにどんな生命も必死に生きぬこうとします。命は生滅するものであり、一瞬たりとも同じ姿をとどめていません。アポトーシス(プログラム細胞死)、すなわち新しい細胞が生まれるために一方で細胞が死んでいく、命をかたちずくっている細胞はたえず生滅している。このようにあらゆるものはすべて常に同じ姿をとどめていないことを無常といいます。細胞の一つ一つまでも、一つの命の一生はただ一度きりです。だからこそ命は尊いのです。

 地球上のあらゆる生命はすべて関連しあっており、すべての命は必要だからこの世に生まれてきた。それは食物連鎖であり、天敵であり、寄生であり、共生であり、すべて一つが欠けても一つの生命が生きていけないという、デリケートな生きものの生態系として、それぞれの生命がこの世に生きています。人間とても例外ではありません。
 すべてのものは、なにがしかの関係をもって、ともに存在しています。唯一人、ただ一つのみで存在しているものはありません。一つの生命が他の生命を生かしている、生かし生かされている、これを縁起といいます。したがって共生きであるこの世の生きとし生けるすべてのものに対して、いたわりの気持ち、思いやりの行動を心掛けたいものです。

 先祖は命の源、そして両親は一番近い命の源です、命の源を否定することは自分自身の存在を否定することになります。先祖まつりとは自分自身のこの世での存在を常に自覚することであり、生まれてきたことを喜びましょう。
 自分とは命の伝承者、DNA・遺伝子の相続人であるが、それはよりすぐれた遺伝子の創造者でもあらねばならない。
 不思議な命のつながりを理解して、生きとし生けるものすべてに共生きの心を持つこと、支え合って生きていることに喜びと楽しさを感じたいものです。

 一つは無常、もう一つは縁起、この道理に即して生きれば、なんら悩み苦しむことはない、ただひたすらに生きればいい。子は何を学ぶのかと言えば、それは生滅する命とは何か、すなわち無常という真理について、まず理解すべきでしょう。そして、より良き生活をするとは、生き物はすべて関係づけられており共生きでないと生きていけないから、縁起についても、あわせて子に認識させたいものです。そして、子は両親のおしみない愛情のもとに生まれ育てられることが、人の健全な成長にとって重要なことなのです。

親となりて子を産み育てられる優れた人格と能力をもった人間が、理想的人間像である

 親の子育ての基本は、男子も女子も、子を育てる能力の具わった人格形成をはかっていけばそれでいいはずです。子が成人して大人になって子を授かっても、その子を育てる能力がなければ、産んだ子が不幸になるだけです。
 人格の形成が不十分であれば、いかなる技術を収得しても、それは社会にとって有効に働かないばかりか、逆に人々を不幸にさえしてしまいます。人格の形成が良好に育った人は、社会生活においても良好な家庭環境をつくり、健全な子育てをするでしょう。そして健全な社会貢献もはたすはずです。

 自分の子供には将来は立派な人間になって欲しい、社会的評価の高い職業に就いて経済力と地位を確立して欲しい、そういうぼんやりとした理想的人間像の幻想を親は画きがちです。そのために優れた教育を受けられる学校に進学して、高度な学問的知識と技術力を身に付けて社会に出られるコースにのらなければいけない、そういうプレシャーが子供にもはたらいてしまうのです。また、さまざまな事情により十分な教育を子供に受けさせたくとも、その機会すらあたえられない場合もあります。

 ほんとうは、よく学び、より良き生活をして、人格形成をはかってくれればそれでいいはずです。親となり子を育てられる人格と能力がある人とは、命の尊さを理解して、共生きの道理がわきまえられる人間です、そういう人に育ってくれればいいのです。

 人間の欲望によって自然界の多くの種を絶滅の危機に陥れてきた、コウノトリもその一つです。種の絶滅をふせがなければ人類の繁栄もないという命題のもとに、官民あげたコウノトリの人工繁殖からコウノトリが自然繁殖する第一歩が始まった。しかし多くのコウノトリが自然に繁殖していくための環境づくりはまだこれからです。
「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)は人工養育器であって、親のあたたかな愛情のもとにある「ゆりかご」ではない、こういう施設を必要とする社会構造こそいびつなものだと感じています。

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