第103話      2007年8月  第103話   2007年8月1日

         心静即身涼    

                    心静かなれば身すなわち涼し

             

先祖霊をまつり、森羅万象の大いなる力に畏敬の念をはらう、これが日本人の宗教です

 お正月やお盆には故郷へ帰る人も多いでしょう。なぜ人々は故郷に帰ろうとするのでしょうか、なぜ故郷に帰ってみたいと心ひかれるのでしょうか、故郷を持たない人でも、ふと郷愁にかられることがあるでしょう。
 日本人の心性として、先祖霊は山の向こうに、海の向こうに、あるいは日の昇る東に、日の沈む西にあって、お正月やお盆にはこの世に帰ってくると信じています。私たちの命の源はご先祖さまです、それでご先祖さまの故郷に帰ろうとする心が動くのでしょう。

 近頃は生活環境が変わったのが原因からか、東に手をあわせ朝日を仰ぎ今日の無事を祈る、西に夕映えの中に沈みゆく太陽に向かって感謝の気持ちを表し明日の幸せを願う、そういう人々の姿を見かけなくなりました。日々にお日さまを仰ぐことをしなくても、心のどこかに天地万物を拝み、神仏のご加護を願う気持ちはあるのでしょう。お日さまが昇る東にも、沈む西にも浄土があることを信じて、ご先祖さまに礼拝する。日本人には心のどこかにそういう気持ちがあるはずです。

 日本人は宗教心がない国民であるとよく言われます。私は無宗教ですと言うことで、あたかも文化人であるかのごとくふるまう人もあるようです。
 都市部には仏壇のないご家庭が多いようです。それでも多くのご家庭にはお仏壇があります。そして亡き肉親や先祖の霊をまつっています。また招福と災難消除を願って神棚をまつっているご家庭も多く、繁栄を願ってハイテク企業にも神棚や社がまつられています。正月には社寺に初詣で、お盆や彼岸には先祖のお墓におまいりします。

 お正月には年神様として門松を設けて先祖霊(カミ)をお迎えし、お盆にはお精霊様として盆棚を設けて先祖霊(ホトケ)を迎えます。先祖霊は山の向こうから海の向こうから、黄泉の路よりおこしになります。それで道中がよく見えますようにとお盆の精霊迎えには火を焚き、送り火を焚いて送ります。なんと奥ゆかしいことでしょう。日常はお仏壇を設けて本尊仏とともにご先祖霊を位牌にしてまつり、お墓は黄泉路に至るところとして、大切にまつられます。
 また、人は森羅万象によって生かされているから、神棚をまつり、共生きの感謝の念をもって天地万物を拝みます。先祖霊をまつり、ご加護を願い、森羅万象の大いなる力に畏敬の念をはらう、これが日本人の宗教です。

ご先祖は命の源です、 祖父母や父母は一番近い命の源です

 お盆の頃になるとお墓を掃除して、家の仏壇の前にお盆の精霊棚をおまつりします。盆棚の準備が整うと、ご先祖の精霊を迎えます。ご先祖の精霊は山の彼方、海辺では海の彼方より来られると考えられてきました。お墓はご先祖をまつるところで黄泉路に通じているとして、お迎えはお墓へ行くところが多いようです。

 お盆は命の源である先祖霊を尊崇するお祭りです。一族一統が、老いも若きもお盆のお棚のまわりに集まり、この世に生を受けたことを、そしてご先祖のご加護により日々安寧な生活ができていることに感謝します。目には見えないご先祖様をお盆に迎えて、数日をともに過ごすことによって、とても安らかな気持ちになれます。
 お盆の時期は農閑期でもあり五穀豊穣をご先祖に祈願します。またあわせて万霊にも供養することで、生きとし生ける一切のものとの共生きの尊さを認識して、慈しみの心も醸成されます。お盆を無事にまつり終えた喜びをもって踊ったのが盆踊りの始まりだそうです。

 古来より人々は、大きな恐ろしい力に畏敬の念を持ち、何かしらの見えないものが大きな力を発揮すると考えられてきました。先祖霊もその一つです。天然災害などさまざまな苦しみを受けないようにと、ご先祖さまに祈りました。
 ご先祖さまに顔向けできないようなことをしてはいけない、お盆の間は泳ぎに行かない、殺生してはいけない、かつてお爺さん、お婆さんがそう戒めました。それは天の声です。子供達はそういうことで、ものごとの善悪を学び、大きな力のある神仏やご先祖さまの力を信じました、これが倫理でした。

 ご先祖に手をあわせ祈ることで、いつも心安らかな気持ちで生活できる、心安らかなれば心身健康で生きられるから、日々に善行が積まれて神仏のご加護があるのでしょう。家族みんなの思いやりの気持ちも強くなり、生きとし生ける一切のものにも思いをめぐらし、ともにに生きることを喜べる気持ちが育まれるでしょう。
 ご先祖さまは私たちの命の源です。綿々として絶えることなく命が子々孫々に受け継がれてきたから、私たちが今、この世に生きているのです。ご先祖さまは太古から自分に至る命の源です。したがって祖父母や父母は一番近い命の源といえるでしょう。この世に人に生まれてきたことを喜ぶ心を持ち、先祖に感謝し、祖父母や父母を大切にして、尊い命を子々孫々に継承したいものです。

精霊棚のまつり方



 お盆はインドの古い言葉であるウランバナ(盂蘭盆)という言葉からきているとも言われています。
 お盆には精霊棚を設けて、精霊をお迎えします。亡き人の初めてのお盆は初盆(新盆)といいます、特別におまつりするところもあります。
 供物は地域によってさまざまですが、浄水と水の子(茄子や胡瓜を細かく刻んで洗米と混ぜたもの)は必ずお供えします。







精霊棚のまつり方
総持寺「明珠」より

先祖まつりは命を育む家庭教育の場そのものです

 お盆には寺から僧侶が各家によせていただき、盆棚におまいりする棚経をさせていただきます。近年は盆棚を設けておまつりされている家が年々少なくなりました、仏壇でおまつりするところが多くなったようです。お盆のおまつりの形が伝承されなくなったのでしょう。したがって、先祖を迎えまつるお盆の意味も薄らいできたようです。

 家族の人数の多い時代には、僧侶の棚経を待ちかまえたように盆棚の前に、ご一統がお集まりになり、いっしょにご先祖様の精霊におまいりしました。ところが近年、一人住まい、老人のご夫婦だけの世帯、あるいは、核家族、子供のいないご家庭、単身赴任などのご家庭が増えてきたので、お一人だけ、ご夫婦だけでとか、大勢のお方がお集まりになることは少なくなりました。孫まで三世代が集まって、お盆のお参りをする、兄弟親戚縁者も加わって、共にご先祖の精霊を迎えまつるという光景がなくなってきたようです。

 自然と戯れて遊ぶことのなくなった現代の子供達はかわいそうです。パソコンのゲームからは活き活きとした生命の脈動は伝わってきません、人の情けややさしさは感じられません。先祖まつりによって、命の尊さ、命の重さを子供達は自然に体得するでしょう。子供のいるご家庭は子供といっしょに盆棚をつくり、ご先祖をおまつりしましょう。

 先祖まつりによって命の重さ、命の大切さを子供達は実体験で学ぶことでしょう。やさしさの心が育まれ、他への思いやりの心が具わります。子を産み育てることのできる大人に、そして社会人として生きていくことのできる人間として成長する過程において、先祖まつりは命を育む家庭教育の場そのものです。日常的に先祖をまつる家庭が、子供達にとって、あたたかさ、やさしさの満ち足りた居場所になるはずです。

お盆のおまつりによって、やさしさに満ちた家族の絆をより強くしたいものです

 現代人が失いつつあるものが安心できる居場所です。それぞれの家庭には、仏壇があって先祖をまつり、神棚があって天地自然をあがめる、目には見えない大きな力に畏敬の念を表すことによって、見守られているのだという安堵を得てきました。
 家庭が居場所そのもので、その安らぎの場である家庭という居場所が不安なところになってしまえば、もはや心安まる所がありません。心地よい居場所であるはずの家庭が崩壊して家族の絆が切れてしまった結果、さまざまな悲しい状況が生じています。

 人は居場所を確保しないと安心できません。心安らぐ居場所は家庭であり、地域社会であるはずです。その居場所が動揺しているということは、やはり問題です。生きるとは、命を輝かせることですから、落ち着ける居場所を持つことで、活き活きとした日常生活ができるのでしょう。
 命の源である先祖の霊を迎えて、今生きている自分の命を感じることでしょう。亡き父母や亡くした子のやさしさの心とふれあうことで、生きる希望を取り戻せるでしょう。先祖の霊を送り終えた時、ややもすれば見失いがちな、心安らぐ居場所を再発見するでしょう。

 お盆の一時をご先祖様の精霊とともに過ごすのがお盆のおまつりです。大勢のご家族が同時期に帰省しますから、お盆の帰省ラシュが生じます。しかし欧米の風潮の横行によって、現代人のものの考え方が変わってきました。お盆の間、海外や旅行先で過ごされる人も多くなりました。日本人の伝承行事の一つがお盆の精霊まつりですが、お盆のような奥ゆかしい伝承行事が否定されつつあります。これからの時代に日本人は昔ながらのお盆の精霊まつりに、どれほどの意義を見出していくことになるのでしょうか。

 祖先が伝えてきたさまざまな伝承行事は日本人の文化です、伝承行事の意義を再認識することによって、心豊かに生きることができるのでしょう。
  お盆の伝承行事を受け継ぎ、つとめることによって、身をもって命の尊いこと、命の儚きことを学ぶことになります。ご先祖は命の源ですから、先祖をまつることによって、父母や家族を大切にするやさしい心根も育まれます。お盆の時節、命の源であるご先祖に感謝の気持ちを表し、あたたかく、やさしさに満ちた家族の絆をより強くしたいものです。 

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