「鐘の音」   和尚の一口話       2000年3月1日
 
        第十四話  親と子   
 
         
生物の
細胞の生き死にも、星の生滅も、
         
ともに生まれるために死がある
         
このことが不思議にも共通しているそうです 


 15歳になれば市役所で印鑑証明の登録ができることは、あまり知られていません。ある意味では他に対する権利を社会が認めているわけで、20歳にならなくても親の同意があれば結婚もでき、子も生めます。成人とは自らの力で生活し、子を産み育てることが満足にできるようになった人のことを言うのでしょう。

 少子高齢化時代の入り口にさしかかった日本の社会において、最近、親離れしない子、子離れしない親のいかに多いことか、成人しても親元を離れない人が増えています。結婚しない人、晩婚の人はまだしも、職も持たず、なかには家に閉じこもってしまう人がとても多いそうです。子育てや親子の関係を、命の生き死の姿として、見つめ直すべきでしょう。

 動物の姿を見れば、子を産み育て、子が成長するや、親は子を追い出します、すなはち、親元を離れて自分で餌を取り、生きていけるか否かを見定めているかのようです。

 鳥や動物すべて子育ての形は同じではないけれど、子が自立可能と見定めるや、親は巣立を促します、その瞬間から親子はライバル関係となるのです。卵を産み終えるや一生を終える生き物も多い、卵から孵ったときには親はいないから、子は自力で生きていくことを、生まれながらに身に付けています。

 こうしたさまざまな生き物たちのきびしい自然の生存の姿を、人間も子育てや親子の関係の生き方の原点とすべきではないでしょうか。

 生き物の細胞を電子顕微鏡で見ると、新しい細胞が生まれる一方で、古い細胞が死んでいく、けれどもよく見ると、それは新しい細胞が生まれてくるために、古い細胞が自ら死んでいく姿なのです。

 人間の五十〜六十兆個の細胞も例外ではありません、地球の生き物のみならず宇宙の星のすべてが同じく、生き死にを繰り返しているといいます。地球を回るハップル望遠鏡で宇宙の何千何億光年の彼方を見ると、無数の星の生き死にの姿が見えるそうです、細胞の生き死にも、星の生滅もともに生まれるために死がある、このことが不思議にも共通しているそうです。


 
人間には、ずっと生き続けたい願望があります、それで死にまつわることをさけて生き続けることにこだわるから悩みも尽きません。したがって、他の生き物とちがい人間の親と子の関係もいびつなものになることがあります。

 道元禅師は「生死は一如なり」と教えておられます、すなはちこの世では、永遠に変わらないものなどありません、そして生きとし生けるものすべてに生と死があるから、ほんとうのことを言えば、生き死にこだわることもないはずです。

 自然界では生きとし生けるもの一切が、生き死にの姿をあからさまにさらけだしているではありませんか。春を迎えて生きとし生けるあらゆる生命が輝き躍動します、きびしい自然の中に生きる生き物たちの姿を、人間も子育てや親子の関係の生き方の原点とすべきでしょう。

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