「鐘の音」   和尚の一口話   
             2000年6月1日
     今年も神応寺で、モリアオガエルが産卵、そしてツバメも子育て
                  
 第十七話手を合わせ心あわせてしあわせに
 
  手を合わせ、共に生きている幸せを感じて喜ぶことができる人は、
  ほんとうに幸せな人でしょう


 「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」という、ふだん何気なく使っている挨拶の言葉は、もともとお日様・太陽に向かって手を合わせ「今日は良い日です」「良いお天気でありがとう」と、お日様への感謝の気持ちを朝・昼・夕にあらわした言葉だそうです。

 お互いが同時にお日様に向かって、感謝の気持ちをあらわすことにおいて、お互いの心を通い合わせ、共に相手を思いやる、これが 「おはよう」 「こんにちは」「こんばんは」という挨拶の言葉です。


 人は 「仏といういのち」を我が身に宿していますから、自分を大切にしなければなりません。そして人は一人では生きていけませんから、同時に自分が大切であるように、他の人をも大切に思わなければなりません。

 お互いの「仏といういのち」を拝み合うのです。だから 「おはよう」 「こんにちは」 「こんばんは」という言葉を交わして、お互いの 「仏といういのち」を、お互いが心をこめて拝み合う、挨拶はこうありたいものです。


 最近、青少年の引き起こす、むごたらしいさまざまな凶悪犯罪が多発しています。その人の、幼き頃の育ち方と、親の子育ての延長線上に、それらの凶暴な犯罪が生じたのではないかと思えてなりません。

 手を合わすことは、人がもともと持ちあわせているごく自然な姿ですから、自分自身の心の安らぎを求めたい時も、手を合わせると清々しい気持ちになります。

 子供を育てるにも親はまず自らの心に手を合わせたいものです、そして我が子をしかり、我が子をほめる、手を合わせる心によって、いつもあたたかい親子の心のつながりが生まれてくるはずです。でも親のエゴでの子育て、幼児虐待や躾のあまさ、偏重教育等々、子供の心が癒されないと、情緒不安定でゆがんだ人格が形成されていくそうです。


 
天地自然や先祖を尊ぶ心ある人、命の輝きを感じ取れる心豊かな人は、自然な動作として手を合わします、自分自身の心の安らぎをとりもどせます。

 人間ばかりでなく ものみなそれぞれに、たとえば路傍の一木一草にも、そこに宿る仏のいのちの輝きを見つけ、手をあわせ、共に生きていることの幸せを感じて喜ぶことができる人は、ほんとうに幸せな人でしょう。

 「おはよう」 「こんにちは」 「こんばんは」という、ふだん何気なく使っている挨拶の言葉は、今日という良き日、幸せの扉を開く鍵なのです。


戻る