2000年8月1日 |
第十九話 お盆に祈る なたも、私も、生きとし生けるもの一切が、かけがえのない 存在として、のぞまれてこの世に生まれてきたものばかりです |
一輪の花をめで鳥の声に耳をかたむけ、そして虫の音にも心よせて、いろいろな思いをいだく、人は心の琴線に触れる自然のいとなみを、こよなく愛します。 芭蕉は「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」と閑寂の味わいを詠みとっています。 道元禅師は「山深み 峰にも尾にも 声たてて 今日もくれぬと日暮のなく」と、大自然の中に、一日たりとも止むことのない永遠の命(命の連続)と一日一日の生命のいとなみの尊さを、あわせてお詠みになっています。 季節の移り変わりの中で、今、この日が終わろうとしています、日暮が「今日もくれぬと」ないています、それはあたかも日暮が一日の命の重さを教えているかのようです、仏様が日暮の声で私たちに「命、今、輝かせよ」と語りかけているようです。 |
今年も蝉時雨が聞かれるお盆の時節になりました、ご先祖のみ霊をお迎えするお盆の精霊まつりは、すばらしい日本の伝統行事です。ご先祖さまはあなたにとってどんな存在ですか、お盆をむかえたこの時期に、よく考えてみましょう。 みんなこの世に生を受けた、尊い命をいただいた、その命は単細胞の生物から始まり、一度も途切れることなく進化し、何億年も連続してきたからこそ、今の私がそしてあなたがあるのです この命の源、命の連続跡、こそがご先祖さまでしょう。 |
この命の源・命の連続とは、人間の思慮分別を超えたものであり「家」や「一族」などというような、ちっぽけなものではなく、大自然の姿そのものです。それは何億年という長い時間を経て一度も途切れることなく続いてきた命の連続であり、今、三千万種ともいわれる多種多様な生き物として、この世に命を受け継いだものだけが、今ここに生きています。 だが、どんな生き物でも単独で、それのみでは生きていくことができません、互いに関係しあって生かし生かされているのです。 昨今の盆まつりは、有縁の精霊 とりわけ亡き肉親の精霊供養に重きをおいてまつられるようですが、古来よりお盆のおまつりは、有縁の精霊 のみならず無縁の精霊や、あらゆる生きとし生けるものへの思いやりの心をもって、いとなまれてきました。そしてあわせて五穀豊穣と無病息災を先祖霊と天地の神々にも祈りました。 |
何億年の時間を経た命の連続において、今ここに自分が生きています、あなたも私も、生きとし生けるもの一切が、かけがえのない存在として、のぞまれてこの世に生まれてきたものばかりです。 お盆には家族全員で、この命の源、命の連続跡であるご先祖さまの精霊を迎えおまつりしましょう。そしてお盆の精霊棚に手を合わせ、今、命ある幸せを思い、今、生きていることを喜び、命を大切に生きていくことをご先祖さまに誓いましょう。 |
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