「鐘の音」   和尚の一口話      2000年12月1日

      第二十三話
  人間の尺度仏の尺度
                           
 人間の尺度を捨て去ると、ものごとがよく見え、よくわかる

中国は唐の時代に盤山和尚という方がおられたそうです。ある日、盤山和尚が肉屋のそばにいたら、客が「良い肉をくれ」と言ったから、 店主が「ここには悪い肉などおいていない」と答えた、これを聞いて盤山和尚は悟ったという。

 すなはちどれも牛や豚の命そのもので、人間が勝手に舌の味わいで等級をつけているだけですから、盤山和尚は、命に上下なしと悟ったのである。
 人間は舌先三寸で味わい、一級二級、ランクをつける、喉を通って胃袋へ入ると胃袋は一級二級のランク分けなどしないで消化してくれる、腸も同じく区別などせずに栄養を吸収してくれる。

 人間の尺度は食物を命と見ない、禅僧の食事は粥を作法によって食べる、食物の命を自分の命の歩みに合わせていただく。 人間の尺度で食べるのではなく、天地自然の命の尺度で食事をすることが、自然の恩恵を忘れた現代人にとって、とても大切なことです。

 良い日、悪い日、雨だって日照りの時の雨は、作物の恵みの雨、運動会には恨みの雨、葬式は友引をさけて、結婚式は友引を選ぶという、大安吉日に交通事故が全くおこらないという保証はない。 良い方角と悪い方角、表鬼門に裏鬼門、地球の反対側ではなんという、人間の尺度で計るなどとんでもないことです。

 落ちこぼれの子供、雑草の如くたくましい子供というのも正しい表現とはいえない、一人として同じ子はいない、みな個性豊かな子供達です。
 お寺にお参りに来られる方々を善男善女といいます、肩書き貧富、学歴一切をはずした、ただの人で、序列も等級もありません、人間の尺度で計るなどとんでもないことです。


 人間の尺度を捨て去ると、ものごとがよく見え、よくわかる。
 21世紀はデジタル情報のネットワーク社会となる、デジタル情報は人間の情報であるかぎり、人間の尺度で推し量ることがより多くなるであろう、したがって、人間の尺度はすべからく天地自然の命の尺度・仏の尺度に適合していなければさまざまな歪みを生じさせることになる。
 そして、しかもそれは限りなく時間と空間がゼロに近づいていくから、大変な早さで進行する。


 12月8日はお釈迦さま成道(おさとり)の日です大地の高さに身を置き、天地の呼吸に合わせて、しばし、静かに坐りませんか
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