2001年3月1日 |
いのち輝け 21世紀 第二十六話 不安の時代 日溜まりに 生きながらえて 冬の蠅 |
生命の不思議 水の星、地球に最初の生命が誕生してから36億年、 酷暑、酷寒などの環境変化を乗り越えてさまざまな進化をとげて、 命が連続して一度も途切れることがなかったから、今地球に多様な生命があります、人間もその一つに過ぎないのです。 どの生き物にも共通する遺伝子がありますから、 この命の連続こそがご先祖様でしょう、遺伝子情報がこれを証明しています。 2月11日に多国籍研究機関国際ヒトゲノム計画とベンチャー企業セレラー社とが同時にゲノム解析の研究成果を発表した、 人の遺伝子数は蠅の2倍で、 全人類の遺伝子情報は、99.9パーセント共通しているというから驚きです。これから先の研究が期待されますが、いずれにしても 人類史上画期的な研究成果です。 |
地球生命は三千万種ともいわれていますが、すべての種・命は互いに関係しています。生きる為に他の命を食す、一つの生命の生存には他の命の死がある、他の命の犠牲の上に成り立っている命、食物連鎖は全生命に共通するが、絶滅の危機にまで他の種を追いやってしまうのは人間だけです。 |
人体は60兆個の細胞の集合体であり、 本人の意思に関係なく細胞は生死しているそうです。自分の体は自分の意思で生きているようであって、腹が減る、屁が出る、爪や毛が伸びる、老いていく、自分自身ではいかんともしがたいことばかりです。 自分の体であって、意のままにならない、これが命ですね、そして細胞は生まれるために死んでいく、すなはち命とは生まれるために死ぬということが運命ずけられているそうです。 以上の不思議な三つの特徴は、 生きとし生けるものに共通する、「生命の不思議・命の大原則」といえるでしょう。 |
現代人の宗教意識に変化が生じています 都市生活者や若い人達の中には「生命の不思議・命の大原則」に全く関心を示さない人が多くあります、そんな人達、とりわけ若者を中心にして 占い・超常現象には異常な興味を示し、またカルト教にのめり込む人も増えましたマインドコントロールによって破滅につながる悲劇もおこっています。 家督相続において、親の財産は相続しても、親や自分の命の源である「先祖霊をまつり続ける」ことを継承しない人々が現れ始めました。子供に「先祖霊のまつり」をあえて託さなくてもよいと、考える親もあります。 太古から先祖霊を祀り、土地神(とちがみさま)を祀ってきました、やがて仏教の教えが融合して、先祖をまつり、万物の命、天地の恵に感謝することにおいて、人々は日々の安らぎを得てきました。 人間のみならず生きとし生けるすべての命が永劫に続くことを祈り、先祖霊とともに山・水・田・海・川・森・太陽・生き物等を土地神様として祀ってきた、供養や祭礼を日常生活の中での「まつりごと」として行じてきました。 「先祖霊と土地神さままつり」を通して、生きとし生けるすべての命の尊さを知り、そして親子の絆や共に生きる人々との人間関係の有り様や、自然とのかかわり方、すなはち、「生命の不思議」について学んできた、このことをあらためて認識したいものです。 |
二十一世紀は命の時代 命の大原則を「生命の不思議」と表現してきましたが、すなはち、 @気の遠くなるような長い年月の進化により、さまざまな生き物の種が地球上に存在するが 、 どの生き物も共通の遺伝子を持ち合わせており命の源である先祖を同じくする。 Aどの生き物も他の生き物の犠牲の上に生きている、すべての生き物は命の関係を持っている、すなはち食物連鎖というダイナミックなかたちで互いの命を支え合っているから、 どの生き物もかけがえのない存在である。 B新しき命が生まれるために一方で死がある、あらゆる生命はみな生き死にを繰り返している、生死の中に命がある。 |
道元禅師はこの「生命の不思議」を「生死は仏の御命なり」 と説かれました自分自身も生きとし生けるものも、山川草木、天地自然の一切がそのままに「生死する仏の御命」であるから、すべての仏の御命に礼拝することによって安らかに生きることができる。 命の大原則 「生命の不思議」 すなはち 「生死は仏の御命なり」この言葉は不安の時代だからこそ、新鮮な響きをもつのでしょう。 |
人工衛星から夜の地球を見ると、人間の生活の明かりがはっきりと確認できるそうです、20世紀人類は地球を支配して「人間圏」を 造ってしまったのです。2百年前より人口の爆発的増加が始まった、地球人口は
2025年 80億人に達すると推測されています。 この 人口爆発は、民族と宗教と食料の紛争を頻発させ、
地球温暖化、砂漠化が進み 、種の消滅すなはち地球生命危機の時代の到来を予感させる。 情報技術により急速にデジタルネットワーク社会が構築されます不安の時代、人々の心の不安を和らげることができるでしょうか。 |
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