2001年5月1日 |
第二十八話 諸悪莫作 しょ あく まく さ 悪いことをしょうと思うても、できない 良いことを、せずにはおられない そのような生き方の中で、自然と心が浄まっていく これが仏教の生き方である |
「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」(法句経) 「しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう」 諸々の悪をなすことなく、衆々の善を奉行し、 自らのこころを浄める、これ諸仏の教えなり。 これは有名な七仏通戒の偈という教えです。 仏教は仏の教えであるとともに、仏となるための教えであります。それでは仏となるためにはどうすればよいのかと問われれば、ためらうことなく、 悪いことをしてはいけない 善いことをしなさい そして自分の心を浄めなさい これが諸仏の教えである ということにつきる、その意味は簡単明瞭であり、その教えるところに対してだれも異存はない。しかしそれを実践するとなると、これは何とまた難しいことであるか。 この教えを実践するということは、自らが日々心して努力する、修行の力によって自分を変えることであります、すなはち、 もろもろの悪はなされず もろもろの善はなされ 自らその心を浄くする これが諸仏の教えである そしてさらなる自分自身の日常の修行によって、莫作の力量(修行の力量、はたらき)が現れて、さらにすばらしい生き方ができるようになる 悪いことをしょうと思うも、することができない 良いことを、せずにはおられない そのような生き方の中で、自然と心が浄まっていく これが仏教の生き方である 道元禅師は、唐の白楽天の故事を引いて、「正法眼蔵 諸悪莫作」の巻のむすびとしておられる。 白楽天が道林禅師に参禅した、ある時、「仏法の大意とはどういうものでしょうか」と問うた、道林は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。 白楽天は「そんなことなら、三歳の童子でもそう言うでしょう」というと、道林禅師は「たとえ三歳の童子が言い得ても、八十歳の老翁も実践することはむつかしい」と答えたので、白楽天は礼拝して去った。 |
戻る