「鐘の音」   和尚の一口話              2002年5月1日
 

       第四十話
    愛語    

      
慈愛の心から、ほとばしり出てくる、
     親しみと思いやりのある言葉が、愛語です


 近頃、荼毘に付したお骨を拾うにつけて、喉仏と称する喉骨の部分をことさら鄭重に、他のお骨とは特別扱いして収骨するようです、それは、あたかも喉に仏様がおられるかのごとくです。

 ある時こんな質問を受けました、「喉仏さんと、いうからには、どんな人でも喉仏さんは、みんな仏さんですか」と。「そういうことでしょう」と答えますと、「それならお尋ねしますが、先日 亡くなった あの婆さん、死ぬまで人の悪口ばかり言ってました、嫁さんの悪口やったらまだしも、ご近所の人から、関係ある人、ことごとく良く言わない。 褒め言葉など生まれる前からあの婆さんにはなかったかのようです、悪口言いの あの婆さんの喉仏さんも、やぱり仏さんですか、あの婆さんの喉仏は いびつにゆがんだり、欠けたりしていたのでは」と、こんな質問でした。


 それで答えとして、「あの悪口言いの婆さんは、悪口言いの見本みたいな人でしたから、あんな婆さんのような人にはなりたくないと思うでしょう。人様を褒めることなく、けなしたりそしったり、軽蔑すれば、人は傷つきます。あの婆さんは、いやな役ですが醜い人の見本の役を演じてこられたのです。

 そんな婆さんの姿を見た人は、人の 本来あるべき姿を認識するだろうと、いやな役を演じてこられました。だから 婆さんの喉骨もやはり、よい喉仏さんでした」「けれども人様を傷つけるような言葉づかいをしないように心得たい、自分のお骨を拾うてもらう時、形が悪いと、笑われます、喉仏さんですから、仏さまらしい言葉づかいを、心掛けたいものです」と、このように答えました。


 人間とチンパンジーとは、遺伝子レベルではたったの1パーセントのちがいがあるだけだそうです。ヒトは500万年前より霊長類から進化してきた、二本足歩行ができるようになると、手が自由に使えるようになり、他の霊長類と比べて急速に悩が発達し、知能が高まって文化が進展することになる。

 言葉を使って意思の疎通をはかることができるのは、まさに人間らしいところでしょう。そして笑顔があり、笑顔で親しみと思いやりのある言葉が語れることも、人間らしさに 加えたい。だから、笑顔で人に接することができない人笑顔でやさしく語れない人は、人間らしさを失ってしまった、ヒトなのかもしれません。

 
慈愛の心からほとばしり出てくる、親しみと思いやりのある言葉が、愛語です、愛語は他の人の心を歓喜させる、愛語・・・暖かい心で語りかける、やさしい言葉を使う、口先だけの言葉でなく 慈愛の心、慈悲の心から発露する言葉が大切であります、750年前に道元禅師は、このように教えられました。

 我が身ながらに尊いことですが、人は生まれながらに仏でありますから、生まれながらに自分にそなわった仏心を言葉にして、いつも笑顔であたたかく、優しく語りかけることができれば、人生は楽しいものになるでしょう。


  「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を
 施すなり・・・慈念衆生猶如赤子の懐ひを貯えて言語するは愛語なり・・・
 愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」

               (道元禅師・正法眼蔵・菩提薩捶四摂法)

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